雨が降るし、道子さんの入院以来家事や畑仕事をこなしてきた疲れもあって、昨日は読書三昧(ざんまい)の一日にしました。読んだのは三浦哲郎の『風の旅』(大型活字本を図書館で借りました)。久しぶりに文学の香りをかいだ気分です。
作家・三浦哲郎は2010年に79歳で亡くなりました。その作家を追悼する〈作家・出久根達郎〉の文を引用します。
リアルタイムで『忍ぶ川』を読んだ時の興奮を、忘れない。すごく新しい形式の小説を読んだような気がした。時代の先端をゆく内容と文章だと、読みながらふるえた。事実は逆で、古風すぎるほどの純愛物語なのである。一語一語が正確無比、刻まれたような文章で ……。 (中略)
1961(昭和36)年、『忍ぶ川』は芥川賞を受賞した。私は17歳、古書店の店員だった。 (中略) やはり『忍ぶ川』に感動した友人と、ある日突然、三浦さん宅を訪ねたのである。
あれから49年、三浦さんは少なくとも作品の上では全く年をとらず、『忍ぶ川』のういういしい白絣のまま、一字一句おろそかにせぬ文章を維持して亡くなられた。
「最初の一枚が、竹の幹を駆け登るようにして舞い上ると、それを追って、あとから幾十枚もの葉がつむじを巻いてくるくると舞い上がった」
初期の作品『風の旅』の冒頭、目の前で風が生まれる瞬間の描写である。何の技巧もない、しかしまるで自分が見ているような臨場感のある文章である。これが三浦さんの巧まぬ技巧であった。日本語の美しさと遣い方を、さりげなく教えて下さった作家であった。
「一語一語が正確無比、刻まれたような文章で」と出久根達郎は書いています。彼の引用した文の後はこんなふうにつづきます。
竹の下枝が揺れはじめ、やがて林のなかは、さわさわと、葉という葉がそよぐ音に満ちた。
(いま、風が生まれて、発っていくのだ)
と彼は思った。
風が梢をざわめかせながら、どこかへ飛び去ってしまうと、葉のざわめきも次第に収まり、林のなかはまた元の静けさに戻った。
こんな文章ではじまるこの小説に〈鶴〉という女性は出てきます。ヒロインではない彼女の描写はほとんどありませんが、しずかな瞳で見られているような存在感に惹かれます。めざましいドラマが展開するわけでもないのに心のひだにしみこんでくる小説でした。
作家・三浦哲郎は2010年に79歳で亡くなりました。その作家を追悼する〈作家・出久根達郎〉の文を引用します。
リアルタイムで『忍ぶ川』を読んだ時の興奮を、忘れない。すごく新しい形式の小説を読んだような気がした。時代の先端をゆく内容と文章だと、読みながらふるえた。事実は逆で、古風すぎるほどの純愛物語なのである。一語一語が正確無比、刻まれたような文章で ……。 (中略)
1961(昭和36)年、『忍ぶ川』は芥川賞を受賞した。私は17歳、古書店の店員だった。 (中略) やはり『忍ぶ川』に感動した友人と、ある日突然、三浦さん宅を訪ねたのである。
あれから49年、三浦さんは少なくとも作品の上では全く年をとらず、『忍ぶ川』のういういしい白絣のまま、一字一句おろそかにせぬ文章を維持して亡くなられた。
「最初の一枚が、竹の幹を駆け登るようにして舞い上ると、それを追って、あとから幾十枚もの葉がつむじを巻いてくるくると舞い上がった」
初期の作品『風の旅』の冒頭、目の前で風が生まれる瞬間の描写である。何の技巧もない、しかしまるで自分が見ているような臨場感のある文章である。これが三浦さんの巧まぬ技巧であった。日本語の美しさと遣い方を、さりげなく教えて下さった作家であった。
「一語一語が正確無比、刻まれたような文章で」と出久根達郎は書いています。彼の引用した文の後はこんなふうにつづきます。
竹の下枝が揺れはじめ、やがて林のなかは、さわさわと、葉という葉がそよぐ音に満ちた。
(いま、風が生まれて、発っていくのだ)
と彼は思った。
風が梢をざわめかせながら、どこかへ飛び去ってしまうと、葉のざわめきも次第に収まり、林のなかはまた元の静けさに戻った。
こんな文章ではじまるこの小説に〈鶴〉という女性は出てきます。ヒロインではない彼女の描写はほとんどありませんが、しずかな瞳で見られているような存在感に惹かれます。めざましいドラマが展開するわけでもないのに心のひだにしみこんでくる小説でした。