2月5日(木)のお弁当。
・カニカマ入り玉子焼き
・きんぴらごぼう
・ハンバーグ
・レンコンのはさみ揚げ(冷凍)
・ブロッコリー
・しそふりかけ
さて、「心」はどこにあるのでしょう?
のっけから何ですが、心霊現象の話をしていて、なぜかそんな話題になりました。
脳ミソだって人は割と多いと思いますが、脳と心臓という人もいるし、脳はもともと腸管から発生しているから内蔵も関係あるんじゃないかという人、体すべて、目に見えない何かという人もいました。
アハハハハ(笑)
こういう深い話は好きですが、途中でチャチャを入れたくなってしまう困った性格な私。
真面目な話を真面目な顔でしていると、(アレ、笑いが足りないかな?)とその場の雰囲気を和らげたいと私の”心”が思ってしまうんですよね(苦笑)
大脳がないダンゴムシを使ってダンゴムシに心はあるのかという研究をしている人の本もありましたし、魂の重さを測るために臨終間近な人をベッドごとはかりに乗せて、生前と死後の重さを測定した、なんて実験も過去にはありました。
そんな話をたどっていくと、アリストテレスが、魂は物質であり、死んだら魂の元素は四散して、生まれてこようとしている人間の魂を形作るなんて紀元前の主張にまで行ってしまいそう。
ちなみにこのアリストテレスの説は、魂の不変を信条とするキリスト教からは異端と見なされていました。
最後の審判の日、死んだ人もお墓から蘇り、天国へ行く者と地獄に落ちる者とに分けられる魂の分別が行われるというやつですね。
魂の生まれ変わりを信じるチベット仏教。
人間は物質と精神からできているという二元論。
私は個人的に、科学的根拠はまったくなしに、心は耳や目と同じように、危険を知らせるための未来を予測する能力(想像力)の一つが発達した結果の副産物だと思っているので、具体的にいうとニューロンの電気信号のパターン(流れ方)が心だと思っているので、脳ミソ説です。
またチャチャを入れたくなったので、ここからは想像力を使ったお話(笑)
私たちは昨日の自分と今日の自分が同じ一人の人間だと思っているかも知れませんが、それは記憶や思い出があるから。
自分の名前や今日の予定を覚えているのは、脳内で電気信号が何十年という単位で作られたパターンを”そのつど”走り抜けているからにすぎないとしたら?
何らかの偶然でそのパターンが変わってしまったら、自分を全然違う人間だと認識するかも知れません。
十数年来の知り合いの顔だとしても、そう思えるのは”その直前に”そのパターンに電気が走っているからで、もし電気が流れなかったら思い出せなくなってしまうかも。
その電気の流れ道は使えば使うほど(比喩的な意味で)太くなって、何億回も使ったパターンは電気が流れやすい傾向があるから、それが私たちが個性と呼んでいるしろものなのかも知れません。
だからあまり使わないパターンは電気が流れにくいか、どんどん消えてしまう。
私たちにはそのパターンが変わってしまったことは認識できませんから、自分が変わってしまったこともわからない。
つまり、私たちが”自分”だと思っているこの自分は、”今”あなたの脳の中で電気信号が作り出しているだけで、実は昨日までは全然別の人間だったのかも知れません。
あなたは毎朝目覚めると同時に、その度ごとに、変わってしまったかも知れない生まれてからこれまでの記憶を持った、新たな”あなた”になっているわけです。
(笑)
こういう話題は想像力をかきたてられますね。
でも本当のところをいうと、私が”こころ”だと思っているものを、あなたが持っているのかどうかも私にはわかりません(笑)