財部麓のつづき。財部郷の麓の風景
梅が開花していた
古い石垣とイヌマキの木
竹の生垣
麓地区に古い鍛冶屋があった。
薩摩藩の郷士の副業に鍛冶があった。藩政時代から続いているのかも知れない
財部麓に入る最初に目に留まった石垣と屋敷跡
財部の帰りに道の駅「きらら館」に寄る
名物「きららラーメン」。最後まで飲み干せるスープが自慢。1杯500円。
財部麓のつづき。財部郷の麓の風景
梅が開花していた
古い石垣とイヌマキの木
竹の生垣
麓地区に古い鍛冶屋があった。
薩摩藩の郷士の副業に鍛冶があった。藩政時代から続いているのかも知れない
財部麓に入る最初に目に留まった石垣と屋敷跡
財部の帰りに道の駅「きらら館」に寄る
名物「きららラーメン」。最後まで飲み干せるスープが自慢。1杯500円。
2月25日に財部町に出かけた。財部町は鹿児島の県境に位置し宮崎県の都城市と接する
竜虎城跡。別名財部城
現在は城山公園
竜虎城は都城12外城の一つ。島津氏の家臣(といっても都城8万石の大名)である伊集院忠真が島津本家に反旗を翻したとき(庄内の乱)、忠真の居城である都城とともに島津本家側と戦った。徳川家康の仲介で和議が成立したが、都城の忠真はその後本家により暗殺され、伊集院一族も皆ことごとく粛清された。島津氏支配の凄さを物語る。
竜虎城跡から望む財部郷の麓の風景
城址から下った馬場に残る武家門。屋敷は取り壊されてない
地頭仮屋跡。現在の財部小学校
麓地区内に残る馬乗馬場跡。郷士達がここで乗馬の訓練をしていた
2月22日、子供の小学校でみこしパレードがあった。創立130周年記念。
小雨の中、パレードをまつ。寒そうだ
1年から6年まで各クラス、思い思いのみこしをみんなに披露する
1年は組の「みこし」。10年後のぼく・わたしのみらいの姿を貼り付けた
小学校の正門を出て学校の周りをパレードする。がんばれ
祇園之洲公園の向い側に多賀山公園へのぼる入り口がある
多賀山には東福寺城があった
出水を拠点としていた島津氏が東福寺城を攻略し鹿児島進出の足掛かりを築いた
多賀山公園から鹿児島市の上町方面を望む
島津氏は東福寺城から清水城へ居を移す。左手に見えるのは清水小学校
東洋のネルソン。東郷平八郎の銅像。非常に小柄な銅像です
東郷元帥の碑。
錦江湾を望むように建つ。海上自衛隊の不祥事に東郷元帥何を思う・・・
祇園之州公園には五大石橋のうち高麗橋と玉江橋が移設されている
稲荷川の河口付近。桜島が霞んでいる
高麗橋
大河ドラマ「篤姫」の第1話で於一と尚五郎が調所邸へ向けて走るシーンで登場
玉江橋。奥の山は多賀山公園のある多賀山
祇園之洲公園内には薩英戦争の砲台跡や五大石橋を作った岩永三五郎の像もある
昨日は天気が穏やかで散歩日和。仕事の合間に篤姫のロケ地、石橋記念公園を訪れた
石橋記念公園は西田橋、高麗橋、玉江橋が甲突川から移設されている。新上橋と武之橋は平成5年の8・6水害で流失してしまった。東京で鹿児島水害の生々しい様子を伝える南日本放送の中継映像は今でも鮮明に記憶している。甲突川からの移設には現状保存か移設かで地元の世論が二分したが生活安全を優先すれば移設もやむを得ない面がある。
西田橋。ドラマの第1話前半で斉彬の行列が鹿児島城下に入る際に渡るシーンに使われた
奥は西田橋の御門(復元)。西田橋は城下への玄関口で夕方になると門が閉まったそうだ
西田橋御門。瓦に島津家の丸に十の字の家紋が見える
本屋で「川辺町風土記」(南方新社)という本を購入した。著者は川辺町在住の郷土史家、青屋昌興氏
「川辺の麓にも、かつては知覧にまけないほどの枯山水の庭や武家門が存在していた」という
下馬場通りを歩く。左右に石垣や生垣が続く。川辺二日市の日
下馬場通りは武家屋敷の雰囲気を最も残している
武家門が見えてきた
中の屋敷は取り壊されていた。表の武家門のみ残っている
知覧のような華やかさはなく、生活道路となっている
地頭仮屋跡の近く。立派な石灯籠ですね。
垂水市から鹿屋市へ向かうと国道220号の途中に新城麓という交差点がある
新城郷は垂水島津家の分家である新城島津家の私領地であった。
お仮屋跡まで100mの標識に従って進む。石垣のあるこの付近がお仮屋跡か
石垣は当時の頃の感じ
夕刻時。新城麓の集落中心はここから少し離れている
石垣の反対側には田んぼが広がっている
夕暮れがせまるので垂水フェリーへ向かう
旧大根占町は大根占小学校を中心に佐多街道(269号線)の旧国道に沿って麓が拡がっている
旧根占町からの帰りに駆け足で立ち寄った。今回は武家門は見当たらなかった
旧国道沿いに建つ旧家。石垣が続く。入口に立派な石の門柱が建っている
どこも庭木が綺麗に手入れされている。鉄製の門扉がいい
こちらは門と石塀のみ残る
石塀に地元の産出石を使っているのだろうか
鹿屋で荒平石という少し赤みがかった石が採れる
旧国道に沿って独特の赤味がかった石垣が続く
味わいのある門柱と石垣。山之口付近
石垣と石塀の違いはなんだろう。
大辞林によると「垣」は家や庭の区画を限るための囲い。垣根のこと。「塀」は用心や目隠しのため家や敷地の境界に建てた板・土・ブロックなどの障壁のこと。言葉の使い分けは難しい。
旧大根占町は大隅半島の南部、現在の錦江町に属している
錦江町といっても場所がピンとこない。合併後の新名称である南九州市や湧水町もそう
1月30日に奄美市に出かけた。この時期は天候がすぐれない
奄美空港近くの看板
いもーれは奄美の方言でようこそいらっしゃいませの意。沖縄の方言めんそーれと同じような意味だ。
奄美空港から名瀬行きのバスに乗車。約50分のバス旅
奄美まるごとの看板。龍郷町赤生木にて
お昼は奄美市役所の方にお店をいくつか教えてもらい「鳥しん」で鶏飯(けいはん)を頂く
山羊汁とか豚飯なども美味しそう
夜は「喜多八」で島料理を頂く。前回の「むちゃかな」もよかった
南の島とはいえ、この日の夜は少し寒い
火鉢に手をかざしながら黒糖焼酎をお湯割りで。お店の心遣いがうれしい
帰りの奄美空港内レストランにて
離島行きの便に搭乗客が乗り込む