古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

三田に買物に出掛けました。

2011年12月03日 03時07分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 今年の冬、裏山の竹を切り倒した2月ごろの写真です。シイタケ建屋の後ろあたりは立ち木がなく、オープンスペースになっています。真ん中に一抱えほどのクヌギでもあればいいのですが、竹ばっかりだったので切り倒したらこんなスペースができてしまったのです。でもいまでは竹がまばらに生えてきて、竹の切り株むき出しの山肌ではありません。この冬はまた竹を切って里山スペースを広げるか。「もう十分」とも思うし。
 きのうは、三田に買物に出掛けました。重宝していた電子辞書がどこかにいってしまって、もう半年もさがしているのですが、見当たりません。「えーと、ちょっと調べようかな」/「ああ、電子辞書はどこかにいってしまったんだったな」という場面が毎日のようにあります。漢字がわからなくなると、辞書を引くより携帯電話に文字を入れて変換したりしますが、もっとくわしく知ろうとするとインターネットで検索するしかありません。わざわざスイッチを入れてパソコンを見るのはおっくうです。「ま、そのうちまた調べよう。別に命にかかわることでもないし」。あとは忘れてしまいます。思い出すことはありません。そのうち好奇心も衰えてくるでしょう。やっぱりいまのうちに電子辞書を買って使おう。
 三田に<K’s デンキ>ができたのでそこに出掛けました。三木のミドリや山田は、ポイントがつくとかなんとかいってうるさい。あのカードというヤツを、どうも好きになれません。行ってみると大きな店です。中学校の運動場より広い。シャープの辞書を買いました。液晶がカラーになり、中味もいっぱい。手元に置いて使い慣れるようにします。でも孫たちが来たらまたさわるだろうから、隠し場所を決めておかなくては。慌てて隠すと忘れてしまい、また紛失ということになるし。
 タブレットPCも見ましたが、買うのはしばらく見合わせます。「図書館で本を借りるより手軽に新しい本が読める」から手に入れようと思っていたのですが、多機能すぎてわずらわしい。近寄りたくない。それより本屋さんで本を物色し、手にとってちょっと読み、買うかどうかためらい、あるいは図書館で本の題名を見て借りるかどうか思案するほうがたのしい。もっと老いて本屋や図書館に行けなくなる頃には、もっと単機能の簡単な本読み専用のタブレットが出るでしょう。
 
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ヤギを飼うのもいいかな。

2011年12月02日 04時36分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 11月最後の日は軽トラで散歩に出掛けました。蓮花寺の紅葉を見て帰る途中、衣笠神社の前の田んぼにヤギがいるのを道子さんが見つけました。2匹のヤギが田んぼの中を動きまわって、稲の切り株の「ひこばえ」を一心不乱に食べています。ヤギはふつうヒモでつないで飼いますが、ここは柵もないのに自由に動きまわっています。どこかに行ってしまわないか。
 車を止めてよく見たら、そばの倉庫で飼っているヤギでした。角の立派な親ヤギは、ちゃんと倉庫の柵につないであり、自由に動きまわっているのは子ヤギです。親をつないでおけば子どもはちゃんと戻ってくるのでしょう。
「土手にヤギをつないでおけば草を刈らないでも食べてくれる」「畑にニワトリを放し飼いにしておけば夜盗虫なんか1匹残らず食べてくれる」本にそう書いてあった。と道子さんはいいますが、自由に動きまわったらヤギは野菜も食べてしまうだろうし、ニワトリはどこかに行ってしまうでしょう。そうしないようにヤギやニワトリを仕付けるのはむずかしいです。いいのはわかるんだけど。でも雄鶏の刻を告げる「コケコッコー」を寝床で聞けたらいいだろうな。
 きのうは、ゴミステーションへのアプローチの草を刈りました。こうしてきれいにしておけば、ゴミを出すマナーもよくなる気がします。ゴミステーションとかバス停の草を刈り、花を植えるのはぼくらの勝手にすることですが、この村で気持ちよく暮らしている感謝をなにかのかたちで表現したいのです。ついでに畑の遊歩道など残っているところの草刈りをしました。これで今年の草刈りはおしまいです。
 夕方加東市東条町の図書館に行き、『とどろき温泉』に入ってきました。ここの温泉もなかなかいい。冬はあったまります。ロビーは快適な空間だし、風呂の受付に言えば再入浴できるそうです。冬になったら風呂に入ったり本を読んだりして一日ゆっくりする日をつくりたいなあ。
 道子さんが友だちと電話で話して、「元気?」「うちは元気に暮らしてる」とやりとりしています。聞くともなく聞いていると「でも視野をちょっと広くしたら、いろいろ大変な人もいるわねえ」。そうですね。身のまわりの人で、その人の心を思うとため息をつくしかない《厳しい状況》を生きている人が少なくありません。しかし年をとると自分中心になってしまい、そんな人が見えなくなります。見えてもどうしようもないから見ない。それはそうなんだけど……。
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蓮花寺の紅葉が見ごろです。

2011年12月01日 02時18分32秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 きのうで11月は終りだというのにあたたかい日でした。前日のブログに書いたように軽トラで散歩に出ました。まず細川町高篠(たかしの)のイチョウの木を見ました。軽トラを農道に寄せて止め、歩いていくとちょうど住んでおられる方が買物に出掛けられるところで、しばらく立ち話をしました。
 あの高いイチョウの木は戦後植えられたものだそうで、樹齢60年ちょっとです。イチョウには大木がありますが、あの木にもそんな将来性を感じます。黄色く色づいていますが、落葉寸前の輝くような色ではありませんし、まだ葉は落ちていませんでした。やはりあたたかいので紅葉が遅くなっているようです。
 桃津の大雄寺には寄らなかったので見るほどの紅葉はなく、蓮花寺にまわりました。写真のように見事な紅葉です。でも思い出しました。たしか去年でした。12月はじめに蓮花寺に孫たちと散歩に来ました。かなり落葉していて、孫たちは落葉を蹴散らして走りまわりました。今年はまだ葉は落ちていないし、紅葉はいまが盛りです。近くの伽耶院も同じでしょうね。
 よその村を二人で歩いていて、畑仕事をしている人に声を掛けることがあります。そんなとき見知らぬ顔でも「○年前に移ってきました」というとこころの距離がズイッと近くなり、とても話しやすくなります。そんなことを何度も感じているので、立ち話をするときははじめのほうで「移住してきた」ということにしています。きのうの立ち話も気兼ねするほど時間をとってしまいました。
 散歩から帰ると裏山に登って、98歳の母・妙子さんのために竹を10本切って引きずり下ろしてきました。彼女は花バサミで竹の枝を切り刻むのを≪趣味・使命・任務・暇つぶし・仕事≫と心得て、精進しているのです。竹が来たので張り切って枝を切り離し、これから切り刻みます。でも昼ごはんを食べて裏山の妙子さんの仕事場に行ってみたら、すでに10本とも枝は切り離してありました。親孝行のつもりで「せめて二・三日分の竹を」と切ってきたのに、昼飯前に片付けられたのでは74歳の膝痛の息子もあーあ。一週間ほどは、この枝を切り刻んでもらいましょう。
 昼寝のあとは黒大豆の収穫をしました。全部で100本以上あります。まずマイカ線をはずし、竹の杭を抜き、黒大豆の木を草刈り機で切り倒し、サヤをちぎっていきました。4時45分まで2時間以上作業しましたが、まだ残っています。残った黒大豆は家に持ち帰り、夜なべ仕事にウッドデッキでちぎることにしました。大工仕事をして電燈がつくようにしましたから。
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