私としては、まだ「敬老の日」は9月15日というのが抜けなくて、今日が「敬老の日」だと言われても、どうもピンときません。
ピンと来ないのは日程だけではなく、「敬老」の対象となる方々もどうもよくわかりません。
具体的に「○○歳以上が”老”と呼ばれる」と定めてあれば、それに従うのですが、たとえそうだとしても、現代のお年寄りは、千差万別。見かけも中身も老若男女幅が広すぎです。
お世辞を抜きにして、どうガンバッテみても、50歳代にしか見えない方が70歳すぎだと言われたり、
弱々しい感じで、これはかなりのお歳だと思った方が、まだ50歳代だったり...。
元気いっぱい、行動的な人生の大先輩のハツラツとした姿を見ていると、体のあちこちが痛いだの「最近老眼で...」などという会話をしている私達の方が、よっぽど老人です。
(なのに敬われるほどの中身はなくて、どうしたら良いのでしょう?御同輩の皆様!?)
ニュースなどを見ても、実に御元気な方々が、あちらこちらで取り上げられています。
今どきの「敬老の日」は、制定された頃の意味合いとは違って、
「元気いっぱいの人生の大先輩から、ほんのちょっと元気を分けて貰う日」
なのかもしれません。
ピンと来ないのは日程だけではなく、「敬老」の対象となる方々もどうもよくわかりません。
具体的に「○○歳以上が”老”と呼ばれる」と定めてあれば、それに従うのですが、たとえそうだとしても、現代のお年寄りは、千差万別。見かけも中身も老若男女幅が広すぎです。
お世辞を抜きにして、どうガンバッテみても、50歳代にしか見えない方が70歳すぎだと言われたり、
弱々しい感じで、これはかなりのお歳だと思った方が、まだ50歳代だったり...。
元気いっぱい、行動的な人生の大先輩のハツラツとした姿を見ていると、体のあちこちが痛いだの「最近老眼で...」などという会話をしている私達の方が、よっぽど老人です。
(なのに敬われるほどの中身はなくて、どうしたら良いのでしょう?御同輩の皆様!?)
ニュースなどを見ても、実に御元気な方々が、あちらこちらで取り上げられています。
今どきの「敬老の日」は、制定された頃の意味合いとは違って、
「元気いっぱいの人生の大先輩から、ほんのちょっと元気を分けて貰う日」
なのかもしれません。