前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

『内村さまぁ~ず』 あるいは「中2男子の放課後」

2012-02-23 22:54:16 | お笑い
性懲りもなく『内村さまぁ~ず』Vol.19を購入。

何故に自分は、これ程までにさまぁ~ずが好きなのだろう・・・
さまぁ~ずの魅力はどこにあるのだろう、他のお笑い芸人とどこが違うのだろう・・・

前からつらつらと考えていたのですが、
誤解を恐れずに言えばそれは「子供っぽさ」にあるのではないでしょうか。
それも、いわゆる女性の母性本能をくすぐる「少年のような心を持った・・・」
というのとはちょっと違う、おバカな"中2男子"のような。
(決して"幼稚"という意味ではありませんので誤解のないよう)


以前深夜で放送されていた「お笑いさぁ~ん」という番組では、

  「さまぁ~ず(当時はバカルディ)のコントを見て勉強した」
  「さまぁ~ずに憧れていた」

と語る若手お笑い芸人が何組もいました。
同じ芸人が認め憧れる、(同業者だからこそわかる)コントのセンスや技術。

一方で、フリートークや『内村さまぁ~ず』のような企画での子供のようなはしゃぎっぷり。
その「子供っぽさ」は他のお笑い芸人の、意図した"笑いを取るための振る舞い"とは違う、
さまぁ~ずの本質的な部分でないかと感じます。


「さまぁ~ず×さまぁ~ず」では、度々三村さんのお子さんの話題がでます。
中2の娘さん、小2の息子さんとの"心温まる?"エピソード。

  思春期を迎えた娘さんとの微妙な関係
  徐々に悪知恵を覚えてきた息子さんとの共犯?関係

それらの話も、三村さんを"(永遠の)中2男子"と捉えると、
単なる親子関係、子育てエピソードとは別の構図が見えてきます。

  "中2男子"にとって同級生女子("中2女子")は最も手強い相手です。
  "中2男子"にとって"小2男子"は(自分が守ってやれる)カワイイ子分です。

他の小学校から来た見知らぬ同級生や慣れない環境、やけに大人っぽく見える上級生、
期待よりも不安のほうが大きい"中1時代"。
高校受験を控えて、周りがみんなライバルに見えてくるピリピリしたムードの中、
何をやっても心から楽しむことができない"中3時代"。

それに比べて、学校にも慣れ、後輩もでき、受験はまだまだ先の話。
楽しむだけのお気楽極楽な"中2時代"。

そんな"中2男子"の楽しげな雰囲気が、さまぁ~ずのお笑いの根底にあるのではないでしょうか。
(バカだなあ~と思いつつも憎めない)


"中2男子"三村さんに対して、ちょっとだけ"大人の"知識を仕入れた"中2男子"大竹さん。
三村さんに「お前、そんなこともしらないのか、子供だなあ~」と大人ぶる感じ。
(「大竹は何でも知ってるなあ」とちょっと尊敬の眼差しの三村さん)
そんな(昔から変わらないのであろう)お二人の関係が想像されます。
(実際にお二人が出会ったのは高校生の時ですが)


『内村さまぁ~ず』Vol.19に収められている
「#58 女性の扱いにそこそここなれた男たち」(ゲストMC:土田晃之さん)。
TV地上波ではない、インターネット配信という"治外法権"の校舎で、
思いっきり遊ぶ、さまぁ~ずのお二人と内村さん。

女性ゲスト(和希沙也さん)もいるせいか、羽目をはずしまくります。
まさに「中2男子の放課後 下ネタパラダイス」。 あ~楽しい。



<追記>
何度も「子供」という言葉を使っていますが、これは「大人」の対比語として使用しました。
では、大人と子供は一体何が違うのでしょう。
年齢と身体的兆候以外、大人と子供を区別するものはない、そもそも「大人」などいない、
そう考えています。

人はある時から「大人として振舞う」ことを要求されます。
その要求に応え、「大人」という仮面を被っている(被らざるを得ない)に過ぎません。
ですから誰もが、その仮面を外し、「子供」に(素に)戻る時間を求めます。
意識するしないにかかわらず。

人によってそれは、お酒を飲んで酔っ払うことなのかもしれませんし、
ペットとじゃれ合ったり、カラオケで熱唱したり、
サッカーや野球で泥だらけになって走り回ることなのかもしれません。

今の自分にとってそれは、さまぁ~ずと一緒に"中2男子"に戻って大笑いすることでした。
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『 KOYAANISQATSI 』 (コヤニスカッティ)

2012-02-16 00:10:17 | 舞台・映画など
『KOYAANISQATSI』(コヤニスカッティ)というドキュメンタリー映画を初めて観たのは
随分前のことです。

昔、確かフジテレビだったと思いますが、途中CMを挟まず映画をノーカットで
放送する深夜番組がありました。
そこでは今でも印象に残る(後にDVDを購入した)作品が何本かありましたが
その一つが『KOYAANISQATSI』でした。

映像と音楽だけで90分弱、1982年製作の作品です。
最近では、自然ドキュメンタリー系で同様の作品は結構ありますが、
それらの先駆けでもあり、また一線を画するものでもあります。

男声の超低音で「コヤニスカッティ」と歌われる、極めて印象的なオープニング。
高速度または微速度で撮影された、自然、人工物、交通、人々の動き・・・。
それらがミニマルミュージックの創始者の1人、フィリップ・グラスの音楽に乗せて
展開していきます。


「コヤニスカッティ」とは、アメリカ先住民族ホピ族の言葉で次のような意味があります。

 1.常軌を逸した人生
 2.混乱した社会
 3.平衡を失った社会
 4.崩壊する社会
 5.他の生き方を脅かす生き方

本作品を観た方ならお分かりになると思いますが、
これらの意味と合わせて、「21世紀映像黙示録」と呼ばれる本編映像から
「文明社会への警鐘」「環境破壊への批判」といった"メッセージ"を受け取ることは容易です。

でも、優れた"テキスト"は、それが本来意図したこと以上のものを語るといいます。
この作品に台詞もナレーションも付けなかった(必要としなかった)意義は、
そこにこそあるのだと思います。


先住民族の壁画らしきものが現れた後の最初のシーン。
ロケットが発射される様子が映し出されます。

エンジンが火を噴き、機体に付いていた氷が剥がれ落ちる中ストッパーが外され、
重力の呪縛を振り解き、宇宙へ向かって上り始めるロケットは「文明の象徴」でしょうか。


荒涼とした大地、砂漠の風紋、雲海、流れ落ちる瀑布、砂漠に伸びる送電線、
ハイウエイを走る無数の車、ゴーストタウンと化した街、爆破解体されるビル、
夜の闇の中、光の筋となった高速道路網、機械機械機械・・・人人人・・・
それらが独創的な撮影手法で切り取られていきます。


そして最後にもう一度ロケットが現れます。
宇宙を目指して進む中、大爆発を起こしバラバラに砕け散る機体。画面を覆い尽くす爆煙。
カメラは燃えながら落ちていく、エンジンの一部と思しき破片を捉えます。
スローモーションでゆっくりと回転しながら落ちていく「文明の象徴」。
これほどまでに"悲しい"映像は他にあるでしょうか。


かつては自分もこの映像を観て、文明の脅威と脆さ、人類の叡智と驕り、自然破壊、
そんなことを感じたのかもしれません。

しかし、時代も社会も人々の価値観も変わった今、環境破壊への警鐘やエコロジーが叫ばれる今、
胸に去来するものは全く違います。

文明や人類といった大仰なものではなく、もっともっと小さな、個人的なもの。
密かな自信や価値観、希望や夢・・・自分だけの大切なものが無残に破壊されていく。
そんな悲しみを、落ちていくロケットの残骸に重ね合わせます。


公開から30年が経ち、大きく時代が変わった今でも、新たな意味を持って迫り来る。
それこそ『KOYAANISQATSI』が、(少なくとも自分にとって)優れた"テキスト"である証です。


監督:ゴッドフリー・レジオ
製作:フランシス・フォード・コッポラ
音楽:フィリップ・グラス


<追記>
DVD本編中では「KOYAANISQATSI」は「コヤニスカッティ」と訳されていますが、
ジャケットの表記は「コヤニスカッツィ」となっています。
発音表記では「カッツィ」の方が近いと思いますが、ここでは「カッティ」で統一しました。

なお『KOYAANISQATSI』は、その後に公開された『POWAQQATSI(ポワカッティ)』(1988年)、
『NAQOYQATSI(ナコイカッティ)』(2002年)と併せて『カッティ三部作』と呼ばれています。
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ハイドン先生のお言葉 「笑う門には・・・」

2012-02-12 08:50:54 | 先生のお言葉


笑うことは健康にいいんですよね。せんせい。

そうですよ。ですからドミトリー君も笑って、笑って。
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『内村さまぁ~ず』DVD Vol.20 Vol.22

2012-02-11 16:15:23 | お笑い
最近はクラシック音楽ではなく、
すっかりお笑い番組が「主食(兼、精神安定剤)」となっています。
いい加減、ハイドン先生にも怒られそうですが。


地上波放送されている"さまぁ~ず"メインの番組はほとんど見ていますので、
インターネット配信の『内村さまぁ~ず』のDVDを買いました。
(一部関東ローカル局で再放送?もありますが)

DVDもすでに30巻以上発売されていますが、今回、Vol.20とVol.22を購入。


お笑いに対する最大限の"賛辞"としてですが、ほんとにくだらない!!
いい年をした大人達がなにをやっているのでしょう。久々にお腹が痛くなるくらい笑いました。

中でもお薦め?は、Vol.22に収録されている「♯69 町のサウナ屋さんぶらり旅!」。
ゲストMCは、ビビる大木さんです(別名"のちに評価される男")。

温泉やサウナを利用しながら、その都度、
「店員の訳アリ度」、「ロッカーの将来性」、「お湯の意外性」
などをレポートしなければならないのですが、すかっり"裸祭り"企画となってしまいました。

今や伝説となった番組「内村プロデュース」では、度々温泉ロケがありましたが、
久々にさまぁ~ずのお二人が全裸姿を晒しています(もちろんモザイク入ですが)。


それにしても、内村光良さんとさまぁ~ずの関係は独特というか"特別"です。
「新ウンナンの気分は上々。」でバカルディからさまぁ~ずに改名した(させられた)時からの
濃い関係ですが、もはやお笑い芸人の先輩後輩ではなく"友達"です。

そもそも「内村さまぁ~ず」という番組自体、
さまぁ~ずが「内村プロデュース」終了後も内村さんと飲みたい(会いたい)という目的で
始まった番組らしいですから。


内村さんとの番組内では、さまぁ~ずのお二人は、

 見ている人達(視聴者)を笑わせることよりも、内村さんを笑わせたい
 ("内村さんを笑わせているさまぁ~ず"を見て楽しんでもらいたい)

ということを第一に考えているそうです。

Vol.22の"裸祭り"がまさにそれです。
ロッカーの将来性をレポートする内村さんに対して、客に扮した大竹さん、三村さんが
"着替えをしている体"でパンツを脱ぎ、これみよがしに股間をアピールします。
(内村さん、涙を流して笑っています)


ほんとにくだらない。ほんとにバカバカしい。
だから、ほんとにほんとに大好きです。

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