鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 肥薩線の旅・SL人吉 02

2009-05-30 | 鉄道・くるま・飛行機

SL人吉は一勝地駅に到着

 

一勝地駅。木造駅舎

 

人吉・吉松方面の表示がいい。

急勾配が続く山越えでようやく吉松まで到着したときはほっとしたのだろう

 

一勝地駅に停車中のSL人吉号

 

 

 

そろそろ次の停車駅へ向けて出発

 

白石駅に到着。明治期の古い駅舎

 

白石駅に停車中。1号車と3号車に展望ラウンジを備える

 

坂本駅、八代駅を過ぎて、新八代駅に到着した

 

名残惜しいですがここでSL人吉とさよなら。女性乗務員の手に呼び鈴がある。こういうさりげない演出がいい

 

 

100年レイル肥薩線の旅は新八代駅から九州新幹線に乗り換え、鹿児島中央駅まで戻ります。

我々は途中の出水駅で下車し、出水の郷土料理を堪能した。

SL人吉の旅は懐かしや郷愁にあふれると共に感動の連続です。鹿児島県内でも是非走らせて見たい


2009 肥薩線の旅・SL人吉 01

2009-05-30 | 鉄道・くるま・飛行機

100年レイル肥薩線の旅のクライマックスはSL人吉号

 

SL人吉号の機関車は大正11年に日立製作所にて製造され、長崎での配置を皮切りに福岡、鹿児島、大分、佐賀、熊本と配転。昭和50年一旦廃車。昭和63年にSLあそBOY号の牽引機として復活し、機関車不調のため引退したものの平成21年にSL人吉号の牽引機として復活を遂げた。現在、熊本-人吉間を一日一往復している(JR九州パンフより)。

 

人吉駅。発車までの1時間、人吉の観光名所「釜田醸造所」や老舗「上村鰻屋」を訪れる

 

人吉駅のホームにはSL人吉が待機中。旅情を感じる改札口

 

出発準備中のSL人吉号

 

 

火室で石炭を燃やした後の排気は煙管をとおり煙突から煤とともに排出される。迫力がある

 

 

 

そろそろ出発の時刻

機関士が腕時計に目をやる。後輩?の機関士(機関助士?)が忙しく石炭を取り出している

 

出発を間近にして計器類や各種操作弁の確認に余念がない

SLを動かしている仕事振りをこどもたちに是非見せて上げたい

 

働いている姿は美しい。蒸気機関車を動かす機関士はヒーロー

 

汽笛一声してSL人吉はゆっくりと出発する

室内はクラシカルで豪華なつくり。木がふんだんに使われている

 

86をもじったマークもあちらこちらに見られ、デザインがとても凝っている

 

SL人吉は球磨川渓谷に沿ってゆっくりした速度で汽笛を鳴らしながら進む。

球磨川橋梁を渡る。非常に美しい橋。ニューヨークのアメリカンブリッヂ社製作。明治41年竣工

 

走り出して気付いたがSLに気付いた沿線の大人や子供達が手を振ってくれる。工事現場の人も手を休めて手を振ってくれる。客車からも手を振り返す。こんな感動を共有できるSLは素晴らしい。撮影ポイントには多くのカメラマンが待ち構えていた。写される側からそんな風景を見るのも面白い体験です。

(続く)


2009 平島御仮屋跡 Ⅱ

2009-05-22 | 麓-薩摩川内

平島地区は武家門が点在し薩摩藩の武家地区らしい風景が残っている。

平島に残る武家門

この武家門は周囲の緑に溶け込み、凛とした佇まいが美しい。

堂々とした存在感を写真で伝えるのは難しい。実際に目にすると存在感がある

 

上の武家門の前の小道を進むと広大な屋敷跡がある。

石垣だけが残っている

 

川内川沿いの2車線道路に出る。竹垣が残っている

 

横道に入ると2番目に見た武家門が見える。両脇に立派な石垣を構えている

 

切石を積んだ石垣と生垣がずっと続く

 

隣にも石垣が残っている

訪問記)

平島地区の外を車で走ると石垣の存在には気付くが最初に見た高台の武家門や緑に溶け込む武家門に気付かない。

外城以外にこんな武家集落がよく今まで残されていたなという印象を持った。

外城以外で知られていない武家集落が県内にまだまだあるかも知れない。


2009 平島御仮屋跡 1

2009-05-19 | 麓-薩摩川内

水引麓から川内川に沿って下流に移動すると平島地区がある。

平島は薩摩川内市の西方と同じように江戸に向かう薩摩藩主一行が宿泊した御仮屋が置かれた。

平島御仮屋跡の碑。坂を100m上ったところに御仮屋があったと書かれている

上の写真の坂道を上ってみた。

 

坂を上ったところに草に埋もれるように武家門が建っていた。

 

この武家門を見つけた時は存在の意外さに興奮を抑え切れませんでした

 

低い石垣が道沿いに向こうまで続いている

 

 

 

道沿いに下る。その先に石垣が見える

 

竹の向こうに別の武家門が見える

 

竹の向こうの武家門はそのままにして石垣の手前を右折した。奥の方にさらに別の武家門が見える

 

平島地区は113外城の一つではないが武家門が点在し、隠れ里の雰囲気がある。

(続く)


2009 水引麓

2009-05-15 | 麓-薩摩川内

薩摩川内市の麓地区を訪れました。

五代町の郵便局を左折すると街道だったであろう旧道に入る。しばらく進んでいくと水引麓の中心に着く。

水引麓。現在の宮内町。麓の中心を東西に真っ直ぐ走る馬場が残る。

 

地頭館之址。奥に見える公民館の看板に宮内麓公民館と名がある

 

地頭館址に残る石の門柱

 

地頭館脇の風景。石垣と生垣といぬまき。正面は武内神社

 

武家門構えの武家屋敷が残っている。

 

見事に切り揃えられた石垣と武家門。写真の武家門は地区内で唯一確認できたもの

 

薩摩藩の麓の美しさは自然美と人工美が調和されたところにあると思う

 

こちらの門柱は傘石がのる

 

極端に低い石垣の上に笠石が載っている。

かつては高い石垣だったのかそれとも別の取り壊し石垣から笠石をもってきて上に載せたのか。

笠沙の小浦地区で同じような石積みを見たことがある

(訪問記) 宮内町は地頭館址周辺に麓の面影が残る。宮内町から新田神社まで散策すると他にも麓の景観が残っているかも知れない。


2009 肥薩線の旅・山越え 02

2009-05-15 | 鉄道・くるま・飛行機

列車は矢岳駅を出発し、下りながら大畑駅へ向かう

沿線風景

矢岳駅から下る途中、大畑(おこば)駅のスイッチバックが見えるポイントがある。

列車はここでも速度を落としてくれる。車内アナウンスあり

線路は大畑駅まで大きくループする。

大畑駅はループ線の中にスイッチバックがある日本唯一の駅だそうだ。

大きくループする線路を見たいと思ったが樹木が邪魔をして見えなかった。

 

ループ線を行く「いさぶろう・しんぺい」号

 

列車はループが終わり、スイッチバックして大畑駅のホームへ進入する

 

大畑駅に到着。木造駅舎。

おばこと呼ぶ。車内アナウンスによるとその昔大きな焼畑があったことから大畑と名付けられたそうだ。

 

駅舎内には記念の名刺がびっしりと張られていた

ホームにはSLの乗務員らが煤で黒くなった顔を洗うための湧水盆があった。

 

大畑駅を出発した「いさぶろう・しんぺい」号は終点人吉駅に到着する。

隣のホームに九州横断列車が停まっている。向こうにSL人吉号が見える

 

肥薩線は日本の近代化に大きな役割を果たした近代化遺産として今後もっと注目されていくでしょう。

壮大な峠越えは感動もの。明治期の鉄道施設群がもつ独特の威厳や美しさを楽しむことができる。

後日、人吉駅から八代駅までのSL人吉号の旅を紹介したい。


2009 肥薩線の旅・山越え 01

2009-05-12 | 鉄道・くるま・飛行機

JR肥薩線吉松駅から11時42分発人吉行き「いさぶろう・しんぺい」号に乗車した。

吉松~人吉間は難所の連続で前代未聞の山岳鉄道工事に当時の鉄道建設技術の全てが注ぎ込まれたそうだ。

 

吉松駅からは都城駅まで吉都線が延びている 

 

「いさぶろう・しんぺい」号は吉松駅に停車中

 

国鉄からJRに変わり、乗務員が活き活きしている。笑顔の接客サービスが素晴らしい

 

真幸(まさき)駅に到着

鉄道員たちが安全を祈った鐘がホームに設置されている。難所の山越えだったことがわかる

 

真幸(まさき)駅の駅舎。木造

 

真幸駅に停車中の「いさぶろう・しんぺい」号

乗客がなかなか戻ってこない。汽笛を鳴らし催促する。慌てて乗客が戻ったのはとても可笑しかった

 

真幸駅には最初のスイッチバックがある。列車はもと来たレールを一度後退し、その上のレールを上がっていく

 

真幸駅からスイッチバックして、列車が次の矢岳駅へ向かうところ

 

矢岳第一トンネルの手前で列車が徐行運転する

日本三大車窓と呼ばれる霧島連山の雄大な風景をたのしめる。この日は霞がかかっていた

 

いくつかのトンネルを抜け、矢岳駅に到着した。標高536.9メートル

 

矢岳駅も木造駅舎

 

D51が展示保存されている

 

肥薩線は嘉例川駅や大隈横川駅だけでなく当時の木造駅舎が多く残っている。

生きた鉄道博物館と言われる(続く)。


2009 100年レイル肥薩線の旅

2009-05-10 | 鉄道・くるま・飛行機

工業倶楽部の企画「100年レイル肥薩線の旅」に参加しました。特急「はやとの風」と特急きりしま

 

明治34年に鹿児島~国分(現隼人)間で開業した鹿児島線は36年に吉松まで開通。熊本側からも39年に八代~坂本間を開業した。明治42年に最後の難所であった人吉~吉松間の完成で門司と鹿児島を結ぶ壮大な鉄路が開通。肥薩線は現在も生きた鉄道博物館として親しまれている。(JR九州パンフより)

 

鹿児島中央駅に停車中の9時27分発特急はやとの風

 

展望席。吉松駅に着くまで展望席でおしゃべりしながら外を眺めていた

 

車内はシックな内装。明るい木がふんだんに使われている

 

10時16分嘉例川駅到着。7分停車

 

嘉例川駅に停車中のはやとの風

 

11時03分吉松駅着

 

吉松駅に停車中のはやとの風

次の「いさぶろう・しんぺい号」に乗車するまで40分弱。吉松駅前を散策

 

吉松駅構内にSLが展示してある。迫力あるなあ

 

 

 

かつての勇姿が屋外に写真展示されている

 

同行のメンバーが子供の頃吉松に住んでいて当時の興味深い話をしてくれた。先頭のSLが人吉に向けて山を越えられないときは吉松駅に要請して待機中のSLを応援に走らせた。そして最後尾から客車を押し上げてようやく乗り越えることができたとのこと(続く)


2009 鵜戸神宮からフラワーフェスタへ

2009-05-09 | 九州

鵜戸神宮の楼門。5月4日、かんぽの宿「日南」を後にして鵜戸神宮へ行きました

 

鵜戸神宮は鵜戸崎と呼ばれる岬にあり、海岸の断崖の海蝕洞に本殿が建つという珍しい神社。山幸彦・海幸彦の伝説の舞台として知られている。岬の南側の狭い道路を進んでいくと神社の手前に意外にも広い駐車場がある。前回訪れたのは随分昔。楼門の手前には吾平山陵へと続く小道がある。こちらの陵墓は参考地。

 

楼門をくぐり本殿へ向かう。参道は日向灘を見下ろす断崖の上にある。千鳥橋、玉橋を渡る。

急な階段を下りてゆくと、ようやく本殿のある海蝕洞の入口に着く

注連縄で囲まれた岩の窪みにめがけて「運玉」を投げ入れる。見事に入ると願い事が叶う

5個投げで全部入りませんでした

参拝前にお清めして本殿へ

 

海蝕洞内の本殿

 

本殿の奥に鎮座する皇子神社

 

堀切峠の手前にある道の駅フェニックスへ。駐車場の車はほとんど県外ナンバー

 

 

青島こども国で開催中の宮崎フラワーフェスタ2009へ

 

鮮やかな花々が目を楽しませてくれる

 

 

こどもの国は急流すべりなど主要な施設は残念ながら撤去されていた。

子供と3人で足漕ぎボートにのる。これはいい運動になった。


2009 城下町飫肥 Ⅳ

2009-05-06 | 城下町・茅葺民家

前鶴通り

上級家臣の住む高台を下りて町人町である本町通りを渡ると下級家臣団の集住地区に入る

全体に石垣が低い。右端は勝目氏庭園。遠くに旧植村医院の洋館

 

勝目氏庭園。勝目氏庭園の屋敷を囲む石垣には玉石垣も見られる

 

 

前鶴通りは玉石垣が多く見られる。玉石垣の上に笹竹の垣根

この通りは高台の武家屋敷特有のいかめしい感じがない

 

旧植村医院。大正14年の建物。前鶴通りには藩医の屋敷も多く構えた

 

 

きれいな笹竹垣

 

前鶴通りを歩くと低い石垣、玉石垣、笹竹の垣根が残り、飫肥藩下級武士の暮らしぶりを想像することができる

高台の武家屋敷通りよりもこちらの風景が好きです

 

町の中心で見つけた洋館。旧飯田内科医院。大正13年の建物。立派な洋館が町の中心に残る

壊されることなく再生されることを祈りたい