古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

後輩が亡くなってしんみり。

2019年02月24日 02時15分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 近年は年賀状の交流だけになっていましたが、今年は賀状が届きませんでした。同じ郷里で小学校中学校高等学校大学と同じ道をたどった6歳下の後輩です。彼が西宮の中学校に勤めることになり、はじめて同郷の人と知りました。
 あれから50年超の長い付き合いでした。折にふれて家に来てもらい、彼の家を訪ね、交流を重ねてきました。郷里に帰省していた頃は、あちらでいっしょに出歩いたこともあります。ふれあいの時間の長さより気持ちの深さを、おたがいに感じる付き合いでした。
 6歳下の彼のほうが先に逝くなんて考えませんでした。長く阪神間に住み、神戸近辺に住み、すっかりこの地に根付いたようでも、やはり郷里はちがう。もう帰るところがなくなっても、生まれ育った郷里はずっと心にあります。そんな気持ちを、たがいに語らなくても通じる存在でした。
「年末に亡くなった」と奥さんからはがきが届き、ずっとこころにわだかまっています。
 せめて思いを伝えようと手紙を書いて、供えてもらいました。返事をいただき、病で亡くなったことを知りました。しんみりした、どうしようもない気持ちです。

 あたたかくなったら訪ねて、お参りしたいと思います。いまは気持ちがざわついたままです。

『年老いたら視野狭窄になる』ときのう書きました。道子さんがブログを読んで「視野狭窄の意味がわかってない」と指摘されました。
 自分のことばかり言う(書く)のは〈ジコチュウ〉です。
 視野が狭くなって見えなくなるのは、自分のまわりの状況です。思慮深く、まわりの人々に気をつかって生きてきた人でも、まわりの人々の「ご苦労」とか「お世話」が視野からはみ出してしまう。
 子どものことを気づかって生きてきたおばあさんも、子どもの気づかいや苦労が見えなくなり、気持ちが自分のほうにばかり向く。
 せめて感謝の気持ちを素直に伝えられる年寄りでありたいです。
 
コメント
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