鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2011 永吉麓・秋

2011-11-06 | 麓-串木野・日置

吉利麓に続き、永吉麓を訪れる。日置市吹上町永吉。4年ぶりです。

 

永吉小学校近くの武家門。4年前と変わらぬ姿だがこの先どうなるのだろう。

 

 

かつて「村長の家」と呼ばれたところ。

武家門はそのまま。グループホームに使われていた大きな古民家は取り壊されていた。実に残念。

 

 

永吉麓でもっとも好きな風景。畑の向こうに石垣と生垣、武家門。ずっと残って欲しい風景。

 

 

永吉麓に残る西洋建築物。左手に古い石垣も見える。

 

4年前と比較すると武家門が改築されたようにみえる。風景によくなじんでいると思う。

右の石垣と竹垣は古いまま。

 

参考:旧吹上町・永吉麓の風景(2007年11月訪問)・・・4年前に永吉麓を初めて訪れたときの記録です。


2011 吉利麓・秋

2011-10-29 | 麓-串木野・日置

吉利(よしとし)麓を久しぶりに訪れました。日置市日吉町。

 

吉利麓はのどかでまた黄金色に輝く田が広がり、さらに今回新たな発見もありました。

吉利麓のメインストリート。吉利小学校校門前の馬場。

 

清浄寺。小松帯刀像がたつ。吉利麓を見下ろす地にある

 

清浄寺からのぞむ吉利小学校(地頭仮屋跡)と武家門。

 

 

吉利麓で今回新しく発見というか訪れた道。清浄寺の近く。

すごくいい雰囲気が残る場所。こういう場所は得てして武家門がひっそりと残っている。

ひっそりとたたずむ感じがとてもよい。

 

はたして一棟の堂々とした構えの武家門と出会えた。

 

 

 

吉利郷の田圃に黄金の稲穂が輝く。

 

参考:吉利郷(2008.11訪問) 参考:吉利麓(2007.11訪問)・・・初めて吉利麓を訪れたときのもの。

祝日にでかけたので門前に掲げられた日の丸が印象的。とても懐かしい感じを受けました。


2011 伊作城跡訪問記

2011-10-21 | 麓-串木野・日置

旧金峰町に出かけた際、伊作城の跡を訪ねてみました。

伊作城は以前から気になってた山城で別名亀丸城という。駐車場に車を停めて登り口へ。

登り口近くに土居(どい)という土を盛り上げた土手がある。敵の侵入を防ぐためのもの

 

本丸(亀丸城)を登りきると大きな広場になっている。相当古そうな木があちこち見られる。

島津四兄弟はここでどんな暮らしをしていたのだろう。

 

広場には島津忠良(日新公)や義久・義弘・歳久・家久の誕生石という碑が設置。

 

古そうにみえるが明治(17年だったかな)建立と書かれている。

 

隣りの蔵之城跡。こちらも広くて平坦な場所になっている。

 

御仮屋城跡。

 

亀丸城跡への登り口。案内板に麓自治会の名前がある。

 

登り口の先にある空堀(からぼり)。溝を掘って山を二つに分けた個所。

 

山城の暮らしは不便だったでしょうね。


2010 美山祭り

2010-12-11 | 麓-串木野・日置

美山まつりへ出かけた。

美山は秋らしいぽかぽか陽気でとても気持ちよかった。

臨時駐車場に車をとめて歩く。

 

武家門構えの店に立ち寄る。花や苗木、盆栽を売っている

 

登り窯ではパンを焼いていた

 

美山の中心近く。ここでは小間物、染めた布地、古いはぎれなどを売っている

 

沈寿官窯によってから屋台へ。

 

焼トウモロコシを注文し、中までよく火を通してくれと頼む。面倒な客と思われたかもしれない。

別の場所だが表面だけ焼いて中が生のままだったときがあったからね。

 

三人と離れ、暫く一人で美山を散歩する。

 

石垣がよく残っている

 

近くに玉山神社、調所笑左衛門広郷の招墓、朴平意の墓がある。

玉山神社は朝鮮陶工たちの故郷の神「檀君」をまつったのがはじまりとされる。

朴平意は薩摩焼の始祖とされる。

調所広郷は美山(旧苗代川)の窯業発展に貢献した。

 

三人と再び合流し、ヨーロッパ輸入家具店に寄って帰る。

参考:美山窯元祭り'09


2010 伊作麓の風景

2010-08-07 | 麓-串木野・日置

8月は連日猛暑が続く。久しぶりに伊作麓に寄ってみた。 

伊作郷御仮屋跡の上にある武家屋敷。前回特に印象が残った。夏雲も印象的

 

 

背後の山の景色に溶け込む武家門の姿が素晴らしい。

 

伊作郷は名門・伊作家の領地で近くの伊作城で忠良の息子貴久ら、貴久の息子三兄弟が生まれた。

伊作は島津の歴史の中で重みのある土地である。

 

伊作中心に残る武家門。石垣の緻密さが見事である

 

今回新たに発見した武家門

国道から脇に入ったところに所在する

 

屋敷は既に取り壊されている

 

石製の棟木は加治木の武家門や松江市の小泉八雲旧居の武家門でも見ることができた

 

門はシンプルな構造だけに屋敷に比べると風雨に耐えやすいのかも知れない。

 

屋敷の持ち主の心情としてせめて門だけは残したいと言う気持ちも働くのかも知れません。

 

門の先には白壁の倉も残されていた。

 

倉の手前の記念碑には実吉安純博士生誕の地とある。

1848年伊作郷中之里村生まれ。

明治2年大学東校(現東京大学)医学部入学、海軍軍医総監、貴族院議員、日本医師会名誉会長等歴任。

吹上町が生んだ不世出の医学博士であったとある。

参考:伊作郷を行く(2009.6訪問(1)(3)

金峰町の田布施麓(尾下麓)を車で通ると田布施の亀ヶ城の麓から石垣や生垣がもう少し広がっていることが判った。

国道270号線を北上すると大野地区に目が留まった。国道から入ると石垣や石柱の門がまとまって残っている。

麓の郊外に郷士がまとまって居住したのかも知れない。

 参考:田布施麓(2007.11訪問)、


2009 美山・秋の窯元祭り

2009-11-07 | 麓-串木野・日置

11月3日は文化の日。美山の窯元祭りにでかけました。

沈壽官窯

朝10時に着いたのに近くの駐車場は満杯。遠くの駐車場に誘導される。駐車場から会場へ歩いて向かった。

旧地名(苗代川)の看板が建っていた。美山は窯元があちこちに点在している。

 

メインストリート桜馬場。車の往来が徐々に増えてくる。正午には駐車場に向かう車で渋滞になった。

 

普段は下のようにひっそりしているが、この日の美山は多くの人や車であふれかえっていた

 

 

沈壽官窯にて。B級品セール。奥の焼酎カップを1つ購入。B級品につき1000円也。

カップの裏を見ると沈壽官窯ノ印はなかった。

僅かに小さい黒点が1つ2つ付いているのでB級品に落としたという。

 

隣の古民家では染めた布地や小間物を売っている

 

 さらに隣の古民家では苗木や盆栽を売っている。

 

 

 

出店でぜんざいと焼き鳥、お昼にから揚げ・焼き鳥・たこ焼きを食べたらお腹が一杯になった。

出店で韓国のチゲやチヂミが食べられるかと期待したがそれはなかった。

沈壽官窯から先へ。美山に来ると必ずここを撮ってしまう

 

 

 

妻と長女は小間物を買った。

長男はバザーでいいカードに恵まれず300円のくじを引こうとしたらダメと言われむくれた

(美山の帰りに好きな雑誌を買えて喜んだが)。

11月3日は県内あちこちでイベントが開かれる。岩川の弥五郎どん祭り、野田のオールドカーフェスタ。

来年は弥五郎どんが町を練り歩く姿を見てみたい


2009 伊作郷・地頭仮屋跡

2009-06-19 | 麓-串木野・日置

伊作郷の御仮屋跡

 

 

お仮屋跡への登り口に高い門柱が見える。向こうは伊作の中心

 

お仮屋跡の上に古い石垣と生垣が残っていた

 

上の石垣を進むと武家門構えの屋敷が現れた。これは絵になるなあ

 

 

石垣、生垣、庭木、母屋、背後の山、素晴らしく絵になる

 

 

6月の麓は生垣がみずみずしい。特に雨上がりのみずみずしさは格別だ


2009 伊作郷・宮内地区

2009-06-18 | 麓-串木野・日置

伊作郷の郷士集住地区は麓地区と宮内地区に形成された(*)

宮内地区。大汝牟遅神社横馬場参道。毎年11月に流鏑馬が行われる

 

 

千本楠。一帯は古来大汝牟遅(おおむれち)神社の神域。20数株の大楠が連なる

 

石垣に生垣が続く。正面が大汝牟遅神社

 

古い石垣が残っている

 

正円池。ホテイアオイの群生地。薄紫色の花が湖面全体に広がる。偶然見付ける。

 

 

(*)参考文献:吹上郷土誌(H15.3.31発行)(続く)

参考:伊作麓(2007.11訪問


2009 伊作郷・麓

2009-06-17 | 麓-串木野・日置

6月の初旬に日置市吹上町を訪れる

伊作峠を越えて吹上町市街地に入る手前に麓地区がある

 

県道22号(伊作街道)沿いに残る武家門。屋敷は既に取り壊されている

 

向かい側に残る武家門。左右の石柱に主屋根が架けられる

 

県道22号から南方神社方面に入る

 

伊作麓にひっそり残る武家門

 

堂々とした門構え

 

中心市街地に残る武家門。背後の高台に伊作郷の地頭仮屋がおかれた

 

竹細工の看板が残っている。

上の武家門の前に古い竹細工店(永倉竹細工店?)があった

今回訪れたとき家屋が解体されている最中であった

記録に残せなくて残念です

 

伊作小学校付近の風景

伊作郷の麓は亀丸城跡南面山麓部から前面平地・丘陵部にかけて東西に長く形成された

伊作郷内のもう一つの郷士集落である高台の宮内地区へ移動した(続く)。

編集後記:今日、MBCの「どーんと鹿児島」という番組で加世田の武家屋敷群が取り上げられていた。

麓地区内に県内唯一残るといわれる門に興味が惹かれた。久しぶりに加世田麓を訪れようと思います。

旧加世田市には万世や小松原の旧郷士集落も残っている。


2008 吉利郷・麓 02

2008-11-09 | 麓-串木野・日置

吉利麓の続き

左右に生垣とひくい石垣がつづく

 

生垣は綺麗に刈り込まれ、石柱もいい雰囲気

 

武家門の奥にある母屋は周囲の雰囲気に合せて外壁が塗り替えられていた

 

 

吉利小学校正門前からの風景

 

 

 

通りの反対側に残る武家門

 

 

吉利小学校。小松家古書が展示されている。こちらの小松帯刀は少し厳しい面構え

 

 

(訪問記)

1年振りに吉利を訪れた。大河ドラマに出てくる小松帯刀のゆかりの地を見ようと訪れる人が多いようだ。

前回訪れた時よりも吉利小学校前の通りを中心に町並みの景観が綺麗になっている。

大河ドラマは地区の魅力を再発見するいい機会になったと思う。

参考:吉利麓(1)(2)(2007.11訪問)、喜入麓(2008.07訪問)