鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 重富麓・秋 02

2009-11-11 | 麓-姶良地区

昨年春に比べて重富麓で変った点がもう一つ。売地になっていた土地に新しく事業所が建った。

 

売地に建っていた武家門は新しい事業所の表玄関として利用されていた。背後は岩剣山

 

 

 

 

 

竹垣の残る小路をあるく。いい感じ♪

 

 

 

重富麓は敷地が整然と区割りされ、野積みの石垣により囲まれている。

生垣や竹垣もよく残っている。

 

重富麓は背後の岩剣山とも相まって麓らしい良好な景観が残っています


2009 重富麓・秋

2009-11-09 | 麓-姶良地区

10月、姶良町の重富麓を訪れる。昨年春以来。前回訪問に比べて変った点が2つばかりあった。

平松小(平松城址)前の馬場。左右に野積みの石垣、その上に生垣が延びる。

奥方左に平松小学校正門がある。

 

秋らしくあちらこちらに柿が実っていた。里の秋の風景。

 

 

重富麓は一戸当りの敷地が広い。竹垣は綺麗に剪定されていた。

 

 

 

重富麓に残る代表的な武家門。昨年春訪れた時に比べて門の支えを強化したようだ。

 

門自体は屋根も壁も特に問題なさそうに見えるが、予防措置ということだろうか

 

(続く)


2008 加治木・岩原~港町

2008-10-25 | 麓-姶良地区

加治木町の岩原地区に武家門がいくつか残っている

 

 

岩原の旧道沿いにのこる武家門。ここは一度取り上げたことがある

 

 

旧道沿いに古い加治木石の石垣が残る。柔らかい石垣が一部うねっている

 

 

網掛川をはさんだ対岸の港町付近を散策する。

珍しい構図の武家門。別の位置から移設したのかも。

 

港町公民館。加治木石の古い石垣が残る

 

 

加治木石はコンクリートにはない味わいがある。

 

加治木石は堅硬、耐風化、耐熱に優れ、昔から土蔵石、壁体、基礎石、築窯材料などに広く使われてきた。

町並み形成に活用してほしい。


2008 加治木麓

2008-09-13 | 麓-姶良地区

仮屋町界隈。右は裁判所。奥の樹木がこんもりとした所は加治木島津家の屋形跡

加治木町の中心で外城の雰囲気が残る地区は仮屋町くらいかも知れない

加治木島津家屋形の跡

 

 

敷地内に東の丸(加治木高校)、中の丸、西の丸(柁城小学校)の各屋敷が並ぶ広い屋形であった

 

護国神社

 

加治木高校

 

柁城(だじょう)小学校

 

加治木高校の石垣付近より仮屋馬場通りを眺める

 

左は加治木高校、右は柁城小学校の塀。塀の瓦は丸に十字の紋入り

 

 

仮馬場通り。右の生垣はかつての桑幡家、新納家の屋敷地にあたる

 

町立加治木図書館と郷土館

郷土館では「もう一人の篤姫」光蘭院貞姫の生涯展を開催していた

ふらりと郷土館に入ったら館長さんから貞姫持参の巻絵(桜島、霧島、開聞岳)について感想をいろいろ聞かれてしまった。貞姫は加治木島津家第9代領主久長の次女として生まれ、島津斉彬の養女となり、薩摩藩から関白近衛家へ嫁いだ。近衛文麿は貞姫の孫にあたる。

敷地内にある洋風建築。昭和12年築。国の登録有形文化財。

昭和の香りのする居心地よさそうな建物だ

日本家屋。昭和初期の香り漂う。国の登録有形文化財

 

石柱、石垣、生垣が残る

 

(訪問記)

加治木は独特の風合いをもつ加治木石が有名。町内を車でまわると加治木石を使った石垣や門、石倉を見かける。加治木石は加治木の景観を特徴付ける重要な要素。街づくりに歴史ある加治木石を活かしてもらいたい。加治木石のある風景をいずれの日か取り上げてみたいと思う。


2008 加治木・曽木家の茅葺門

2008-09-11 | 麓-姶良地区

曽木家の茅葺門。袖屋根付き。観音開きの潜り戸付き

加治木町は島津義弘の館址のある城下町。空襲を受けたためか城下町や麓としての雰囲気に乏しい

ところが加治木町の市街地で茅葺門を見つけた

茅葺門は入来の入来院家、高山の二階堂家にもある

古文書によると、曽木家の門は曽木家の祖先が木崎原の戦いで戦死したため島津義弘から軍功として拝領した飯野城の大手御門だという

現在の門は十八世紀頃に武家門に作り替えたもの(説明書要約)。控え柱に自然木を用いている

(続く)


2008 吉松麓

2008-07-16 | 麓-姶良地区

栗野の市街地から国道268号を北に進み吉松に向かった

 

吉松の市街地に入る手前の国道沿いに武家門を見つけた

 

隣にも石垣が続く

 

 

吉松の市街地から少し北東に入った山裾に“麓”の地名が残っている。

田圃の向こうの麓地区を訪れた

 

 

地区内に武家門は見当たらないが、石柱の門がいくつかある

 

 

 

 

 

麓の石敢当

 

石垣が残る屋敷跡

 

吉松麓の遠景

(訪問後記)

吉松麓は石垣や所々に残る生垣、石敢当などに麓の面影が残る。全体としては麓らしい景観が失われつつあるようだ。栗野ICから鹿児島に戻る。


2008 栗野麓

2008-07-13 | 麓-姶良地区

9日、湧水町を訪れた

丸池湧水。JR肥薩線栗野駅の裏手にある。日本名水百選

 

湧水町は霧島山麓に位置し旧栗野町と旧吉松町が合併してできた町。新しい町の名前は絶えず冷水が湧き出でる丸池(旧栗野町内)と竹中池(旧吉松町内)に由来するものだそうだ。

丸池の脇にホタルが飛び交ってくれそうな小道がある。丸池から湧き出る水が脇を流れている。

 

小道の先に丸池菖蒲苑がある。残念ながら菖蒲はなし

 

田の向こうに武家門があった。

 

武家門の屋根を支える柱は石柱。

 

左右の袖壁と柱が石材で一体に作られているようだ。石柱の上に冠木を渡し束を立て屋根を支える構造になっている。

石柱はいつの時代のものか。明治・大正か。石柱で屋根を支える武家門は初めて見た

 

 

 

栗野麓はこんもりした森の松尾城の麓、現在の栗野小学校(地頭仮屋跡)から心光寺一帯に形成されたとみられている

(訪問記)こんどはゆっくり散策したい


2008 山田麓 02

2008-06-15 | 麓-姶良地区

山田麓の続き。麓の中央を通る馬場にて。奥に山田の凱旋門が見えます

 

馬場に残る石垣と生垣

 

馬場につながる細い路地に残る武家門

 

 

 

 

 

 

 

別の路地にも武家門が残っていました。立派な石垣も

 

 

 

 

 

 

最初の馬場と並行に走る別の馬場へ。石垣ときれいな生垣が続きます。

 

 

 

 


2008 重富麓・栃山

2008-06-15 | 麓-姶良地区

国道10号線から重富麓に向けて左折すると途中に栃山集落がある

旧県道沿いに低い石垣と2段の生垣がつづく。栃山集落は重富郷の地方郷士が暮らした地区のようです

 

石柱の門の手前にもサツキ(ツツジ?)が左右に植えられている。見事

 

 

 

栃山のバス停付近

 

アジサイが咲く

 

 

集落内の路地。右側に竹垣が続く。

 

キンチク竹の垣根。30年位前はどこでも見られた風景だった気がする。

 

突き当たりに石敢当。丸に十の字の意匠が施されている点がめずらしい

 

 

道を左に左折して登っていくと布引きの滝へ

遊歩道が整備され、右に行くと布引の滝。正面を登ると歴史国道の白銀坂

 

木道が整備され、滝つぼの近くまで近づくことが出来る

 

布引の滝。推定落差20m。夏は涼しそう

 

JR重富駅。駅舎は和風の落ち着いた建物

(訪問一口メモ)

布引の滝へは遊歩道入口の駐車場を利用できる。集落内は道が狭いので徐行したい。

一人よりもできれば複数人で。時間と体力があれば歴史国道白銀坂を訪れるのもよい。


2008 山田麓の風景

2008-06-14 | 麓-姶良地区

姶良町山田は日露戦役記念の凱旋門が有名

 

蒲生郷から姶良町にある山田郷を目指し車を走らせました

道沿いに咲くアジサイの花

 

田植えの時期。整地した田に水を張っていました

 

西田の田の神さあ

 

 

山田郷に向かう途中、石造りの建物を見つけた。JAの倉庫かと思ったが

 

正面に廻ってみると何とお寺の本堂であった。国の登録有形文化財。明治39年築

新照寺。石造りの本堂はめずらしい。

姶良町には石造りの民家や倉庫が数多く残り、石造りの文化があった。その影響か。

新照寺は本堂、石造りの正門、石塀、通用門の4件を併せて国の登録有形文化財に登録されている。

答申によると「本堂が石造りで外壁4隅を算木状に突出する。正門は石柱に几帳面を施し、頂部の笠石に反りをつける。石塀は城郭風石積擁壁の上に尺角状の長石を3段に積み、頂部に笠石を載せる。通用門は長石を門柱とし、柱間に屋根型の楣石を載せる。」点が特徴。本堂は明治25年、他は明治28年築。

 

 

 

凱旋門側から山田麓の入口を眺める

(続く)