今月,和歌山県で小学5年男児が,また神奈川県では中学1年男子生徒が刺殺されるという痛ましい事件が起きました。これからの時代を生きる若齢期真っ只中のいのちが失われるのは,なんとも悲しい話です。
未成年者が被害者になったり被疑者になったりした場合,少年法の規定や人権擁護の立場などから実名報道を控える例が多い中,今回は,被害児童・生徒は実名で報道されました。事の重大性から敢えてそうなされたものでしょう。
その報道ぶりでちょっと立ち止まって感じたことが一つ。それは被害者の呼称のことです。そこから,報道機関の姿勢がなんだか見えるような気がしたのです。
例1。和歌山県事案(小学生)の場合。
- 「さん」付け……NHK
- 「君」付け………M紙,A紙,Y紙,S紙(以上全国紙),K紙(ブロック紙)
例2。神奈川県事案(中学生)の場合。
- 「さん」付け……NHK,M紙,A紙,S紙
- 「君」付け………Y紙,K紙
ここから指摘できるのは,以下の点です。
- 小学生,中学生を問わず一貫して「さん」付けしているのはNHK。
- 小学生,中学生を問わず一貫して「君」付けしているのはY紙,K紙。
- 小学生と中学生の間に意識差があるのはM紙,A紙,S紙。
報道機関の姿勢って,様々だなあとついつい感じてしまいました。「これが小学1年生ならどうなのか」「高校生ならどうなのか」。想像すると,またまた話のタネになりそうです。
なお幼児の場合ですが,先日のNHKニュースでは,2歳の女の子は「ちゃん」,4歳の男の子は「君」でした。一貫した姿勢に見えるNHKにしても,やっぱり,どこかに境界線を設けているようです。
ところで,これまでに「さん」「君」の境界線がどこにあるかなんて,まったく聞いたこがありません。自ずと,そしてそれなりに,各社でできているのかもしれません。それだけ,世間でも曖昧模糊とした話題なのでしょうから。
以上は,単なる問題提起程度の話です。

ここで,すこし脇道にずれます。
過去を振り返ると,男子児童・生徒には「君」,女子児童・生徒には「さん」付けが当たり前の時代が続いてきました。やがて人権意識なり男女共生意識なりの高まりとともに,おしなべて「さん」付けにしようという声が一部から出てきて,運動に発展するかに見えました。その動きは,「男女混合名簿」運動と重なっていたように思われます。
その頃,わたしは小学校に勤め,学級担任をしていました。あるとき,近隣の学校に職員研修会に招かれ,学級づくりについて話す機会がありました。講話後の質疑応答で出てきたのが,この呼称話でした。
一人の方が「わたしたちの学校では,男の子を『さん』付けにしなくちゃいけないのかどうかで,議論しているのですが,先生はどう思われますか」と聞いてこられたのです。
話を聞いていくと,学校として人権の視点でかなりの取組をしていらっしゃって,職員の意識が高まっている様子。そんな中で,「さん」付けというかたちにこだわることがどんな意味を持つのか,わかりかねるし,ほんとうにこだわり抜くのがいいのか,迷いがあるというわけです。
(つづく)
(注)写真は本文とは関係ありません。