霧島市の隼人町、隼人駅のすぐ近くに「隼人塚」がある
隼人塚は「古事記」「日本書記」「風土記」などに出てくる古代南九州の住民、クマソ・隼人の反乱(西暦720年)に因んだ史跡として大正10年に国の史跡に指定されている。
西暦720年は平城京(710年)に遷都して直ぐの頃。隼人の乱は、古代九州の隼人族が大和朝廷の律令制に反対し、大隅国府(旧国分市府中)で反乱を起こし、朝廷が兵隊を送って乱をしずめたが、多数の隼人族が殺された。大分の宇佐八幡宮の放生会は この隼人の乱で亡くなった隼人族の霊を慰めるために行われたといわれている。鹿児島でも、10月の第3日曜日に武者装束で鹿児島神宮を出発し、隼人塚に立ち寄り、浜の市港まで行進する浜下りが行われる。これも隼人の乱で亡くなった人の霊を供養する行事である。
発掘調査の結果、平安時代後期に作られたものであろうと考えられており、現在は当時の寺院の遺跡とする説が有力のようだ。車で15分くらいのところ、旧国分市の重久にも隼人塚の伝説の碑が建っているそうだ。
公園内にある隼人塚史跡館。隼人の歴史を学ぶことができる
館内にある隼人の盾。レプリカ
館内の入口にある隼人族の像?