古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「概念」にとらわれないで生きたいです。

2014年06月02日 03時24分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年は「六条大麦」を2畝、厚播きしました。そろそろ刈り頃です。
 六条大麦は焙煎して麦茶にします。「味がいい」とは思いますが、売ってる麦茶とそんなに味の違いを感じません。
 きのうは六条大麦の1畝の穂先を、ハサミで切って大きなビニール袋に集めました。穂先だけの麦を干して、踏んで、フルイにかけて、脱穀します。でも立って作業をするのは腰が痛いので、草刈り機で麦をなぎ倒し、携帯イスにすわって作業しました。
 1時間半やりましたがまだあります。で、考えました。
「六条大麦をつくっても麦茶にするだけのことだ。試しにつくってみるのはいいけれど、毎年つくるほどのものじゃない。ぼくらは『自給自足』という『概念』に近づこうとしてるけど、本格的に自給自足を目指すわけじゃない。ちょっと買い物に出ればモノはあふれてるし、その恩恵にも浴している。自分をそんな枠にはめて、しんどい思いをすることはない」
 本で読んだかテレビで見たか忘れましたが「不登校というのは近頃流行っているものだ。ぼくらの子どもの頃は、そんな『概念』がなかった。だから不登校はなかった」という発言にふれたことがあります。たしかに『概念』がなかったらそんなことを思いつかないかもしれません。『有機無農薬』だって『自給自足』だって、例えば弥生時代の人々からすれば、「そうするしかない」のだから、そんな概念はないわけです。ぼくらはそんな言葉と概念を持っているから、その枠に自分をはめようとしているところがあるかもしれない。
 例えばうちの畑でコンニャク芋をつくったことがあります。コンニャク芋は毎年畑に植えて大きくし、冬は掘り上げて小屋に保存し、また翌年に植えて大きくし、4年目の芋をコンニャクにします。つくって食べてみました。それなりに美味しいと思いましたが、自給自足をめざして作ろうとは思いませんでした。そしていつの間にかコンニャク芋は作らなくなりました。

「ご趣味は何ですか」ときかれると子どもでも一人前に答える時代ですが、『趣味』という概念がなければあってもなくてもいいモノです。
コメント
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