「……私は作家たらんと志して作家になった人間ではない。肺結核にかからなければ、今日あるいは別の職業人として、ちがった日常を送っていたかもしれない。しかし、いつかどこかで『ルソンの谷間』だけは書いていただろうと思う。」 …… 江崎誠致『ルソンの谷間』 あとがき より
兵士たちの無残な敗走を描いた『ルソンの谷間』で直木賞を受賞した作家・江崎誠致の‘あとがき’から引用しました。この本は昭和三十二年に出版され、今も読み継がれている戦記文学の最高傑作です。言葉のつよさ! 文のつよさ! 大倉山の図書館で二度借りて読み、手もとに置きたくて古本を買いました。
きのう取り上げた『水木しげるのラバウル戦記』を読了しました。やはりホッとします。どこか一節を引用してその「ホッ!」を伝えようとページをめくりましたが、やはり全体を読まないとその味は伝わりません。
水木さんも江崎さんも自分の戦争体験だけは書き残したいと思ったでしょう。実は12年前に八十八歳で亡くなった父も自分の『朝鮮引揚げ物語』を書き残しています。
父は兵士ではなく戦時中小学校の教員として朝鮮に渡り、京城(いまのソウル)よりはるか北の田舎で校長をしました。村では駐在所の巡査と校長だけが日本人でした。朝鮮の人たちは敗戦後すぐに日本人を襲いました。その中を文字通り命からがら逃げ帰ってきたのです。(母とぼくたち子どもは母の病気で一年前に内地に帰っていました。もし敗戦までいたらどうなっていたか)
父は9月12日に我が家に帰ってきました。敗戦からわずか一ヶ月足らずでしたが、その体験は生涯忘れられなかったようです。何度か自分の『引揚げ記』を書き直し、50枚の手記を残しました。
兵士として戦争に行った人も空襲で逃げまどった人も、あの戦争の体験だけは残したい。満蒙開拓青少年義勇軍として旧満州(中国の東北部)に渡り敗戦を体験したかつての少年たちも、自分たちの体験を数多くの本に残しています。そのすぐ後の世代がぼくたちです。
思いがまとまりません。また考えます。
兵士たちの無残な敗走を描いた『ルソンの谷間』で直木賞を受賞した作家・江崎誠致の‘あとがき’から引用しました。この本は昭和三十二年に出版され、今も読み継がれている戦記文学の最高傑作です。言葉のつよさ! 文のつよさ! 大倉山の図書館で二度借りて読み、手もとに置きたくて古本を買いました。
きのう取り上げた『水木しげるのラバウル戦記』を読了しました。やはりホッとします。どこか一節を引用してその「ホッ!」を伝えようとページをめくりましたが、やはり全体を読まないとその味は伝わりません。
水木さんも江崎さんも自分の戦争体験だけは書き残したいと思ったでしょう。実は12年前に八十八歳で亡くなった父も自分の『朝鮮引揚げ物語』を書き残しています。
父は兵士ではなく戦時中小学校の教員として朝鮮に渡り、京城(いまのソウル)よりはるか北の田舎で校長をしました。村では駐在所の巡査と校長だけが日本人でした。朝鮮の人たちは敗戦後すぐに日本人を襲いました。その中を文字通り命からがら逃げ帰ってきたのです。(母とぼくたち子どもは母の病気で一年前に内地に帰っていました。もし敗戦までいたらどうなっていたか)
父は9月12日に我が家に帰ってきました。敗戦からわずか一ヶ月足らずでしたが、その体験は生涯忘れられなかったようです。何度か自分の『引揚げ記』を書き直し、50枚の手記を残しました。
兵士として戦争に行った人も空襲で逃げまどった人も、あの戦争の体験だけは残したい。満蒙開拓青少年義勇軍として旧満州(中国の東北部)に渡り敗戦を体験したかつての少年たちも、自分たちの体験を数多くの本に残しています。そのすぐ後の世代がぼくたちです。
思いがまとまりません。また考えます。