鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2010 喜界島 02

2010-03-31 | 種子屋久・奄美諸島

阿伝集落にて。集落内の風景

 

 

 

 

元カメラマンのNさんはここから海が見える構図が好きらしい。

雨が降ると石垣のサンゴが黒ずんで見えるが晴れた日は綺麗な色をしている。

しばらく時間が経って石垣のくすみが少しとれたか。

 

 

ムチャ加那公園付近から眼下に見える集落。印象的な銀色の屋根

 

雁股の泉。島内には平家にちなむ史跡がある。平家上陸の地や平家の森など。

 

蝶に超注意!喜界島はオオゴマダラやアサギマダラなどの乱舞が見られる。

喜界島はハブがいないので安心して観察できる

 

一本道。Nさんお勧めの絶景ポイント。一本道がまっすぐ延びている

 

 

百之台国定公園から。眼下にサトウキビ畑。島の周囲が隆起サンゴ礁で囲まれている

 

防風林に囲まれた家並み

 

隆起する台地。標高203m

 

ウフヤグチ鍾乳洞へ

 

ウフヤグチ鍾乳洞。鍾乳洞の入口に長く太いシダが何本も垂れ下がっていた。

 

探検の映画に出てきそうな光景だ。Nさんお勧めの光景。

 

最後にとっておきの場所に案内していただいた。循環道路の脇から続く緑のトンネル。

 

ほとんどの人は気付かないそうだ。晴れて光が差し込むともっと綺麗なんだろう


2010 喜界島

2010-03-29 | 種子屋久・奄美諸島

2月15日-16日、喜界島を訪れた。

喜界島は奄美大島の東25キロメートル先にある島。鹿児島空港から喜界島まで約1時間。

一日2往復が飛んでいる。喜界行きJACは12番ゲート。

 

タラップからJACに乗り込む。あいにくの空模様。平日のためか搭乗者は仕事関係者のみ。

 

約1時間で喜界空港に到着。

いつも思うがどこの離島でも着陸前の周囲の海の綺麗さは格別だ

 

迎えのNさんに島内を反時計回りに案内してもらう。喜界島の基幹産業の一つがサトウキビ栽培。

サトウキビ畑の向こうに製糖工場跡の煙突が建っていた。

 

荒木集落。印象的な建物の簡易郵便局。

 

この時期は強い風が吹く。喜界島は隆起珊瑚礁からなる島で自生の菜の花があちこち咲いている。

 

コバルトブルーの湾。晴れた日はもっと鮮やかだろう

 

島の道路は拡張整備が進んでいるが部分的に古い舗装路が残る。

 

 

阿伝集落に到着。阿伝はサンゴ礁の石垣集落として有名。

 

 

阿伝集落は各家庭がサンゴの石垣と防風林で囲まれ、島独特の風情がある。

 

 

 

 

(続く)


2010 蒲生麓 乳鋲付き武家門

2010-03-17 | 麓-姶良地区

蒲生町役場の裏手に蒲生麓の成立と武家門に関する興味深い解説板がある。

解説によると、まず、領主蒲生氏が島津氏に敗れ、一部の家臣団とともに宮之城へ退去し、残る家臣団は当地に百姓となって居住した。戦に負けると家臣全員を扶養できないので一部はやむなく百姓になって自給したのだろうか。武家門が今日39棟も残っているとある。まだ紹介していない武家門がありそう。

蒲生町役場の敷地内にある地頭仮屋門。前方は八幡馬場

 

 

解説によると、武家門建立を許されたのは10石以上の家。10~49石までは屋根が一つで引き合わせ戸。50石を越すと両脇に小屋根が付き、観音扉となり、不浄門を設ける。100石を越すと鋲が女の乳の形となってくる。鋲が「女の乳の形」になっているというのは、想像はすれども想像が付かないというなんとも不思議な記述なので、一見は百聞にしかずのとおり役場にある地頭仮屋門をまず観察してみた。

観音扉の鋲をみると、まさしく「女性の乳の形」をしている。なるほどこれかと納得する

 

ほかの武家門はどうなっているだろうといくつかの武家門に当りを付けて観察してみた。八幡馬場に面する今にも崩れそうな武家門。蒲生殖産興業株式会社(旧士族共有社というサムライ会社であった)の敷地内にある。こちらの武家門も扉に乳の形をした鋲を打っている。乳鋲というらしい。立派な観音扉である。この門は存在自体が貴重なんだろうけどなあ

 

 

下馬場の武家門。古い門と思ったら蒲生麓で現存する最も古い武家門らしい。1816年建立

 

 

こちらも約束とおり観音扉に乳鋲が打ってある。100石を超す郷士に許された武家門の証である

 

ほかの麓では確認していないが、蒲生麓には100石以上の石高の郷士に許された貴重な武家門が少なくとも2棟、地頭仮屋門も入れると3棟も現存していることが分かった。貴重な文化的遺産と思うし、早く市や県の文化財に指定して欲しいものだ。今回は薩摩の武家門について勉強ができた。他の麓でも同じような決まり事があるのだろうか。


2010 蒲生麓へ

2010-03-13 | 麓-姶良地区

日本一の大クスがある蒲生神社の入口。2年ぶりに蒲生麓を訪れました。

古い看板の跡に雰囲気ある案内板が設置されました。

新たにできた観光拠点、蒲生観光交流センター。

 

気になっていた武家門はなんとか健在中。早く修復の手を差し伸べて欲しい

 

 

参道脇の蒲生小学校

 

新辻馬場へ。

低い石垣と生垣がつくる水平線がすばらしい。いつまでも変らずこの景色でいて欲しいと願う。

 

 

以前は普通の武家屋敷であったと思ったが、以前からお店(*)を営んでおられたそう。

今度蒲生にきたら善哉を食べに寄ってみよう。(*:蒲生茶廊Zenzai

 

 

 

武家屋敷通りへ。

武家屋敷通りの風景は2年前とあまり変らないと思いきや舗装がアスファルトから変っていた

 

 

 

石垣を構成する石や積み方がバラエティに富んでいる。

 

役場の裏手にある武家門は以前は黒門だった。黒門は取り壊されてしまったのか移転したのか。

壊して復元すればよいというものではないと思うがどうだろう。

 

上の武家門はともかく、蒲生麓は全体としてみれば少しずつ観光地としての魅力が進んでいる。

鹿児島空港からのアクセスもよい。あとはメインストリート(八幡馬場)の修景に取組んで欲しい。

参考:蒲生麓(2008.6訪問


2010 石垣群の里・大当

2010-03-11 | 薩摩地方

南さつま市笠沙町にある大当(おおと)集落は石垣群の里として知られる。

石を積み重ねた石垣に囲まれる集落はここも薩摩半島なのかと驚くくらい特異な景観を形成している。

湾は玉林小学校在籍中、夏の海水浴に通ったところ。

 

集落の下の方の石垣。大小の石が高く積み上げられている

 

大当の入口にあるバス停。鹿児島交通が野間半島の生活の足になっている。

 

集落内の石垣群を示す案内板。集落内が広範囲にわたり石垣に囲まれている。

 

坂を登ってみた。傾斜地に沿って家が建ち、それらを囲むように石垣が連なる。

 

 

 

 

よくここまで石を積み上げたものだと思う。それぞれの家を風雨や潮から守るように石垣が続く。

防風や防潮を目的とする石垣は愛媛県の外泊集落が有名だが、日本各地で見られる。

 

時間がないので車に戻ることにした。遠くに鹿児島交通のバスが見える。

 

 

子供の頃、父の車で野間半島の先端のローラン局跡まで行ってみたことがある。

細い山道をくねくねと30分くらい走ると、急に視界が開け比較的広い平地と住居跡があった。

ローラン局員の住居だったのであろう。そこから見える東シナ海は実に雄大であった。


2010 ミニバスケの応援へ

2010-03-09 | 鹿児島市内

長女が所属するミニバスケチームの試合が鹿児島市立体育館であった。みんなで応援へ。

6年生にとって最後の大会。

男子の試合。このあとシュートが決まった!

 

女子の試合。最初の試合は見事に勝利。長女はシュートを何本か決め勝利に貢献!

 

次の第2試合は逆転また逆転の接戦で緊迫したゲーム。みんな声を枯らして応援した。

残り1秒で相手チームがゴールに放ったボールがネットの内側にぽとりと落ち逆転されてしまった。

キャプテンは悔し涙。悔しいけど頑張ったと思う。


2010 出雲大社・社家町散策

2010-03-08 | 中部・関西・中国

出雲大社は左右に千家国造館と北島国造館が並びその周囲が社家町を形成している。

千家国造館。国造家は出雲大社の祭祀をつかさどる。

 

 

 

門前から脇に入ると、社家町らしい風情ある通りが続く

 

土蔵もいい感じである

 

 

 

 

出雲大社を挟んで千家国造館と反対側にある北島国造館。

 

北島国造館前の通り。社家通りという。千家国造館の門前のにぎわいと異なり、静かな佇まいである

 

 

立派な門を構える。神職関係の家なのだろう。こちらの通りの方が昔の名残を残していそうだ。

 

北島国造館側のひっそりとした雰囲気が好き。

もう少し歩き回りたかったが電車の時刻もあって出雲大社を後にした。

後で調べると、旧JR大社駅舎などの見落とした所がいくつかあったのは残念であった。


2010 島根・出雲大社へ

2010-03-08 | 中部・関西・中国

出雲大社は縁結びの神様、大国主命を祀る。

日本神話によると、国つ神の大国主命が天つ神(天孫)に国譲りをする代償として天孫と同じくらい立派な住居

を求め、これを天照大神が承諾し、造営して大国主命をそこへ移したとされている。

 

出雲大社前駅。参道入口から拝殿まで進む。

 

枝振りが立派な松並木を抜けると拝殿がようやく見えてくる。

 

 

松並木を抜けると左手に大国主命と白兎の像。

 

 

出雲大社の参拝作法は「二礼四拍手一礼」

 

拝殿に飾られる注連縄。実に巨大だ

 

 

 

本殿は平成の大遷宮のため残念ながら境内に入れない。

 

隣の神楽殿へ移動する。

 

神楽殿の注連縄に向けて硬貨を投げて突き刺そうとしている人がいる。

真似してみたらできた。上手く刺さり落ちてこないと願いが叶うらしい。

 

神楽殿

出雲大社の宮司を代々務める出雲国造家の存在は面白い。

祖先神が天照大神の二子、アメノホヒミコト。同じく神代から続く家柄が連綿と続くことに驚きを感じる。

出雲国造家は南北朝時代に二家に分裂し、千家国造家と北島国造家を名乗るようになった。

幕末まで交互に祭祀を分担してきたが、現在は千家国造家が出雲大社の祭祀を務める。( 続く)


2010 松江・一畑電車に乗る

2010-03-07 | 鉄道・くるま・飛行機

松江から出雲大社に足を延ばした。

JR山陰本線で出雲市までいくか一畑電車でいくか迷ったが私鉄が面白かろうと一畑電車に乗ることにした。

始発駅である松江しんじ湖温泉駅。古い駅舎を想像したのにガラス張りのモダンな駅舎に驚く。

一畑電車の一日乗車券を購入

 

改札を入って目に留まった電車。レトロな外観とユーモラスな顔。元はどこで走ってたのだろう。

 

電車は宍道湖に沿ってのんびり走る。沿線に茅葺民家が残っているかもと反対側のシートに座った。

よーく目を凝らして捜すと、5、6軒の茅葺民家を見つけることができた。

 

 

いくつか駅に停車しながら一畑口駅に停車する。ホームに降りて写真を撮ってたら電車のドアが急に閉まった。

あわてて電車に走り寄りドアを開けてもらう。あやうくホームに一人取り残されるところであった。

一畑口駅でスイッチバックし川跡駅へ向かう。

デハニ形電車を発見。バタデンとして映画Railwaysに登場する。復活させる計画があるらしい

 

川跡駅で大社線に乗り換える。左が出雲大社前行き。

ホームを渡る途中、2両揃っている場面を正面から撮ったら観光らしいお父さん達も一様にカメラを構えた。

みんなにとっても珍しい車両なのだろう。出雲大社前駅に到着。

この後、出雲大社へ参拝する

出雲大社の参拝を終え、急行「出雲大社号」で松江に戻る。

 

車内を見上げると天井に「国引き伝説」がユーモラスに描かれている。

ここは出雲の神話が残るところなんだなと実感する。松江しんじ湖温泉駅に到着

 

デハニ形電車(バタデン)は2年前に引退したらしい。復活の話があるが機会があれば乗ってみたい。


2010 松江・小泉八雲旧宅

2010-03-05 | 城下町・茅葺民家

松江城の堀に沿って塩見縄手を歩くと小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が暮らした旧居がある。

 

お堀の辺に立つ小泉八雲の胸像。

 

小泉八雲旧居に建つ武家門。石の棟木が載る。鹿児島の加治木麓の武家門で見た石の棟木と同じ。

 

 

 

 

小泉八雲旧居の全景。

 

ラフカディオ・ハーンは明治23年来日し、島根尋常中学校と師範学校の英語教師として松江に赴任する。

翌年、武家の娘小泉セツと出会い、かねて念願であった塩見縄手の武家屋敷(根岸邸)を借りて住んだ。

1年3月で松江を去るが、その間「知られぬ日本の面影」その他の著作をこの屋敷で書き上げた。

旧居の隣は小泉八雲記念館。遺族から寄贈された八雲の直筆原稿や遺品が展示されている。

 

塩見縄手以外はどうかと付近を散策したら趣のある通りをみつけた。長屋門も比較的見かける。

 

 

明々庵の高台から松江城が見えた。