山野麓の帰りに大口麓に立ち寄りました。
とても絵になる郷士屋敷。大口小学校(地頭館跡)の近く。
低い石垣に刈り込まれた生垣。武家門に邸内に植えられたいぬまき。
茅葺屋根の母屋がすばらしい。
祁答院家住宅(国の重要文化財)
山野麓の帰りに大口麓に立ち寄りました。
とても絵になる郷士屋敷。大口小学校(地頭館跡)の近く。
低い石垣に刈り込まれた生垣。武家門に邸内に植えられたいぬまき。
茅葺屋根の母屋がすばらしい。
祁答院家住宅(国の重要文化財)
江戸時代の山野郷は山野村、山野町を経て大口市(現在の伊佐市)の一部となる。
大口市街地から山野地区に入ると長い商店街が続く。山野小学校の先に下之馬場というバス停。
麓はここらあたりだろうと目処をつけ脇に入ると麓らしい風景が広がってた。
前の用水路をきれいな水が流れる。
石橋の先に構える武家門。家主らしき方にうかがうと江戸時代から続く門とのこと。
すこし奥まったところ。観光化されていない素の麓が広がっている。
山野麓は大口麓から熊本県水俣市に抜ける薩摩街道・大口筋にある。
鹿児島は奥が深い。観光地でない地区に麓独特の景色がひっそり残っている。
いつまでも残したい鹿児島の風景です。
郡山八幡神社。室町時代の「焼酎」の文字が残る木片が見つかった神社です。
旧菱刈町(現、伊佐市)には中郷として本城郷、小郷として馬越郷、湯之尾郷が設けられ、それぞれの地頭仮屋は現在の本城小学校、菱刈小学校、湯之尾小学校に置かれた。
菱刈町郷土史(平成19年改訂)によると「湯之尾麓は湯之尾神社及び仮屋を中心に、川内川右岸の低地に形成された。湯之尾神社前の馬場は道路整備で拡幅されているが、その景観をよく留めている。馬場周辺(現、川北麓中集落)は「麓馬場組」と呼ばれた。」
湯之尾神社
湯之尾神社前の馬場。馬場周辺には麓らしい風景は見られず
湯之尾小学校の麓に武家門構えの屋敷がある。菱刈町郷土史の写真に麓の郷士門として登場する
川内川右岸の湯之尾温泉街。近くの菱刈金山から湯を引いている。区画整理されている
横綱白鵬関一行が宿泊した旅館山水
川内川河川敷。温泉後のいい散歩コース
(訪問記)
川内川の氾濫を受けて整地されたためか川内川右岸の馬場付近に麓らしい風景は残っていなかった
大口市郷土誌によると大口麓の郷士の一部は大口城(城山)をぐるりと囲むように配置された。
下之馬場から続く片馬場に残る石垣、石柱の門、屋敷林
片馬場の風景。竹垣が残る
武家門は見られず。大口城址(城山)の背後
玉石垣と生垣
大口城址の周囲を一周し、諏訪馬場に戻る。
正面に延びる道路が諏訪馬場。交差点の向こうは拡張され左右に歩道を備える幹線道路となっている。
手前の馬場は元の姿のままのようだ
(訪問記)
大口郷は国境を守る要衝の地として多数の郷士が大口城の麓に配置され、武家屋敷地が形成された。しかし出水麓や高岡麓に比べるとめぼしい遺構は地頭仮屋跡の大口小学校の周辺に限定されるようだ。茅葺の郷士屋敷が複数残されている点は素晴らしい。茅葺の主屋、茅葺の門、玉石垣、生垣に囲まれた郷士屋敷が並ぶ大口麓の風景を想像することができる。伊佐市役所の周囲を修景し、御仮屋門を復元してもらいたい。
忠元神社や諏訪神社のあたりを含め、来年もう一度訪れたいと思う。
大口麓の諏訪馬場から上之馬場を歩く
上之馬場。手前の白壁は土蔵。上之馬場には二棟の武家門が並んで建っている。奥は祁答院家住宅
茅葺の祁答院家住宅。上之馬場
江戸中期の薩摩藩郷士の住宅として残る貴重な武家屋敷で当時の姿を最もよく保っている
武家門も当時は茅葺であったと言われる。国指定重要文化財
石垣の遺構も古そうだ
上之馬場は地頭仮屋跡の石垣を左折して地頭仮屋跡の石垣に沿って鉤形に右折する
上之馬場の風景。左の敷地は大口小学校
地頭仮屋跡の角
右の古い玉石垣と左の比較的新しい石垣との間にある石は石敢当だろうか
上之馬場の突き当たりを左折すると下之馬場につながる
下之馬場の風景。下之馬場は川沿いに延びる
下之馬場から一歩入った奥に武家門が見える
石柱の門があった
(続く)
大口市(現伊佐市)里。諏訪馬場。茅葺の武家屋敷
祁答院家住宅と並び大口麓(里)のランドマーク的存在。長野や東北地方の農村風景のよう
武家門構えが薩摩藩の郷士屋敷であることを物語っている
貴重な茅葺屋根
竪馬場をのぞむ。正面は大口小学校(地頭仮屋跡)
諏訪馬場の眺め
諏訪馬場。落ち着いた佇まいの武家屋敷。武家門、玉石垣、生垣、屋敷林、主屋が調和している
同じく諏訪馬場に建つ武家門
玉石垣と生垣が続く。区画整理により歩道と街路樹が設けられている
諏訪馬場を歩くと高い建物がなく敷地がゆったりし空が広く感じられる
どこからでも城山(大口城)が眺められる
さきほどの茅葺。屋根の傷みがかなり進んでいるようだ。早めに修復したい
歴史まちづくり法の補助を受けたいが。行政が中心となって歴史資産の保護に取り組んで欲しい
遠くに見えるのは伊佐市役所。この建物は修景したい
薩摩藩時代、大口郷は出水郷や高岡郷と同じく国境を守る要衝の地として多くの郷士が置かれる大郷であった。地頭仮屋(大口小学校)の正面に竪馬場が延び、竪馬場と交差するように地頭仮屋の手前から上之馬場、下之馬場、諏訪馬場が設けられた。さらに下之馬場から大口城の周囲を囲むように片馬場が設けられた。大口麓の武家屋敷は地頭仮屋を中心に各馬場に沿ってまた大口城を囲むように配置された。
(続く)
大口市郷土誌によると、石垣で囲まれた右の屋敷地が地頭仮屋跡のようです。ただし、碑はない
上の屋敷地に木々に埋もれるように武家門が残っています。いつまで残ってくれるのだろう
手前は上之馬場。馬場といっても今では単なる筋道になっている。正面は地頭仮屋跡。
武家門を少し進むと、旧羽月小学校開校の地がある
生垣が続く。デシュ馬場と呼ばれた通り
少し先に武家門が残っている。晩秋の風景
堂々たるいい構えをしている。ブロック塀の前は生垣だったのだろう
この写真も捨て難い
(訪問記)
羽月麓は大口麓の近郊にある。中規模の麓。麓としての形態は次第に失われつつある。
それでも、石垣、生垣、所々に点在する武家門に麓の面影を知ることができた。
この後、大口方面へ車を走らせる。
参考⇒大口市・羽月麓(2007年10月訪問)
11月、旧大口市の羽月麓を尋ねました
地頭仮屋跡前の馬場
古い鳥居
長屋風の門
古い石垣がのこる。奥に武家門がみえる
左右に続く石垣の途中に武家門がある
奥には生垣も見える
羽月小学校前の通り。左が羽月小学校。奥が羽月の麓地区
(続く)
大口小学校や大口市役所のある里一帯には、武家屋敷が広く点在する。かつての大口麓
茅葺スタイルの郷士屋敷
武家門構え。私の知る限り、県内に残る茅葺+武家門の組み合せは、祁答院家住宅、高山の二階堂家住宅、知覧の3軒のみ。入来麓には茅葺作りの門が残る
奥が大口小学校の正門
大口小学校前の通りを一歩入ったところ
駆け足だったが、里一帯はもう一度訪れたい
苦言。周囲の住民の方々は景観保全に努力しているのに対し、中心に位置する大口市役所は無機質なコンクリートやブロックだらけ。せめて、駐車場の周囲だけでも周囲の景観と調和させて欲しい。