あけましておめでとうございます。
南九州市、川辺町商店街に「開運合格神社」という面白い名前の神社ができました。
赤い鳥居と五角の輪をくぐって中に入るとBGMが流れている。
右に神社の由来と参拝の手順が貼ってあり、左には絵馬が飾ってある。
手順にしたがって、五角の札を購入し、真ん中の五角の柱の上に乗るように投げ入れる。
上手く乗ってくれた。落ちたら拾ってもう一度試してもいいのかな。
面白い神社を考えるものですね。
あけましておめでとうございます。
南九州市、川辺町商店街に「開運合格神社」という面白い名前の神社ができました。
赤い鳥居と五角の輪をくぐって中に入るとBGMが流れている。
右に神社の由来と参拝の手順が貼ってあり、左には絵馬が飾ってある。
手順にしたがって、五角の札を購入し、真ん中の五角の柱の上に乗るように投げ入れる。
上手く乗ってくれた。落ちたら拾ってもう一度試してもいいのかな。
面白い神社を考えるものですね。
8月に息子と野間半島へ岩石採集にいったときのもの。
榊バス停
野間半島を野間池港方面へ車を走らせる。
道路状況は昔よりよくなったがところどころ細い1本道がまだ残っている。
昔(子供の頃)は野間池港まで山の中腹にこんなくねくねした1本道しか通っていなかった。
父親の車で野間岬にあったローラン局跡までドライブに行ったことがある。
帰りが遅くなってヘッドライトの灯りをたよりに真っ暗な道を父親の運転でくねくねと走った。
がけから落ちないかと子供心に心配したもんである。昔の車はヘッドライトの灯りも暗かったからね。
野間池港に到着しさっそく野間池海岸へ。この日は無風状態でじりじりと日差しが熱い。
岩石採集もそこそこに海岸を早めに撤退。
野間半島の帰りに金峰山に登ってみた。
平野から見上げると険しそうな山に見えるが神社のふもとの駐車場まで車で登ることができる。
ここは山岳信仰の聖地。参拝して神社脇の道を少し登ったら頂上にすぐについてしまった。
少し拍子ぬけ。
金峰山の頂上からの眺めは雄大。山頂を通り抜ける風が実に気持ちいい。
遠くに野間半島と野間岳がみえる。山頂の反対側にまわると桜島がみえる。
息子の岩石採集標本とレポートの提出がようやく終わった。
ニ週間夜遅くまで標本作りとレポート作成に追われる。上の子の分も期限に間に合うようになんとかまとめ終わる。
指宿方面の岩石採集にはエルグのテニス大会(下の子が初心者クラスで優勝!)が終了してから出発した。
今和泉火砕流。道の駅いぶすきの下の海岸に跡がある。海岸に降りる階段がある。
魚見岳の崖状の露頭を見る予定だったがあまりに暑いので指宿白水館に直行することに。
翌日は白水館のプールで遊んでから山川町の福元地区へ。
ここは福元火砕流による堆積物が固まってできた山川石の産地で知られる。
岩石(名付け会で否定されるまでは山川石に違いないと喜んでいたが)を採集して次の開聞山麓へ。
川尻漁港。
川尻漁港の先に火山噴出物がたくさん見られた。これも火砕流の跡か。しかし暑い
海岸で採集した岩石。開聞山麓でUターン。
帰りに今和泉漁港近くの海岸へ。今和泉火砕流の跡。黒曜石は見つからず。
2日間で採集できた岩石の種類は思ったより少ない。
指宿方面の岩石採集を兼ねて指宿白水館に宿泊しました。
6年前にロシア初代大統領エリツイン一家が静養で訪れた。記念碑
外国の賓客をもてなしできる旅館があることは指宿温泉のステータスを発信する上で意味が大きい。
新幹線の全線開業やJRのいぶたま効果で指宿を訪れる観光客が増えている。
残念ながらJR指宿駅から海岸沿いのホテル・旅館までの一体感に乏しい。これが指宿温泉の課題でしょう。
チェックイン後、子供たちとホテルのプールへ。日が暮れるまでプールで遊ぶ。
あこうの木の下のハンモックは潮風に揺れて気持ちいい。
カクテルがあればなお気持ちよさそう。
夜は薩摩伝承館の隣りにあるイタリアレストランで。
浴衣できてくださいとしきりにフロントでいわれる。しかし浴衣はわたしの家族だけであった。
翌朝、再びプールへ。午前中いっぱいプールで遊ぶ
指宿白水館を後にして、開聞山麓へ岩石採集に出発する。
野間漁港の先に車を停めて海岸へ。
資料によると北側海岸はれき岩、砂岩、けつ岩、石灰岩、花こうはん岩、角せん石片岩など採集できる。
ところが漁港と北側海岸との間に高い堤防ができて海岸へ渡れなくなっていた。
堤防の端に高いはしごとロープが掛かっていた。私だけロープで堤防によじ登り海岸のようすをさぐって見た。
北側の海岸は正面の岩のさらに向こう側のことか。石をいくつか採集し子供たちの待つ波止場へ引き返す。
なんで階段を作ってくれなかったのだろう。
朝6時に自宅を出発してまだ午前11時だがすでに暑い。笠沙恵比寿で休憩。
3人でアイスを注文。窓辺に飾ってあるガラス玉は漁に使うもの。
野間半島は釣りのメッカ。レンタル釣り竿も置いてあった
あまり収穫なく野間半島を後に。堤防があったのは誤算。
それと干潮の時間にあわせて出発したほうがよかったか。
S字カーブの道はもうすぐ廃止され、上の新しい橋梁の道に替わる。
再び谷山の段々畑が見えてくる。
大浦干拓近くの小島に渡る。こんどは潮がひいて海岸に下りることができた
加世田市街のマクドナルドに寄り(子どもはマック店内で体験ソフトをDSにDL)、金峰山へ。
県道20号線の大坂の交差点から入ると金峰山への林道入口がある。
林道脇に露頭がある。
とても硬そうな岩だ。専用ハンマーでたたくと火花がでるがなかなか割れない。
割れそうな場所を捜して汗だくで採集する。
本日の岩石採集はこれで終了。炎天下で疲れた。
採集した岩石の名前を調べる作業がまだ残っている。
旧笠沙町の小浦集落から野間池方面へ向かう。
旧玉林小学校近くの理髪店。建物は40年近く前と変わっていない。今も現役でやっているのだろうか。
片浦集落をすぎて石垣の里で知られる大当(おおと)集落の先の砕石場の近くに露頭があった。
砂利によく見られる岩石を採集する。
高崎山展望所で小休止。
野間池までの道路はよくなったとは言え、いまだに対向車との離合に気を使う箇所が残る。
約40年近く前は細くてS字を描くようにカーブする道が山の斜面に延々と野間池まで続いていた。
道路の下は断崖絶壁の箇所が数箇所あり、数軒の集落がぽつぽつ点在しているようなところであった。
今は野間池までの道路の大半が拡幅され通行やすくなっている。
ここを下ると谷ノ山停留所
谷ノ山停留所(谷山展望所)で小休止。有名な谷山の段々畑を展望できる。
意外とバスの本数がある。1~2時間に1本の割合。バスに揺られて野間池までいってみたいものだ。
道をいそぐ。
野間池港に到着。北側海岸が岩石採集の目的地
7月31日に子供と一緒に野間半島へ。夏休み宿題の岩石採集が目的。
資料を参考に回るようにした。今回は1回目。薩摩半島の西側にある野間半島をめざす。
大浦干拓近くの小島。しかし満ち潮で降りるのを断念。帰りにもう一度寄る。
近くをうろつくと道路に赤いカニがいる。警戒心が強くすぐに草むらにひっこもうとする。
車に轢かれた後の甲羅もあり同種のカニがけっこういる。
榊バス停付近。車を走らせるとすぐ場所が分かった。バス停近くに露頭がある。
硬そうな岩だ。簡単に割れそうでない。
大浦干拓は稲刈りの最中。
大浦中学校の近くで見つけたカニ。もともと海岸に近かったせいかカニをよく見かける。
大浦中学校裏の露頭。ここの岩石はやわらかくぽろぽろと崩れそう。
旧道をとおり旧笠沙町へ。赤生木小学校近くの道路脇に露頭がある。
岩石を採集してもその場で名前が分からないのがもどかしい。
旧笠沙町の小浦集落。
小浦集落の高台から崎の山という突端の途中まで道が延びているはず。
そこから海岸へ降りると岩石がいくつか採集できると考えたが小浦集落の高台から先へは車の進入禁止となっていた。
しかたなくUターンし次の野間池へ (続く)
今年のG.W.は近場で過ごすことにした。
指宿いわさきホテルで行われた中国雑技団のショーをみにいく。
道の駅いぶすきにて。G.W.期間中は県外ナンバー特に関西ナンバーが目立つ。キャンピングカーもよく見かけた。
指宿の国民休暇村。走って海岸に降りる。
指宿の浜ではウィンドサーフィン大会が行なわれていた。
ラッキーなことに知林ヶ島まで渡れるようだ。時間帯によって知林ヶ島との間に砂州ができる。
何十年も渡ったことがない。記憶によると最後に渡ったのは丹波小学校の4年の遠足のとき。
みんなで砂州を歩いて知林ヶ島まで渡ることになった。
子供たちは平たい軽石を拾っては海に投げる。5段飛びくらいだったら自分もできる。
指宿いわさきホテルへ。お昼からの中国国家雑技団ショーをみる。ここを訪れたのも久しぶりです。
子供の頃ここにあった有名なジャングル風呂によく親に連れてってもらった。
長男が藺牟田池へ一日登山に行ってきた。5年生の一日登山はもともと韓国岳。新燃岳噴火の影響で変更になった。
藺牟田池は火口湖で標高450~500mの外輪山に囲まれ、格好のハイキングコース。
2月の休日に長女が突然ドライブへ行こうと言い出した。中学受験も終わってほっとしたのだろう。
近場を調べてみると鹿児島市内から川内まで高速道路が現在無料。そこから藺牟田池まで近い。近くに道の駅もある。
手頃なドライブコースなのでみんなを乗せてさっそくでかけた。
道の駅樋脇。島津の殿様湯という足湯もある。旬の野菜や花の苗を購入。
空港道路をしばらく進み左折すると藺牟田池。
貴重な自然が残る藺牟田池はいろんな野鳥が飛来し多くの野生動植物が生息する。
低層湿原に泥炭層を形成し、泥炭形成植物群落が大正10年国の天然記念物に指定された。
ベッコウトンボの生育地として有名で1996年に保護地区指定、2005年にラムサール条約に登録された。
国内では1980年に釧路湿原がはじめてラムサール条約に登録され、現在は尾瀬など33箇所が登録されている。
九州では藺牟田池と大分のくじゅう坊ガツル・タデ原湿原の2箇所のみ。
藺牟田池を外輪山が囲む。
エサを与えるとすぐに寄ってくる。
防護の縄が張ってあっても構わず近寄ってくる。防護の縄を張る意味があるのだろうか。
2月にしては天気が暖かったので二人用のレンタサイクルを2台借りて藺牟田池を一周した。
弟は姉と競争したがる。
サイクリングロードは約30分で1周できる。
藺牟田池に2時間ほど滞在し入来峠を越えて戻りました。
指宿は子供時代を過ごした思い出のある町です。
指宿駅前
4年のとき同級生と二人で菜の花を2~3本束にして観光客相手に駅構内で売ろうとしたことがある。
近くの生命保険会社に親が務める同級生の提案だった。今思えばよく注意されなかったものだ。
後から同じ小学校に勤務していた自分の親からえらい叱られた。親のしつけが大変厳しくなったのはその頃。
当時は駅前がとてもにぎわっていた。近くに指宿デパートもあった。
鹿児島交通のバスセンターだけは今と同じようにみすぼらしく、立派な建物にしてくれないのかなあと思っていた。
丹波小学校の当時の生徒数は1300名を越えて多かった。現在は700名くらいという。
青い屋根の体育館は九州一といわれた木造の講堂が漏電で焼け落ち3年生のときに新しく建てられたもの。
新築校舎は手前にあったRC製校舎を取り壊し別の場所に現在建築中。地元の木をふんだんに使っているそうだ。
湯の浜。砂むし会館の向かいにある玉屋ユースホステル。
同級生の息子がいて卓球台があった。クラスのみんなで卓球をしによく遊びにいった。
迫北公民館。夏休みのラジオ体操の場所。運動会の地区別対抗リレーに4年代表で出場し優勝した。
優勝旗を公民館にもちかえり祝勝会をやってもらった。大好きなカレーで祝ってもらった。
指宿幼稚園の先の商店街。当時のにぎわいに比べるとずいぶん寂しくなった。
自転車屋、パン屋、花屋、時計店、洋服店・・・当時は一通りのお店がそろっていた。
スーパーがあったので買い物客でにぎわっていた印象がある。
下の洋服店で母親に新しい帽子を買ってもらった思い出がある。
新しい帽子をかぶって夏休み親子四人で福岡にいる父親の元へ鹿児島本線に乗って遊びにいった。
父親は夏休みの間、九州大学へ教員研修にでかけていた。