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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

とんどをしました

2010年01月15日 02時27分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは我がの老人クラブ新年会が公民館であり、二人で参加しました。老人会の会員は50人が名を連ねていますが参加者は11人。仕出し弁当をつつき、男性は少しお酒を飲みながらおしゃべりをたのしみました。
 このに引っ越してきたのは三年前の12月でした。すぐにやってきた元旦のの新年会には、お酒のビンを提げて夫婦で顔を出しました。「ここの米はよそと味がちがう。酒米の『山田錦』をつくる田んぼは泥が深くて、食べる米をつくってもうまい。田んぼを貸してやるから米をつくってみなさい」と声をあちこちから掛けてもらい、よわい酒にフラフラになって帰ってきました。
 の新年会は次の年から廃止になってしまいました。婦人会の人にお酒やお茶の世話をしてもらう負担が大きいというのです。その婦人会も去年の暮に廃止になりました。なんとか健在なのは老人会だけです。
 夕方には公民館横のゲートボール場でとんどをしました。むかしは全体で大きなとんどをしたのでしょうが、数年途絶えていました。それを老人会で復活したのです。回覧板で案内してあったのですが、注連飾りを持ってきた人は数人です。でも村では貴重品のような小学生が三人も書初め練習の習字を持って参加してくれました。
 写真はとんどの火がようやく燃え上がったところです。風が強かったので突っ張りをしています。はるか向うの小山のすそに小さく見える数軒の家が我が班です。
 割った竹に餅をはさんだり突き刺したりしてとんどの火で焼き、黒こげの餅を食べました。焼いて持ち帰った人もいます。こげて固くなった餅を保存しておき(『へそ餅』といいます)、雷の鳴るときに食べると安全と言い伝えられているそうです。
 いつしか日は暮れ一人帰り二人帰りして、火のまわりは4人だけになりました。真っ暗闇のなかで黙って炎を見ているとヘッセの『デミアン』を思い出します。ぼくたちも老人会長に跡をお願いして帰ってきました。
 
  
コメント
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