鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2013 沖縄・ガラスボート体験

2013-05-21 | 沖縄

沖縄の続き。

新原(みーばる)マリンセンターでガラスボート体験する。

ここは素朴な海底観光センターであるところがうれしい。国道入口に素朴な看板があるだけ。

 

レンタカーのナビを頼りにビーチにたどりついた。

 

 

ビーチは風がつよく、ボートの順番がくるまでテントの中で待つようになっている。

 

我々の乗るボートがやってきた。

 

ビーチはすごく遠浅である。船外機を付けたボートで沖合いまで出る。

 

覗き込まないでくださいとアナウンス(船酔い防止)あるけど、みんなガラス越しに海底をのぞく。

ボートは沖合いの複数のポイントで停止する。ガラスの下をカラフルな魚が次々と横切る。

珊瑚礁の上や切立った海底の崖の上、深い海溝の上でも停止。

 

 

息をのむ光景がガラスの下に広がり、興奮の連続。是非訪れたい場所です。

訪れないのは実にもったいない。


2013 琉球の風・士族屋敷

2013-04-28 | 沖縄

沖縄旅行の続き。読谷村にある施設(むら咲きむら)で絵付け体験をしました。

NHK大河ドラマ「琉球の風」のロケセットがそのまま残っています。

 

町割りや石垣に琉球王朝当時の士族が住む集落の風景を感じさせてくれます。

経年で屋敷や石垣がいい感じに落ち着き、もはやロケセットに見えない。小鳥のさえずりも聞こえる。

 

絵付け教室にて

 

復元された士族屋敷の門。

 

赤瓦を除けば左右に小屋根がつく姿は本土の武家門と類似性を感じます。


2012 沖縄・戦跡

2012-04-08 | 沖縄

2日目、沖縄本島南部の戦跡を訪れる。摩文仁の丘、沖縄平和祈念公園へ。

摩文仁の丘は沖縄戦最大の激戦地で沖縄戦終焉の地。

沖縄戦で犠牲となった人々の名前が刻まれた碑が海に向かって放射状に建っている。

 

 

 

ひめゆりの塔へ。

旧陸軍病院第三外科壕の入口手前に小さな碑がたっている。みんなで合掌。

 

旧海軍司令部壕へ。那覇空港に近い丘にある

防空壕は枝分かれした坑道といくつかの部屋からなる。壕の一部が一般公開。壕内部を駆け足で見学する。

小学校の授業で先生が大田司令の電文をみんなに紹介したことがある。

あらためて電文を読み返すと当時の沖縄の人々の献身的な状況がよく伝わる。

当時の大本営の指導者達がどれだけ受け止めることができたのだろうか。

飛行機の時間もあって駆け足だったが、次に訪れるときは戦跡をゆっくりと巡ってみたい。


2012 沖縄・那覇

2012-03-30 | 沖縄

翌日はレンタカーを借りて那覇市内見物にでかけました。

首里城麓にある瑞泉(ずいせん)本社へ。ここは古くから泡盛を製造しているところ。

町並みも雰囲気があります。

 

試飲コーナーで43度もある泡盛を小さいグラスで試飲する。

のどが焼けて後が大変なのでお水と一緒に。黒糖を一緒に食べるとちょうどいい感じ。

工場見学後、泡盛と梅酒を土産に購入しました。

 

瑞泉の駐車場から首里城が見えます。昔は山の上に(琉球王朝の)王様が暮らして

見上げながら麓で暮らしていたんだなあと想像しました。

 

お昼はてんてんというお店に移動。外観は一見廃屋みたいだが店内はとてもいい雰囲気

 

ウォーターグラスがおしゃれ。グラスから花の香りが漂う。庭先にはバナナの木

沖縄そばを注文。ここの沖縄そばは、ちぢれ麺を使っていてスープとよく絡まりとても美味。

 

JA農連の古い市場へ。アロエを売っている。食用か?

 

 

牧志市場を見物して国際通りへ。最高気温26℃。

ヘリオスパブで休憩。地ビールを4種類小グラスで楽しめるお試しセットを注文


2012 沖縄へ

2012-03-23 | 沖縄

3月中旬に沖縄へ。

ANAで鹿児島空港10:20発、那覇空港11:40着。出発時はあいにくの天候。

飛行中、本土から沖縄本島までの間の島影は残念ながら見えず。

到着後ターミナルへバスで移動。

最高気温26℃。沖縄の空気は鹿児島と違う感じがする。

空港内でソーキそばを注文。八重山そば、宮古そばなどもあるが総称して沖縄そばというらしい

 

ゆいレールに乗る。那覇空港から那覇市中心までモノレールが通る。アクセスが非常に便利。

新都市こもろまちまで移動。鹿児島空港は不便です。

 

 

こもろまちからマイクロバスで沖縄自動車道を経由しうるま市へ。

マイクロバスから見かけた米軍施設と住宅。他地区よりも敷地がゆったりしている。空き物件が多いらしい。

一般向けに開放したら米軍と地元の関係が改善されるのだろうが、セキュリティー上難しいのだろう。

 

 

夜は沖縄料理。

 

みんなで夜の首里城見学に出発。守礼の門。ライトアップされていて綺麗です。

丘陵地のてっぺんにある首里城を行き渡るさわやかな風が気持ちいい。

 

 

 

里城の麓にある古民家を利用した琉球茶房あしびうなぁでお茶する。

17世紀の琉球王朝当時の上級役人(王族クラス)の御殿(美里御殿)があった跡で庭が雅な感じ。

首里城の周りを囲むように御殿や屋敷があったんだなと想像する。

庭先のテーブルで庭を眺めながら渇いたのどを潤す。いい気分。

 

夜はとても雰囲気のいいお店です。


2009 沖縄・竹富島 04

2009-02-11 | 沖縄

竹富の中心から少し離れた中筋集落は観光牛車が通らず、ほとんど観光化されていない。

古い集落風景が最も残る地区といえよう。

 

中筋集落内の風景

 

道には珊瑚や貝のかけらが撒かれているのがよく分かる

 

幹の太い立派なフクギに囲まれている古い民家があった

 

竹富島の集落は、赤がわらの屋根、魔よけのシーサー、石灰岩の石垣、ひんぷん、福木の並木、サンゴ砂の道、草花の植え込みなどで構成されています。この付近は、竹富島の伝統的なたたずまいを、今も色濃くのこしている地域の一つです-案内板より- 

 

 

箒の跡が残る。すがすがしい道です

 

フーヤと称される主屋は田の字四部屋を基本とする寄せ棟造り

 

主屋の西側に炊事棟であるトーラを配する。いわゆる分棟型が竹富島の伝統的な民家形式

 

こちらの民家には中庭にバナナの木が植えられている

 

そろそろ港に戻る時間なので、東集落の方へ戻る

 

萱葺きの家屋がもう一棟あった。こちらは納屋のようだ

 

東集落。こちらも相当古い造りの民家のようだ

 

シーサーにお別れして竹富島を後にした

後記)

竹富島は1960年代頃までは約40%が茅葺屋根。その後の島のみなさんの取り組みによって美しく統一された赤瓦の屋根の数々が整えられたそうだ。町並み保存の取り組みは大変だが竹富島の素晴らしい風景がこれからもずっと残ってほしい。港から海上を矢のように走る定期船に乗り、石垣港へそして石垣空港へ向かった。

竹富島を学べるサイト

竹富島ゆがふ館(http://www.taketomijima.jp/

全国竹富島文化協会(http://www.napcoti.com/


2009 沖縄・竹富島 03

2009-02-10 | 沖縄

竹富島のつづき。

竹富島には見どころとなる浜がある。案内マップに従って自転車でそれらを見て回る。

西桟橋。西側にあるため夕日の絶景ポイント。かつてはここからサバニに乗って向かいに見える西表島へ農作業に出掛けたそうだ

 

集落の外を走る外周道路。西桟橋から隣のコンドイビーチへ

 

コンドイビーチ

コンドイビーチから隣のカイジ海岸へ

 

星砂の浜です

 

ハスノハギリの葉の下でうたた寝をしたい。ちょっと風が冷たいか

 

土産店の屋根の上からニャー

 

カイジ浜にいる猫たち。寝そべって動こうとしない

 

カイジ浜から中筋集落へ向かう途中の風景。柵の向こうは牛の放牧場のようだが、牛は見当たらず

 

途中で牛を見かけた。水牛には見えないので肉牛だろうか

この後、中筋集落内を散策した。

(続く)


2009 沖縄・竹富島 02

2009-02-09 | 沖縄

竹富島のつづき

竹富島は東集落、西集落、中筋集落がお互いに寄り添う形で集落を形成している。西集落にあるなごみの塔に登ってみた

 

なごみの塔からの西集落の眺め。

なごみの塔は上り下りの傾斜がきつく、てっぺんも狭いので登るには少々怖いくらい

 

御嶽と言われる聖なる場所。島内には多くの場所に御嶽がある

 

デイゴの大木。春には赤い花を咲かせてくれる

 

レンタサイクル店でもらった案内マップを見てもどこをどう走っているのか方向が途中で分からなくなってしまう。

不思議な感覚だ。初めての土地でも土地勘に自信があるほうなのだがここではだめ。

目印になりうるものが集落に見当たらなかったからだろう。

 

 

竹富島の代表的な民家の数々。

修復後の民家と思われる。修復に使う古材や赤瓦は隣の石垣島で解体された民家から再利用されるそうだ

 

珊瑚を積み上げた立派なヒンプン(魔除けの塀)を備えている。どの民家も入口が南向き

 

こちらの民家は石垣が綺麗に積み上げられている

 

萱葺きの民家も残っていた

 

再び観光牛車が横切る

 

お昼時。水牛も休憩する

 

集落内の道はまるで砂浜を歩いているようだ。自転車は進みにくい

 

集落には民宿が多い。入口や中庭をいっぱいの花で飾っているところが多い。

島の経済は主に観光で成り立っている。年間40万人を超える人がここ竹富島を訪れる。数は年々増えている。

(備考)

年間40万人以上の観光客が訪れる竹富島には目立たないようにインフラがきちんと整備されている。

道路上に見えるマンホールの蓋はその一部。集落の外には下水道浄化施設が整備されている。(続く)


2009 沖縄・竹富島 01

2009-02-09 | 沖縄

竹富島は国の重要伝統的建造物群保存地区として知られている。

石垣空港発15:40までの滞在時間を利用して竹富島を訪れた。

石垣港離島ターミナル。立派な施設。

ここから竹富島・西表島・小浜島・波照間島・黒島・鳩間島の各離島へ定期船・チャーター船が出港する

 

竹富島行き桟橋。竹富島まで片道580円。約10分。30分毎に出港する

土曜日でもあり竹富島行きは満員。日本語に混じって中国語が飛び交う。乗客の8割位は台湾からの観光客か。

中国語でおしゃべりをする小学生らしき子供を二人連れた家族に親近感をとても覚えた。

 

海上を疾走する石垣港行きの定期船。

隅田川の遊覧船みたいにのんびりと島に渡ると思いきや、港を出たとたんに速度を上げ、矢のように竹富島へ走りだす。

10分で到着するのはそういう理由ね・・・

外洋は波のうねりが強く、船底がドーンと谷間に着水すると船内でキャーという声。

船が前後に真っ二つに折れるのではと少し不安になった(そんなことはないのだが)

 

もうすぐ到着。竹富島は起伏がなく真っ平な島

 

竹富島離島桟橋に到着。立派な施設。

マイクロバスに近づくとレンタサイクル利用者は集落まで乗せてくれるという。もちろん乗せてもらう。

昨日の石垣島が最高23℃とはいえ、竹富島は風が強く、上着一枚欲しいくらい

 

竹富集落の中心を通る道路。角に竹富郵便局。手前に進むと竹富小学校。

集落の外側を走る環状道路を除けば、集落内で唯一の舗装道路かもしれない

 

レンタサイクル(300円/時間)を借りて集落内をぶらぶら散策する。

集落内の道は白砂が敷かれ、左右の石垣は珊瑚が積まれている。

 

白砂の道。珊瑚の石垣。石垣の上にのぞく赤瓦の屋根の数々。竹富島には沖縄の古い風景が残っている。

時間がゆっくりと過ぎる島だ。せめて一泊してのんびり過ごしてみたい。

 

石垣の上に咲くブーゲンビリアの花がよいアクセントになっている

 

 

道は清掃がゆき届いているようだ

 

観光牛車が通り過ぎた。

観光牛車に乗ってのんびり揺られながら景色を楽しむのもよさそうだ。奥に見えるのはなごみの塔。

後からきた観光牛車が通り過ぎるのを手前で待っていたら、手前の道に曲がるのでちょっとどいてくれという。

道幅が狭いので牛車が角を曲がるときに自転車が邪魔になる

 

いい調子でガイドが説明してくれる。サンシンを弾いてくれるガイドもいる

(続く)


2009 石垣島・赤瓦民家

2009-02-07 | 沖縄

石垣島のつづき

赤瓦の民家が字(あざ)石垣地区に多く残っている。

石垣交差点付近に残る赤瓦の民家。途中、通り雨があった

 

赤瓦民家が二棟並ぶ。ヒンプン(魔除けの塀)は赤瓦か煉瓦を積んで頂部に赤瓦を載せる。再び日が射してきた

 

字(あざ)石垣にて。ヒンプンはブロック塀だが、屋根の赤瓦は古そうです。

竹富島で聞いたが、古い素焼きの赤瓦は雨漏りするのでそれが一番の問題らしい。

 

字(あざ)石垣にて。赤瓦の古い民家が四棟並ぶ。中央に防風林のフクギも見える

 

字石垣にて。宮鳥御嶽。

石垣市の中心は石垣・登野城・大川・新川の四つの字(四箇)から構成され、字石垣は四箇の発祥の地とされている

 

赤い花はブーゲンビリア?

 

一口にヒンプンといっても形が様々

 

この民家も古そうだ

 

この地では珍しく石柱の門構えがあった

 

防風用のフクギの残る通りがある。昔はもっと屋敷の周りにフクギをめぐらしていたのかもしれない

(訪問記)

石垣島の石垣市街地には赤い琉球瓦を屋根に載せた古い民家が数多く残り、独特の景観が残っている。

今のところ、それを観光資源や町並み作りに活かそうという動きはなさそうだ。純粋に生活の一部として残っている感じがした。

私から見ると貴重な地域資源なのだが。翌日、隣りの竹富島へ船で渡ってみた。

参考:石垣島の風景(1) (2) (訪問日2008.3.25~26)