垂水には比較的規模の大きい麓が形成されている。
垂水小学校に残る長屋。垂水小学校は林之城跡で垂水島津家の居城であった
垂水島津家は重富・加治木・今和泉と並ぶ島津一門家である。訪れた日は小雨
馬場沿いの石垣
垂水小学校前の馬場に残る武家門の数々
正面は長屋。右に武家門が見える
高峠に向かう県道沿いに建つ武家門
垂水カトリック教会
県道の反対側、つまり垂水小学校方面の反対側にも麓が拡がっている
次の機会、天気のよい時に訪れたい
垂水には比較的規模の大きい麓が形成されている。
垂水小学校に残る長屋。垂水小学校は林之城跡で垂水島津家の居城であった
垂水島津家は重富・加治木・今和泉と並ぶ島津一門家である。訪れた日は小雨
馬場沿いの石垣
垂水小学校前の馬場に残る武家門の数々
正面は長屋。右に武家門が見える
高峠に向かう県道沿いに建つ武家門
垂水カトリック教会
県道の反対側、つまり垂水小学校方面の反対側にも麓が拡がっている
次の機会、天気のよい時に訪れたい
NHK大河ドラマ「篤姫」が始まった。初回の視聴率20.3%(関東)、第2回目20.4%(同)。好調のようだ。鹿児島地区の視聴率は29.3%。地元で盛り上がっている割には低いかな。地元だから35%(3世帯に1世帯)くらいはあると思いましたが
今和泉島津家屋敷跡(再掲載)
毎回の楽しみはドラマで放映される薩摩武士の暮らし振りと屋敷や当時の麓風景がどのくらい再現されているかということ。
ドラマに出てくる武家門をあそこだと比定するのは難しい。県外ロケもあるし、セットの場合もある。現在の麓地区でロケをおこなって欲しかった。4回目以降の放映を期待します。
今和泉麓の風景(再掲載)。篤姫がドラマ初回で遊んだ海が奥に見える。
霧島市の隼人町、隼人駅のすぐ近くに「隼人塚」がある
隼人塚は「古事記」「日本書記」「風土記」などに出てくる古代南九州の住民、クマソ・隼人の反乱(西暦720年)に因んだ史跡として大正10年に国の史跡に指定されている。
西暦720年は平城京(710年)に遷都して直ぐの頃。隼人の乱は、古代九州の隼人族が大和朝廷の律令制に反対し、大隅国府(旧国分市府中)で反乱を起こし、朝廷が兵隊を送って乱をしずめたが、多数の隼人族が殺された。大分の宇佐八幡宮の放生会は この隼人の乱で亡くなった隼人族の霊を慰めるために行われたといわれている。鹿児島でも、10月の第3日曜日に武者装束で鹿児島神宮を出発し、隼人塚に立ち寄り、浜の市港まで行進する浜下りが行われる。これも隼人の乱で亡くなった人の霊を供養する行事である。
発掘調査の結果、平安時代後期に作られたものであろうと考えられており、現在は当時の寺院の遺跡とする説が有力のようだ。車で15分くらいのところ、旧国分市の重久にも隼人塚の伝説の碑が建っているそうだ。
公園内にある隼人塚史跡館。隼人の歴史を学ぶことができる
館内にある隼人の盾。レプリカ
館内の入口にある隼人族の像?
1月6日に鹿児島市草牟田の護国神社へ初詣にでかけた。
獅子舞の奉納があった。大きな口に噛まれると健康・無病息災になるという。
親子でガブリと噛んでもらった
平山麓の地頭仮屋跡の近くにある光徳寺
昨年末に仕事で川辺町商工会に出かけたとき手作りの古い観光案内図が飾ってあった。観光案内図に3棟の武家門が記されていた。作成年代は不詳(昭和40年から50年代?)。
商店街に面した石垣の立派なお宅
この通りがかつての武家屋敷通りだろうか
きれいな生垣が続いている
残念ながら古い観光案内図にあった2棟の武家門はみあたらない
一歩内に入った路地に武家集落の面影が残っていた
残る1棟の武家門があったのはこの通りだろうか。
ここの武家門も残っていないようだ
前田馬場。正面に諏訪神社に登る長い階段がある
正月の運動不足を解消しようと神社を目指したが、実に長い階段で後日足の筋肉を痛めてしまった
平山麓の風景
親戚の家にねこがいる
名前はポリンキー。コタツから出てこないと思ったら気持ちよく寝てた
宮崎県日南市の京屋酒造有限会社の甕雫(かめしずく)
甕の蓋を取って右の柄杓で中の焼酎をすくってコップに注ぐ。ロックか生で飲むとおいしい
みんなですぐ空けてしまった
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
元日の桜島。冠雪している。最高気温6℃。寒いです。
この後、川辺へ。中山バイパスから錫山方面へ左折したらチェーン規制の表示。
しだいに吹雪いてくるし、外気温はみるみるうちに2℃まで下がる。20~30キロの低速走行でようやく峠を越え、大坂から川辺ダムに向かう頃には吹雪も止み、無事に川辺へ着いた。
標高のある霧島やえびの高原でもチェーン規制があったようだ。