前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

N響定期 フォーレ、フランセ、サン=サーンス

2010-06-12 21:27:29 | NHK交響楽団
N響定期公演を聴いてきました。

曲目は

 フォーレ:組曲『ペレアスとメリザンド』
 フランセ:クラリネット協奏曲
 サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』

指揮は前音楽監督のアシュケナージです。
アシュケナージのオール・フランス物というのは珍しい気がします。


私は彼の指揮が大変好きです。
(世間一般?の評価は知りませんが)

指揮者の"個性"がオーケストラにもたらすものは、
例えば"燃えるような熱気"だったり"煌くような音色"だったりと
それぞれ違いますが、
アシュケナージの指揮の時は、とりわけ弦楽器群のアンサンブルが
素晴らしいと感じます。

まあ、好みの問題だと思いますが。


ジャン・フランセのクラリネット協奏曲は1969年の作品ですが、
スタイルは古典主義的です。

学生の頃、一度だけラジオで聴いたことがありますが、
第1楽章冒頭のソロ・クラリネットの旋律はハッキリ覚えていました。
それほど印象的な旋律です。
楽しい旋律と技巧がちりばめられた作品です。

ソロは指揮者の次男、ディミトリ・アシュケナージで、
珍しい親子競演となりました。


サン=サーンスの交響曲第3番は1886年の作品です。
フランスロマン派の交響曲としては、フランクの交響曲と並んで
演奏される機会の多い曲です。

フランクの交響曲は1888年ですのでほぼ同時期ですが、
作品の性格が正反対で面白いですね。
フランクは派手さのない"渋い"曲ですが、
サン=サーンスの方は、パイプオルガンにピアノ(四手連弾)、
コントラ・ファゴットもあり、構成も変わっています。


同時代の作曲家グノーは、サン=サーンスの方は絶賛しましたが、
一方フランクの曲に対しては、
「ドグマの域にまで達した不能性の断言」と散々な評価です。


優れたオルガン奏者だったフランクは、
オーケストラを自身の新しい"オルガン"に見立てて
オルガン的響きをオーケストラで再現しました。

サン=サーンスは、その交響曲にオルガンを入れちゃったわけですから、
まあ、なんというか「価値観」の違いでしょうかね。



肝心の演奏の方は、"アシュケナージ&N響会心の出来"
ではなかったでしょうか。

N響定期 ブルックナー 交響曲第7番ホ長調

2010-05-16 14:28:46 | NHK交響楽団
N響定期で、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調を
聴いてきました。

指揮は今年からN響の正指揮者に就任した尾高忠明さんです。

ブルックナーを生で聴くのは久しぶりです。
尾高さんは2007年にもN響でブルックナーの8番を指揮していますが、
その時の演奏をTVで観て「いい演奏だなあ」と思っていたので
今回の演奏を楽しみにしていました。


とてもいい演奏でした。


ブルックナーに関しては"熱狂的な信者"と呼ぶべき人がいますが、
私はそこまでではありません。

指揮者が奇を衒うことなく、真っ直ぐにブルックナーへの想いを表現し
その熱い想いにオーケストラが応えてくれれば、
自ずと素晴らしい演奏になる・・・それがブルックナーの曲だと思います。

細かい"解釈"や"テンポ"の違いなど飲み込んでしまう、巨大な作品です。



N響オーボエ奏者で、エッセイなども書かれている茂木大輔さんは
著作の中で、

  シンフォニー・オーケストラの究極の目標は
  ブルックナーの交響曲を演奏することだ

ということをおっしゃっていました。


ブルックナーの曲は、
例えばベートーヴェンやブラームスなどの交響曲のように、
ある程度の「成功」が必ず約束されている曲ではありません。

"ひどい"演奏(指揮)の場合
これほどつまらない、冗長になってしまう曲は他になく、
それだけにオーケストラの力量が試される、という意味です。

"聴き手"としても、とてもよくわかる言葉です。



かつて日本には「朝比奈隆」という
世界に冠たる偉大な「ブルックナー指揮者」がいました。

指揮者としてのタイプは全く違うかもしれませんが、
今後も、N響で尾高さんの指揮によるブルックナーが聴けると思うと
とても楽しみです。

N響定期 ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調 『英雄』

2010-04-20 18:54:34 | NHK交響楽団
ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調『英雄』を聴きました。


2月17日のエントリーで書きましたが、
『英雄』は音楽史に燦然と輝く傑作でありながら、苦手な曲です。

今回の演奏は今までで一番楽しめましたし、
「いい曲だなあ」と(少し)感じました。
指揮がブロムシュテット氏だったので、
実は「もしかしたら」という予感というか期待がありました。


ブロムシュテット氏の指揮には思い出があります。
N響の定期公演に行くようになって、もう十数年になりますが、
会員になって1年くらいたった頃でしょうか。
氏の指揮でベートーヴェンの交響曲第7番を聴きました。


元々大好きな曲ですが、最初の和音が鳴らされてすぐ、
「ああ、いい演奏だなあ」と思いました。
有名な第2楽章も改めていい曲だなあと感じました。
幸福感に包まれながら聴いていましたが、
第4楽章途中で突然、涙が出てきました。


クラシック音楽の演奏会で涙が出てきたのは初めてのことで、
ちょっと狼狽?しました。
「もうすぐこの素晴らしい演奏が終わってしまう」という
気持ちだったのでしょうか。
それとも「曲の美しさ」に心を揺さぶられたのでしょうか。


取り立てて個性的な演奏ではなかった思いますし、
斬新な解釈があったわけでもないと思います。
むしろオーソドックスな、でもとても丁寧な演奏でした。

それ以来、氏の生演奏を聴くことは、自分にとって特別なこととなりました。



今回もブロムシュテット氏に『英雄』の面白さを教えてもらった気がします。

マーラー 『交響曲第5番嬰ハ短調』 ビシュコフ指揮N響

2010-02-14 10:31:22 | NHK交響楽団
N響定期公演でマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調を聴きました。

先週に引き続き指揮は、セミョーン・ビシュコフです。



早速感想ですが驚きました。 ビシュコフ凄い!!


マーラーを生で聴くのは2年ぶりくらいですが、
これまで第5番はもちろん、それ以外の曲も結構沢山聴いています。

ですが、今日の演奏は私にとって、
今まで聴いたことのない「新しいマーラー」でした。


第1楽章から第3楽章まで、比較的遅めのテンポで
音量も控えめに感じました。
でも、そのせいで各楽器、各パートの旋律が際立ちます。
シンバルや大太鼓の微かな音もとても新鮮でした。

第4楽章「アダージェット」は弦楽器だけの静かな楽章ですが、
逆に過度にロマンティックにならず、淡々と進みます。

第5楽章は普通、怒涛のように盛り上がるので、
終楽章に向けて力を温存しているのかな、とも思いましたが、
一段とテンポを落とし、一層丁寧に丁寧に音を紡いでいきます。
でも決して緩慢にならず緊張感は持続しています。


マーラーの交響曲第5番は、第6番と共に
特に対位法的手法が発揮されている曲ですが
その「立体的」なオーケストレーションが
鮮やかに浮かび上がってきました。

CDで聴いていてもなかなかわかりませんが、
生演奏でも普通は曲の勢いに圧倒され気付きません。


20世紀初頭(1902年)に作られた、
まさにロマン派交響曲の頂点を極めたような曲ですが、
まるで古典派交響曲のような演奏でした。


少々大袈裟かもしれませんが、
バッハ大先生から連綿と連なる西洋音楽の流れ、
そしてハイドン先生からモーツァルト、ベートーヴェンと続く
交響曲の伝統の先にマーラーの交響曲もあったのだ、
と改めて感じます。


マーラーの作品、およびマーラー自身に付けられた
様々なエピソードや解釈、思想などを全て洗い流したような
驚くほど新鮮な姿でした。



もう一度言いますが、本当に「新しいマーラー」でした。

今年生誕150年を向かえたマーラーの「本当の姿」
21世紀の「マーラー像」を見せてくれた気がします。
(N響の熱演にも拍手)


セミョーン・ビシュコフ   凄い!!

ショスタコーヴィチ 『交響曲第1番へ短調』

2010-02-08 12:27:15 | NHK交響楽団
N響定期公演の続きです。

私がいつも行っている定期公演はCプログラムですが、
今回行ったのはAプログラムです。
世界的な指揮者のセミョーン・ビシュコフ氏が
N響初登場するのと、どうしても聴きたい曲だったので。
(よく定期に登場するデュトワやプレヴィンも
もちろん世界的に有名な指揮者ですけど)


どうしても聴きたかったのは、実は『春の祭典』ではなく
(一緒に聴けて幸運でしたが)
ショスタコーヴィチの交響曲第1番へ短調でした。


ショスタコーヴィチが19歳の時、
レニングラード音楽院の卒業作品として作った曲です。
19歳ですよ。ティーンエイジャーですよ。

1926年の初演は大成功で、
さらに当時の有名指揮者がこぞって海外でも演奏し、
ショスタコーヴィチは国際的に知られる作曲家としての
スタートをきりました。

「ソビエトが生んだ最初の天才」
「現代のモーツァルト」
といった賛辞が贈られたそうです。


そんな「国家の宝」だったにもかかわらず、その後
党の方針(社会主義リアリズム)に沿っていないという理由で
批判され危うく収容所送りにされそうになったわけですから、
改めて凄い時代(国)だったと思います。
(それを巧みにかわし続けたショスタコーヴィチも)


若さ故に純粋で、自分の中から溢れ出てくる霊感に
忠実だったからでしょうか?
まさに「ショスタコーヴィチの世界」そのものです。
「交響曲第1番にしてすでにショスタコーヴィチだった」
と評されるのも頷けます。

曲自体、難解というわけではないですが、
私自身はまだよく構造を理解できていません。
ただ聴いていて「面白い」です。
(滑稽とかいう意味ではなく)
ピアノが打楽器の一つとして使われます。


演奏の方は、トランペットにミスが多かったのが
ちょっと残念でした。
そのせいか、ビシュコフの指揮も
その真価を感じ取るまでには至りませんでした。

次回(Cプロ)に期待ですが、
曲目がマーラーの交響曲第5番でこちらも
トランペットソロから曲が始まります。
頼みますよ~。