前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ヴィオラ練習備忘録_001

2025-03-06 22:56:12 | ヴィオラ
2025.3.6(ヴィオラ練習13日目)

苦戦していた
「左手を離しても楽器が落ちないように楽器を顎と肩で挟んで支える」というのは
どうもヴィオラを弾く上で本質的なことではないようです。

ネットやYouTubeなどで検索すると、それぞれの"流派"?で意見は若干異なりますが
「楽器は(挟むのではなく)肩に乗せて弾く」という方も多いです。

確かにコンサートなどでは「楽器を顎と肩で挟んで」
右手で弓を動かしながら左手でアジャスターを微調整してチューニングするという姿が見られますが
よく考えたら自分がこのまま楽器を続けたとしてもそんな場面は絶対にこないので。

左手の運指に影響があるのかもしれませんが、それを気にするのもまだまだ先のことですし。

ですので、極端に変な姿勢にならないように(妻に見てもらいながら)気を付ける程度にしています。


まあ、そんなこんなで、毎日一度はヴィオラに触るようにしています。
平日は帰りが遅いのですが、それでもミュートをつけて10分程度は音を出して練習しています。

そこで直面した次なる課題(難関)が弓の動かし方、所謂「ボウイング」というやつです。
弦(楽器)と垂直に弓を動かさなくてはならないのですが真っ直ぐ進まない。
肩が開いて弧を描くように弓が動いてしまいます。

そうならないように
肩を後ろに動かさず、肘を開く(真っ直ぐにしていく)ように動かすのですが
そうすると、今度は弓先まで辿り着かない!

どうも手首の角度(反らせ方?)や弓の持ち方、弓が弦に当たる角度などが原因のようですが・・・。

妻が見本を見せてくれるのですが難なくできてる。
妻よりも腕は長いはずなのですが、なぜ?
手首が極端に硬いわけでもないのに、なぜ?
色んなところに無理な力が入っているせいか足までつった。


YouTubeで教えている人や妻の"お手本"では腕や手首の動きはとてもスムーズで
それらを見ていると「なるほどなるほど、そうか」と思うのですが
いざやってみるとできない。

子供の頃にある程度がっつりと身体を動かす事(スポーツや楽器の習い事)をしていないと
自分の身体を思い通りに動かす事や、自分の身体がどう動いているのかを把握する事が
とても難しいです。


でも今は自分が「できないこと」を知ることも面白がっていこうと思っています。


いらすとやさんの
ヴィオラを演奏する男性のイラスト
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突然、ヴィオラを買う

2025-02-25 16:15:37 | ヴィオラ
アラカン(=アラウンド還暦)の定義は曖昧なようですが
「四捨五入すると60歳」という事でいえば私も既にアラカンです。
そんなアラカンおじさん(というか初老?)が突然「ヴィオラ」を買いました。

この歳になると人間ドックで色々と気になる数値が出てくるので食生活にも気をつけてなければなりません。
特に認知症予防には何か新しいこと(趣味など)を始めるのが良い
それも手先を使うもの、アウトプットするものがより良いとのアドバイスを妻から受け
アラカンで楽器(ヴィオラ)を始めることになりました。



ヴァイオリン工房をされている知り合いの方のお勧めで初心者用のヴィオラセットを購入しました。


そのヴィオラを抱えて、早速、個人で教えていらっしゃる先生(妻も通っている)のところに体験レッスンに行きました。

実はヴァイオリン・ヴィオラなどの弦楽器を始めるにあたり、大きな懸念がありました。
クラシック音楽をお聴きになる方はご存知だと思いますが、ヴァイオリンなどは肩に乗せて弾きます。
でも、ただ乗せているだけではなく顎と肩で挟むんですよね。演奏中ずっと挟みっぱなしというわけではないですが。
チューニングするためにアジャスター等を調整する時は手で持たずに顎と肩だけで楽器を支えなくてはなりません。

男性にしては撫で肩で且つ首が長めのため(傍証としてショルダーバッグがすぐズリ落ちてくる、電話の受話器を肩に挟んでメモを取るのが苦手)
この「楽器を顎と肩だけで支える」というのが「最初(且つ最大)の難関だな」と感じていました。


①体験レッスンの時
(2025.2.22ヴィオラ体験1日目)
ヴィオラ本体や弓の持ち方など基礎中の基礎から教えて頂くのですが、当然楽器は支えられず。どこに楽器を置いても違和感しかない。
まあ、初めて持ったので当然ですが。
それでも簡単に音をだしたり、ゆっくりと音階を弾いたりして体験レッスンは終了。

②翌日
(2025.2.23ヴィオラ体験2日目)
肩当ての高さを調整したり、妻に姿勢を見てもらったりしながら色々試してみましたが、どうもしっくりこない。正解がわからない。
まだ顎と肩だけでは支えられず。
妻曰く、最初はそんなもん(妻も慣れるまで時間がかかった)との事。
夜、YouTubeでヴァイオリン演奏を観ていた時、思っていた以上にヴァイオリンを(垂直方向に)斜めにするんだなあと感じました。
演奏中だからかも知れませんが。自分は楽器が少し水平過ぎたかな?

③更に翌日
(2025.2.24ヴィオラ体験3日目)
昨夜の映像を参考に、気持ち楽器を斜めにして色々位置を探っていると漸く何とか楽器が支えられる位置が判明。
一旦楽器を外して、また構えてを繰り返して何となくできるようになりました。勿論、何も考えずに一回でビシッと決まるわけではないですが。
正しい?位置に収まるとやはり楽器の安定感もいいので、楽器を落としそうな不安感は軽減しました。


何はともあれ、これでやっとスタート地点に立てました。
勿論、右手のボウイングと左手の弦押さえ?も簡単ではないでしょうが、これらは練習すればその分だけ幾らかは上達していくと思います。
ただ、楽器を支えるのは「上達するしない」ではなく「できるかできないか」だと思ったので、その意味で「最大の難関」を突破した気分です。

そもそも認知症予防のために始めたものですから、大それた目標は立てず気長にやっていこうと思います。

追記(2025.2.26)
ヴィオラを構える位置を再度、試行錯誤。
今の場所だと弦が見辛く弾きにくいので肩当ての角度などを微調整して
よりベターな所に収まった感じです。
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マルタン: 無伴奏二重合唱のためのミサ

2025-02-24 21:11:23 | クラシック音楽
先日、妻と音楽の話をしていた際
~因みに妻はピアノ、ヴァイオリン、箏などが弾けるマルチプレイヤー!
「合唱曲の演奏(歌声)は(基本的に)純正律(の方向)になる」旨の話を聞きました。

専門的(音楽理論的)には正確な表現ではないかもしれませんが
言っている意味はわかる、というか腑に落ちます。
歌声は無段階に音程を変化させられる楽器ですから
最も綺麗にハモる音を探すと必然的に純正律になるのかなと。


その時思い出したのが大学時代のサークルでの出来事です。
クラシック音楽鑑賞サークルだったのですが
先輩がグレゴリオ聖歌と(無調の)現代音楽の無伴奏合唱曲を
作曲者名や曲名を言わずに続けて聴かせてくれたことがありました。

まだ今よりも全然音楽知識に乏しかったのですが、
それらはどちらも全く違和感なく耳に響いてきました。
その"違和感のなさ"の理由が少しわかった気がします。


音律についての正しい説明・解説は非常に難しいのですが素人のざっくりとした理解では
純正律・ピタゴラス音律:和音が完全に美しく響く音律
平均律:1オクターブを均等に分割した音律
程度のものです。

色々な楽器を使用し且つ移調する作品は純正律では演奏は難しく
音楽の発展と共に平均律が定着していきました。


グレゴリオ聖歌は「教会旋法」と呼ばれる、今の西洋音楽の調性とは異なる音階で歌われ、
ピタゴラス音律が用いられたようです。
無調音楽は、西洋音楽の調性の果てに辿り着いたものですから
平均律(平均律に調律された楽器で演奏される)音楽の範囲になるのかもしれませんが
無伴奏合唱曲となるとより「教会旋法」との親和性は高くなります。


フランク・マルタン『無伴奏二重合唱のためのミサ』
ダニエル・ロイス指揮
RIAS室内合唱団

フランク・マルタンの作品は完全な無調というわけではありませんが
調性は不確かで不安定です。

フランク・マルタンは以前に「小協奏交響曲」について書きました。
チェンバロ、ピアノ、ハープと弦楽合奏という変わった編成の曲ですが
それも今思うとバロック、もしくはそれ以前の音楽という趣です。


『無伴奏二重合唱のためのミサ』は、そもそもグレゴリオ聖歌の影響がみられるようですが
時空を超えた美しさの繋がりを感じます。

妻の何気ない一言が自分にとっての新しい発見(再発見)を導いてくれました。
ありがとう。
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『ウィトゲンシュタイン入門』(永井均)

2025-02-16 20:45:07 | 
「座右の銘」という言葉があります。意味を調べると
「いつも自分の座る場所のそばに書き記しておいて、戒めとする文句」
とあります。

恐らくそれから派生した造語だと思いますが
「いつも傍らにおいて何度も読み返したくなる本」のことを
「座右の書」などといいます。

哲学者、永井均さんの本は何冊か読んでいますが
最初に読んだのが『ウィトゲンシュタイン入門』です。
もう25年くらい前になるでしょうか。
人に貸したりあげたりして、その度に何度か買い直していますが
常に側にある本でした。


(永井均著/筑摩書房)

永井さんの著作の面白さを問われたら
「(立ち読みでもいいので)巻頭(通常「はじめに」と題された部分)もしくは「第一章」の冒頭数頁を読んでみてください」
と応えます。

そこに永井さんの魅力(永井節)が凝縮されており
その部分を読んでもピンとこなかったら
恐らく全編を読んでも面白いと思わないかもしれません。


「こう言うと、読者の皆さんは驚かれるかも知れないが、哲学にとって、その結論(つまり思想)に
賛成できるか否かは、実はどうでもよいことなのである。
重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある。
優れた哲学者とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。
誰もが人生において突き当たる問題に、ある解答を与えた人ではない。
これまで誰も、問題があることに気づかなかった領域に、実は問題がることを最初に発見し、
最初にそれにこだわり続けた人なのである。」
(ウィトゲンシュタイン入門「はじめに」9頁)

「いろいろな機会に何度か見かけ、あいさつ程度の会話はかわすようになっても、それほど深く気にとめはしなかった人物が、
ある日突然、自分の人生を決定するほどの重要性もって立ち現れる、そういう体験はないだろうか。
私とウィトゲンシュタインとの出会いは、そういう体験に似ていた。」
(同著「序章~出会い~」14頁)


すでに後半戦に入った人生。
「あいさつ程度の会話をかわす」誰かが、もしかしたら自分のこれからの人生に重要な何かを与えてくれる誰かかもしれません。
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R・シュトラウス:4つの最後の歌(習志野フィル)

2025-02-11 19:10:25 | クラシック音楽
チケットを頂いたので習志野フィルハーモニー管弦楽団の
第104回定期演奏会を聴きに行ってきました。



チャイコフスキー:幻想序曲『ロメオとジュリエット』
リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌
チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調
指揮:湯川紘惠
独唱:中江早希(ソプラノ)

所謂アマチュアオーケストラ(市民オーケストラ)ですが、
今年創立55周年の伝統あるオーケストラで想像の10倍上手かったです。

チャイコフスキーの2曲はコンサートで何度も聴いたことがありますが
リヒャルト・シュトラウスは初めてです。

『4つの最後の歌』
第1曲:春
再2曲:9月
第3曲:眠りにつくとき
第4曲:夕映えの中で

リヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』は熱狂的ファンの多い曲です。
クラシック音楽の中でも「最も美しい歌」などと言われることがありますが
正直、独唱曲はあまり好きではないので
CDで聴いてもあまり心を動かされることはありませんでした。

ですが、生で聴いて考えが改まりました。
なんと美しい歌なんでしょう。

第1曲の途中から、涙が溢れてきました。
というよりも4曲を通して、ほぼ号泣。
何も考えず目を閉じて、只々美しい音色に酔い痴れました。
まさに天上の美しさ。

今更ながら、こんなに感動できる曲に出逢えるとは思っていませんでした。
思い出に残るいいコンサートでした。
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