鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2011財部麓・晩秋

2011-11-27 | 麓-曽於・志布志

秋が深まる11月中旬、財部町にある財部麓を訪れました。2008年4月以来。

残念だったのは財部城の大手口からまっすぐ延びる馬場に面した古い武家門が取り壊されていたこと。

下の写真は2008年2月に初めて財部麓を訪れた時のもの。

S47発行の財部町郷土史の地図によると米良家の郷士門か。

 

 

 

下の写真は今回2011年11月に訪れたときのようす。奥の建物は財部小学校(地頭仮屋跡)。

上の武家門や門前の階段が取り壊され、面影すらなくなっている。

 

 

気をとりなおして財部城(竜虎城)へ。

 

財部城からの眺め

 

財部城跡から財部小学校(地頭仮屋跡)の近くへ下りてみた。

丸石の石垣に竹垣が続く。麓らしい景観が保全されている。ほっとする。

右のお店でお蕎麦を食べようと思って下りるもあいにく定休日。

 

赤い屋根がとても印象的な武家門。

 

未舗装の小道に竹垣が続き、武家門が構える。藩政時代にタイムスリップしたような空間。

 

2008年にこの路地を見つけたときは心が躍った(下の写真)。間違いなく最高の空間。

 

未舗装の小道を進むと石敢当もある。

このような隠れ里のような空間が残る場所は鹿児島で財部麓、串良麓など。宮崎で綾麓など。

武家屋敷の残る路地がそのまま残っていてほっとした反面、財部城前の武家門が取り壊されて

複雑な思いを残したまま財部麓を後にしました。

参考:旧財部町・財部麓の風景(2008.2訪問) 参考:新緑の財部麓・武家屋敷の残る路地(2008.4訪問


2011 志布志麓・春 02

2011-05-05 | 麓-曽於・志布志

志布志麓の続き

沢目記馬場にて。

地頭仮屋跡(志布志小学校)に隣接する平山氏庭園。

 

内城への登り口にある武家門

 

 

   

 

西谷馬場。

志布志麓の腕木門は屋根が前後非対称、屋根の前方より後方が大きい。後方の屋根を支えるため控え柱を備える。

背後は高城跡

 

 

 

 

     


2011 志布志麓・春

2011-05-03 | 麓-曽於・志布志

志布志麓を訪れました。

志布志城(内城、松尾城、高城、新城)を囲むように武家屋敷が谷筋に配置され、麓集落が広く形成されました。

新緑がまぶしいこの季節は麓の風景が最も映える季節です。

 

小渕馬場。

 

福山家武家門。志布志麓のなかでも格式が高い。乳鋲付きの観音扉、左右に潜戸を備える立派なもの。

 

 

阿多氏庭園。背後の山は内城跡。中央の武家門は傷みが激しいが中央に観音扉、左右に潜戸を備える立派なもの。

 

 

 

小渕馬場。注意して通ると草に覆われているが石垣が続いている。

 

一角に古い武家門が残ることから、一帯にかつて武家屋敷が立ち並んでいたであろうと想像がつく。

 

(続く) 参考:志布志市-武家屋敷群(2)(2008.12


2011 大崎麓の風景

2011-04-30 | 麓-曽於・志布志

大崎麓を訪れました。

大崎麓をこれまで取り上げた例はほとんどなく本格的に紹介するのはおそらく始めだろうと思います。

旧道。旧道をまっすぐ進むと上町を通り国道に合流する。

 

旧道沿いにある現役の竹細工店。

 

旧道沿いに建つ武家門。前回紹介。風格がある。

 

 

旧道脇の都萬(つま)神社。大崎郷一の宮(郷社)。創建は不明。

鎌倉時代の作と伝えられる銅鏡が国の重要文化財に指定されている(大正時代は国宝に指定)。

島津義久・義弘によって神社の改造が行なわれ、大崎地頭の新納久将の勧請で改修が行なわれた。

本殿その他が国の有形文化財に指定されている。

都萬神社の大鳥居から国道を挟んで参道がまっすぐ延び、参道の両脇に石垣や石柱が残っている。

参道に車で入ったら行き止まりでバックで引き返すはめに。

 

都萬神社の裏手に生垣の続くいかにも麓らしい風景が。こんな雰囲気の地区はたいがい武家門が残っている。

予想とおり古い武家門が残っていた。

 

 

旧道に戻り上町へ。ここにも旧道沿いに古い武家門が建っていた。門の入口に階段も付く。

 

 

 

旧道を引き返し大崎町の商店街へ。地頭仮屋前の通り。麓の面影はほとんどない。

 

商店街の通りから奥に武家門が見えた。比較的新しい門か。

 

 

大崎小学校。地頭仮屋跡。小学校付近には麓の面影は残っていない。

 

再び旧道。石垣と階段、竹垣といぬまき。

 

大崎はこれまで志布志の手前にあって通過するだけの町であった。

じっくり歩いてみると武家門が点在する。麓としての規模は当時意外に大きかったのではないかと思われた。

撮影日:平成23年4月22日  参考:大崎麓の風景(2010.7


2011 末吉麓

2011-02-05 | 麓-曽於・志布志

大隅町岩川に出張した際、隣りの末吉町まで足を延ばす。地頭仮屋の武家門を確認する。

末吉町の麓にある地頭仮屋の武家門。

 

地頭仮屋跡はこの近くの末吉中学校。地頭仮屋の門はそこから最終的にこの地に移された。

 

隣りにある医院の建物。昭和の戦前に立てられたかのような古い洋風建物

 

新燃岳の噴火の影響で付近の道路や武家門の屋根に火山灰が積もっていた。麓の様子

 

 

今日から二日間、南九州市川辺町で伝統の川辺二日市が始まる。

これからみんなで二日市にでかけます。


2011 岩川麓

2011-01-30 | 麓-曽於・志布志

1月28日、弥五郎伝説の里、大隅町岩川へ出張した。

大隅町岩川までは高速道で鹿児島IC-加治木IC-末吉財部IC-曽於弥五郎ICと乗り継いで約1時間ちょっと。

加治木IC-曽於弥五郎ICは現在無料期間(社会実験中)となっている。

大隅町岩川に到着。街路灯は弥五郎どんをデザイン。

 

道の駅おおすみ弥五郎伝説の里へ。

ゆったりした敷地に物産館や温泉施設があり春休みや夏休みは県外キャンパーが多く立ち寄る。

 

やごろう亭で地元の黒豚定食を注文。

ロースカツ。隣りの物産館で地玉子、なす、黒豚みその加工品を購入。

 

丘の上に弥五郎どんの巨大な像が建つ。

 

馬場城はここから少し麓側に離れた現在の岩川八幡神社の境内にあったという。

弥五郎どんは一説に天皇に仕えた竹内宿弥か隼人族の首領と言われる。

11月3日に鹿児島県下3大祭りの一つ、弥五郎どんの浜下りが行なわれる。

丈5mの弥五郎どんが町を練り歩く姿は壮観らしい。祭りを見に行こうと思うが実現しない。

 

岩川麓を一望する。正面の森が岩川八幡。その左に地頭仮屋跡の岩川小学校。

 

よく捜せば武家門が一棟見える。

 

麓の反対側。商店街がある。左側に合同庁舎、おやっとさあで有名な岩川醸造もある。

 

 

麓に降りたところにある武家門。霧島新燃岳から火山灰が岩川まで飛んでたのにはびっくり。

帰りは曽於弥五郎ICから再び東九州自動車道、九州自動車道を経由し鹿児島市内に戻る。

東九州自動車道は隼人西ICから先が国分平野を海岸寄りに迂回するルート。

迂回しないルートにできなかったのだろうか。


2010 大崎麓の風景

2010-07-04 | 麓-曽於・志布志

6月30日、鹿屋市と大崎町へ出張だった。鹿屋市に向かう頃になると雨足が激しくなった。

最初の訪問先では今日はフェリーが出るか心配したらしい。午後には雨が止むと期待し次の大崎町へ車を走らせた。

寄り道した東串良町では県道沿いに見事な石垣や生垣が一直線に続くところがあった(防風林の目的か)。

大崎町で仕事を終えて雨も上がったので短時間だが大崎町役場周辺を歩いてみた。

 

大崎町の商店街。2008年11月の時のもの。

 

役場向かいの大崎小学校。2008年11月の時のもの。地頭仮屋跡の手作り説明板あり

 

 

 

役場の裏手付近を歩いてみると、武家門を見付けることができた

 

 

 

大崎小学校や役場付近には麓らしい景観がまだ残っているかも知れない


2009 松山麓の風景

2009-07-04 | 麓-曽於・志布志

恒吉麓を後にし、この日最後の訪問地、松山麓を訪れました

 

松山新橋。見事な武家門が建っています。庭木の手入れも見事です

 

 

松山新橋。馬場の両側に石垣と生垣がよく残っています

 

 

生垣の緑に武家門が隠れています

 

箒の址が実にすがすがしいです

 

 

 

  

松山町郷土史によると、『松尾城の周囲に郷士が住み、麓を形成していた。中でも野久尾に郷士が多く住み、馬場にも住んでいた。秦野は城山とは距離があるがここにも郷士が数多く居住していた。その数はむしろ新橋よりも多かったと言われる。新橋と秦野は島津藩直轄の郷士であるが、この外に尾野見、黒石方面に新納家の家来、大野原方面に伊勢家の家来が居住していた。松山郷の地頭仮屋は現在の農協にあった。』(S44.10発行)

参考:松山麓(2008.9訪問


2009 恒吉麓

2009-07-04 | 麓-曽於・志布志

鹿屋市に出張したついでに大隅町の恒吉麓まで足を延ばしてみました

田に水を張るころの5月中旬です

 

 

地頭仮屋が建てられた常吉城の跡

恒吉城(別名、日輪城)は、庄内の乱のときに伊集院忠真方の都城十二支城の一つとして島津方と戦った

島津方に降伏した後、島津氏所領として地頭が置かれた

 

地頭仮屋跡は意外に広い

 

近くに武家門が残っています

  

徳泉寺の門

 

地頭仮屋跡の向こうまで行ってみたが、石垣や生垣等のめぼしい遺構は残念ながら見あたらなかった

(参考:恒吉麓2009.2訪問


2009 恒吉麓(初訪問)

2009-02-20 | 麓-曽於・志布志

1月15日に恒吉麓を訪れました。仕事で曽於市岩川を訪れた帰り。

恒吉麓の入口。郵便局近く

鹿児島市内から高速で末吉財部ICまで行けば岩川まではすぐ。帰りは仕事の疲れもあって鹿屋を経由して垂水フェリーに乗る場合が多い。今回は岩川から大隅湖と高峠を経由して垂水フェリーに向かうことにしたが、百引、大隅湖方面に向かう途中に恒吉麓があることが分かった。太陽が傾く遅い時間だったがそう機会もなかろうと思い寄ってみた。

 

恒吉太鼓橋。曽於市指定文化財

 

太鼓橋の先に武家門が残っていた

 

恒吉麓内の風景。太陽がかなり西に傾いてきた

峠の凍結の心配があったのですぐに百引、高隈湖、高峠を越えて垂水フェリーで戻った。

凍結の心配は杞憂に終わる。

(訪問記)

恒吉麓は最初の写真をもう少し先にいった地区まで広がるようだ。先までいくと石垣等の麓らしい風景が残っているかも知れない。

今回は手前でUターンし帰路を急ぎました。