鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2011 ありがとう485系 特急きりしま

2011-02-26 | 鉄道・くるま・飛行機

八重洲地下街書店で立ち読みした雑誌の表紙に懐かしのL特急「にちりん」が載っていた。

そのままレジに直行する。

 

宮崎駅から乗った国鉄色特急きりしまの記事を探してページをめくると驚いた。

平成23年3月のダイヤ改正で特急きりしまが定期運行を終了し、787系(リレーつばめ)が日豊本線に投入される。

九州新幹線全線開業に伴う措置。平成22年12月29日~平成23年3月11日まで485系車両のさよなら企画を実施中。

国鉄色485系の3両に2両を連結。宮崎駅からさよなら企画の国鉄色特急「きりしま」に運良く乗ることができた。

 

特急きりしまの車内より撮影。国分駅ホーム。カメラを構える人がいた。

 

隼人塚。

 

姶良市内の鉄橋を通過。沿線でカメラに三脚を構える人をけっこう見かけた。

 

鹿児島駅通過中。

 

終点、鹿児島中央駅に到着した。

 

 

 

 

485系特急きりしま(国鉄色)の雄姿。定期運行でこの雄姿を見れるのも3月11日まで

 

3月12日の九州新幹線全線開業という華やかなニュースの影で昭和40年から九州各地を特急列車として走り続けた

485系車両の歴史がもうすぐ幕を降ろします。

参考ホームページ(JR九州特設ページ):ありがとう485系   


2011 日豊本線 特急きりしまに乗る

2011-02-23 | 鉄道・くるま・飛行機

鹿児島中央ゆき特急きりしま

 

宮崎駅構内で食べるラー油(にんにく入り)とぶたみそ(ゆず入り)を購入し、日豊本線のホームへ。

通勤・通学時間帯はとうに過ぎているのでホームはのんびりしている。

 

 

鹿児島中央ゆき特急きりしまが下りホームに入ってきた。

上りで乗ったレッドエクスプレスと同じと思っていたら旧国鉄色だった。

 

どうやらこれに乗って幸運にも鹿児島まで帰れるようだ。思わぬ登場におおっと驚く。

 

帰って調べるとこの車両は鉄道ファンの間で人気があるらしい。L特急にちりんが同じ色をしていた。

国鉄のノスタルジーを感じるのもあるだろうがレッドやブルーより落ち着いたこの色が好き。

 

指定席を捜して車内を移動すると1号車の前半分が指定席。後の半分は自由席である。

シートにかけてある黄色いカバーが実にいい。

心にくい演出をやるなあと勝手に喜ぶ。

事務的にカバーをかけているのだろうがにくい演出だなあと思ってしまう。

 

大淀川の鉄橋を渡ると次は南宮崎駅。向かい観光列車「海幸山幸」号が停車。

 

鉄橋を渡り平野からだんだんと山中に入っていく。

 

途中の駅を通過。

 

上り列車の通過待ちのために山中の駅で一次停車。ここは青井岳駅?

 

山を越えてしばらくして都城駅に到着。

 (続く)


2011 白猫小太郎

2011-02-21 | 薩摩地方

土曜日から県下一周駅伝が始まった。

5日間589キロを走る。旧頴娃町の主力選手が抜けた指宿チームは頑張って欲しい。

小太郎と再会。小太郎はだいぶ大きくなっていた。日向ぼっこをする小太郎。

 

 

子供たちは小太郎が相手してくれないので公園で遊ぶ。

 


2011 JR日豊本線・宮崎へ02

2011-02-19 | 鉄道・くるま・飛行機

特急「きりしま」は重富駅、帖佐駅を通過し、次の加治木駅、隼人駅に停車する。

帖佐駅の手前、別府川をわたる。

 

国分駅で停車。大隅国分寺跡がある。

 

国分駅から先はしばらくトンネルと登りが続く。

 

霧島神宮駅を通過。ここまで通過したトンネルの数は8つ。

 

さらに5つのトンネルと幾つかの駅を通過し都城盆地に入る。

新燃岳の噴火による降灰で都城市街地は灰一色に包まれていた。

 

降灰の大変さは住んでる者しか分からないであろう。桜島も連日のように噴火し灰を周りに降らせている。

 

JR都城駅。ホームも灰っぽい。

 

都城盆地からは再び山を越えて宮崎市へ。

 

特急きりしまは10:51に宮崎駅に到着。鹿児島中央駅からの所要時間は2時間5分。

 

宮崎駅構内を出ると日南線を走る観光列車「海幸山幸号」のノボリ。

 

ニューウェルシティ宮崎へ向かった。


2011 JR日豊本線・宮崎へ

2011-02-16 | 鉄道・くるま・飛行機

8:47発の特急きりしまで宮崎へ。

2月7日。宮崎へは霧島の新燃岳の噴火の影響を考え高速でなくJR日豊本線で行くことにした。

日豊本線に乗るのは3年前、大分県別府市から鹿児島に帰る際に利用して以来。

宮崎駅での乗り換えもあって別府駅から鹿児島中央駅まで5時間ちかく。ずいぶん遠いなあと感じた。

かつての西鹿児島駅は鹿児島を目指す旅人にとって旅情をそそる終着駅であった。

在来線ホーム。3番と4番

 

4番ホームに「特急きりしま」が停車中

 

3番ホームの列車から乗客がどっと降りて階段に向かう

 

8:47発車。鹿児島駅に停車。かつての鹿児島の中心駅。 

 

トンネルを抜けると車窓から仙巌園(磯庭園)の立派な武家門がみえる

 

仙巌園を過ぎると右手に錦江湾をのぞむ。この日桜島は霞んでほとんど見えない

  

しばらく国道10号線と並行して線路が続く。

指定席はガラガラで乗客が5~6人しかいない。

(続く)


2011 川辺二日市 02

2011-02-10 | 鹿児島市内

1.3kmも続く市はとても長い。タイヨーあたりで引き返す。

 

 

川辺は仏壇の町でもある。

 

 

竹製品や曲細工物も出店。

 

 

 

 

旧川辺小学校の古い正門

 

南方神社への急な階段。

 

 

大隅町月野集落からの出店。

  

 

魔除け災難 身代わりひょうたん。面白そうな口上を述べていた。

 

郵便局前では猿回しの演技が行なわれていた。 

人の多さもあって子供は歩きつかれたようだ。

川辺二日市はかつて2月の2日と3日に行なわれた。それで二日市と呼ばれる。

現在は2月の第1土曜日と日曜日に行なわれている。商店街の道路が拡幅される前は人込みで通れなかったらしい。

二日市の賑わいをみると経済の暗いニュースが多い中ほっとする。元気でがんばってる思いが伝わってくる。

来年もまた来よう。


2011 川辺二日市

2011-02-08 | 薩摩地方

2月5日、南九州市川辺町に春の訪れを告げる風物詩、伝統の川辺二日市にいく。

川辺二日市は江戸時代から230年続く市で、周囲の農民が藁細工や竹細工を持ち寄ったのが始まり。

6日の南日本新聞朝刊には二日間で16万人の人出が予想されると記事が出ていた。

高台の諏訪運動公園に車を駐車し、商店街へと歩いて下る。午前10時頃には満車状態。

 

 

川辺小学校の脇を下ると、いきなりこの人出。

 

この状態が広瀬橋のたもとから1.3kmにわたり続くからすごい。

 

隠れた名品、かわなべ牛も出店。かわなべ牛銘柄確立推進協議会。

 

お腹が空いたので子供たちは何でもよく食べる

 

川辺町旧役場前(地頭仮屋跡)。

 

川辺町商工会。色々な企画が得意。

2008年の川辺二日市ではテレビ東京の開運!なんでも鑑定団を呼んできた。

 

 

加世田の砂丘らっきょう。吹上浜の砂地で栽培。しゃきしゃきとした歯ごたえが特徴。

 

鹿児島産の天然椿油。

 

背後は光徳寺。

 

光徳寺向かいの瑞芳寺。

 

地頭仮屋跡。

 

中東のファーストフード、ケバブサンドって何だろう?

 

伝統の加世田鎌・包丁。加世田市外園金物店。

加世田鎌・包丁は鹿児島県の伝統工芸品に指定。

江戸時代、加世田郷の下級郷士が副業として鎌や包丁の製作に従事。

加世田鍛冶は450年以上の歴史をもつとされる。

 

地元川辺町の佐野刃物店。

 

 

有光刃物。霧島市横川から出店。

(続く)


2011 末吉麓

2011-02-05 | 麓-曽於・志布志

大隅町岩川に出張した際、隣りの末吉町まで足を延ばす。地頭仮屋の武家門を確認する。

末吉町の麓にある地頭仮屋の武家門。

 

地頭仮屋跡はこの近くの末吉中学校。地頭仮屋の門はそこから最終的にこの地に移された。

 

隣りにある医院の建物。昭和の戦前に立てられたかのような古い洋風建物

 

新燃岳の噴火の影響で付近の道路や武家門の屋根に火山灰が積もっていた。麓の様子

 

 

今日から二日間、南九州市川辺町で伝統の川辺二日市が始まる。

これからみんなで二日市にでかけます。