鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2010 JR博多駅ホームにて

2010-05-31 | 鉄道・くるま・飛行機

5月14日は福岡市に出張。

鹿児島中央駅から博多まで1時間に2本新幹線がでている。

九州新幹線が全線開業すれば新大阪行き新幹線が1時間に1本でるという。

翌朝の博多駅。新駅ビル建設が着々と進んでいる。

 

JR博多駅ホームは九州管内を走るいろんな特急がやってくる。

特急かもめ。長崎本線長崎駅行き。九州新幹線つばめにデザインが似ている。

JR博多駅は日本で在来線特急がもっとも多く発着する駅であるという(Wikipediaより)。

ホームで列車を待つ間、いくつもの特急をカメラに収めることができた。

 

かもめと記念撮影をする外国人旅行者。

 

向かいのホームに九大本線大分行き特急「SONIC」883系。

 

数字のマークがあちこちに表示されている。

 

大分行き特急「ゆふ」号もやってきた。レッドカラー。

人気の高い2階建て「ゆふいんの森」号を期待したが残念ながらこなかった。 

 

そうこうしているうちに新八代行き特急「リレーつばめ」がやってくる。

 

乗車して鹿児島に戻る。


2010 高崎麓

2010-05-29 | 麓-小林・都城

宮崎県北諸県郡の旧高崎町(現在は都城市に合併)の前田に旧高崎郷の地頭仮屋が置かれ、付近に麓が形成された。

高崎麓小学校という名前に名残が残る。

 

高崎麓小学校。国道221号線の前田交差点から旧国道に入ったところにある。

 

旧国道沿いに麓の面影として玉石垣や生垣が残っている。

 

 

約2kmにわたり続く旧国道沿いに切石の積まれた石垣や立派な石柱の門が点在する。

麓集落であったことを理解できる。

 

 

 

残念ながら旧国道沿いに武家門は見当たらず。高原麓をめざして国道221号線を西に向かった。


2010 高城麓 03

2010-05-24 | 麓-小林・都城

月山日和城の下に高城郷地頭仮屋跡があった。

 

高城小学校跡。左手から高城町郷土資料館に登れるようになっている

 

月山日和城の周りを歩いてみた。城の周囲に生垣が残る。模擬天守閣は高城町郷土資料館を兼ねる。

 

幹線道路を脇に入ると武家門が残る路地がある。この付近は玉石垣と生垣が割合残っている

 

 

 

 

武家屋敷その5。風格を感じる。素晴らしいのひとこと。

 

 

一番最初に紹介した武家屋敷とは城を挟んでちょうど反対側にある

 

諏訪馬場(正面に諏訪神社がある)へ引き返す。

9棟目の武家門。当時の玉石垣も残っている。

 

 

 

諏訪馬場に面して建つ石柱の門。玉石垣がよく残っている。

 

旧後藤家商家交流資料館付近。近所に立派な屋敷があった。

 

ずいぶん立派な門だがかつて屋根があったのだろう。

 

近くにこれもかつては武家門であったのか古い門がかろうじて建っていた。

 

 

 

 

旧後藤家商家交流資料館に戻る。

 

 

高城麓には未整備ながらも多くの武家屋敷や武家門がまとまって残っている。

町づくりに上手く活用してほしいと思う。


2010 高城麓 02

2010-05-22 | 麓-小林・都城

高城(たかじょう)麓の続き。カメラ片手に武家門を求めて歩く。

諏訪馬場古戦場跡から引き返すと東西に走る広い馬場に出ました。名称は不明。

 

馬場沿いに二棟の武家門が残ります。石造りのアーチも

 

武家屋敷その3。武家門と蔵。蔵はよく見ると下半分が石造、上半分が木造となっている 

 

 

 

隣に建つ武家門。ブロック塀が惜しい。

 

 

左右の塀のブロックはかつて生垣であったと思われる。

 

馬場をまっすぐ戻ると生垣の続く屋敷や諏訪馬場古戦場跡がある。

 

後藤本家の土蔵の角にでた。他の麓と同じく道がかぎ形に曲がっている。

 

先が見通せないようになっている。

 

武家屋敷その4。正面は高城神社。塀はめずらしく板塀である。

 

 

 

武家屋敷その5。ここでも道がかぎ形に曲げられている

 

 

奥に中庭に入る屋根付きの門が見える。

 

(続く)


2010 高城麓の風景

2010-05-18 | 麓-小林・都城

高城麓(旧高城町)は都城市街地の北方に位置し、一帯は三俣院三郷(高城郷・山口郷・勝岡郷)の一つ、高城郷と呼ばれた。

薩摩藩の直轄地となってから藩内各地から藩士が移住し、月山日和城の麓に屋敷を構えて居住した。

現在も多くの武家屋敷が石垣や生垣等とともに当時のまま残っている。

 

高城麓の中心にある旧後藤家商家交流資料館。ランドマークになっている。

 

向かいは後藤家本家。

 

 

後藤家本家の裏手に風情ある路地が残っている。

 

 

武家屋敷その1。武家門は潜り戸を備えている立派なもの。

 

 

 

石塀が続く。

  

武家屋敷その2。石垣は高岡麓で見かけた高岡石を用いたものか。

 

こちらの武家門も潜り戸を備えた立派なもの。

 

 

さきに進む。石柱の門。

 

そのさきに見事な生垣が続いていた。生垣は薩摩藩の麓独特の景観をなす。水平に延びる刈り込みが気持ちいい

 

 

諏訪馬場古戦場跡。

(続く) 


2010 都城島津家・島津邸へ

2010-05-15 | 麓-小林・都城

都城島津家の島津邸へ。

島津邸の石垣は比較的新しくみえる。門前の道路は島津邸が建てられた後にできた新道。これと関係ありそうだ。

明治に島津邸が建てられた当時の写真を見ると表門に向け敷地の入口からまっすぐに道が長く延びている。

邸内のようす

 

 

 

石倉の中に展示されていた兜。都城島津家の家紋は本家の家紋と少し違っている。

 

奥の土蔵に都城島津家に伝わる貴重な古文書や甲冑等が保管されていた。 

 

敷地内に新築された都城島津伝承館に立ち寄る(入館料210円)。貴重な資料が展示されている。

ビデオ放映による都城島津家の歴史紹介は分かりやすかったし、明治に建てられた当時の邸の様子や門の姿など

貴重な写真を見ることができたのは大きな収穫であった。都城島津邸をあとにして高城麓へと向かう。

 

参考:都城島津と歴史博物館


2010 都城島津家・城下町の風景

2010-05-12 | 麓-小林・都城

G.W.に都城市を訪れる。高城麓に向かう途中、都城の市街地で都城島津邸の案内板に目が留った。

都城島津邸。今年3月27日から一般公開。朝早すぎて門は閉まったままであった。

開館までの時間、早鈴町界隈を散策することにする。

 

都城島津邸の正面に建つ武家門。

 

 

早鈴町界隈には玉石垣と生垣の風景がよく残っていることが分かった。

 

 

 

早鈴町界隈を歩くと武家門や古い石垣が残っている。

 

古い石垣と生垣が続き、庭木がきれいに手入れされているところが多い。

 

 

 

 

崩れかけた古い武家門にも出会った。

 

 

向かいに石柱の門が残る。かつては大きな屋敷があったのではなかろうか。

 

マンションに建て替えられた屋敷の石垣はそのまま残されていた。 

 

東口番所跡。よく見ると向こうのマンションの玄関は武家門のままだ。

 

保存か解体かで揺れた都城市民会館。

 

恐竜か巨大なハリネズミのようにも見える建物は戦後モダニズム建築の傑作と言われた。

確かに斬新な建物だ。建設にGOを出した当時の市長も偉いし、作った地元の建築会社もすごい。

地元大学からの貸与申し入れで解体の危機を免れることができた。よかったね

早鈴町界隈は武家門や石垣、生垣等が良く残っている。


2010 屋久島・千尋滝とトローキの滝

2010-05-10 | 種子屋久・奄美諸島

ヤクスギランドから安房に下り、千尋滝に向かった。展望台からみえる千尋滝。

モッチョム岳の脇を車で少し登ると駐車場があり、そこから展望台まで直ぐである。

前回訪れた時よりも水量があるようだ。

展望台から下に下りる階段があるが通行禁止。巨大な一枚岩がすごい

 

千尋滝を戻り、トローキノ滝へ。森の中を先端まで歩いていく。

 

トローキノ滝。国道の赤い橋が印象的。奥の山はモッチョム岳

 

 

橋の上から滝つぼとその先をのぞむ。

 

トローキノ滝への入口でこんな標柱を見つけた。

753年というと奈良時代、遣唐使の船が帰路屋久島の浜に漂着し、吉備真備が上陸したとある。

遣唐使の航海は命がけであったときく。奈良時代も屋久島は人が住んでいたであろうが想像がつかない。

 

安房港でレンタカーを返却し予約を取ってもらった安房のビジネスホテルに宿泊する。

近くの食堂レストランでビールと夕食をとる。

翌日は午前中に安房で仕事。仕事でお世話になったKさんと一緒に宮之浦へ。Kさんは屋久島6年目の転勤族。

まだ縄文杉まで登ったことがないという。今度いっしょに登りましょうという話になった。

海沿いのレストランで昼食をとる。そのときのトビウオの刺身。

 

宮之浦で仕事中にヤクシカが近くに出現した。こんな町中まで現れるとは。

屋久島全体に1万2千から1万6千頭くらいいるという。ヤクシカによる農林業被害は地元にとって悩みの種。

宮之浦で雑談中、昭和30年代から40年代前半の林業に沸く屋久島の話がでた。営林署の仕事、トロッコ通学

小杉谷集落のにぎわい、米軍機の墜落、縄文杉を越える幻の大杉捜し・・・屋久島の山中をまわり縄文杉を一緒

に発見した方の話は実に面白かった。こないだの出来事のように話してくれる。

興味は尽きないが乗船時間が迫り宮之浦港へと向かった。今度は三岳片手に昔話の続きを聞いてみたい。


2010 海釣り公園

2010-05-09 | 鹿児島市内

5月5日、鴨池の海釣り公園へ朝早くでかけた。

春はタイ、チヌ、メジナ、 カサゴ、キス、イシダイなどが釣れるという。

体重8kgのマダイを吊り上げた写真も展示してあった。子供の日につき子供料金は無料。

管理事務所で受付を済ませ、売店で竿を借りて釣り糸とえさを購入し、さっそく釣り場へと向かう。

 

桟橋の上にはすでに多くの釣り客がいた。場所を確保してさっそく釣りに挑戦する。 

 

 

エサは釣り糸の先にぶらさがる錘付きの小さな籠に冷凍エビを詰めて釣り針といっしょに垂らすやり方である。

こんなんで釣り針に魚が食いついてくれるのかなあと不安だったがとりあえずやってみる。

釣り糸をリールで巻き上げる。何度か「あたり」らしいものがくるのだが・・・。こない。

周囲も似たようなものである。

 

 

 

初めての挑戦でエサがなくなるまで3時間粘ったが成果は???であった。

長男は不満顔であったがまたやってみたいという。

今度はいろいろと事前に学習し情報を収集してから出掛けよう。


2010 吹上浜・潮干狩り

2010-05-08 | 薩摩地方

G.W.の初日、吹上浜に潮干狩りにいく。潮干狩りは何十年振りであろう。

子供の頃はひと掻きすれば粒の大きいアサリ貝が2~3個ぽろぽろっと採れてた気がする。

 

吹上浜のキャンプ場近くにて。キャンプ場の先の松林の中まで車で行ける。

 

吹上浜は目と鼻の先。2年前に鹿児島大学の自然観察教室に子供と参加。吹上浜の漂着物についてその種類と

どこから来たかを調べて、ごみ問題を考える企画だった。ハングル文字の漂着物が多かったのは意外だった。

 

 

干潮までまだ1時間ほどあるが潮干狩りを楽しむ家族連れがあちこちにいる。のんびりして気持ちのいい風景だ。

われわれも貝堀りに参加する。貝堀りしてるのか砂を掘って遊んでいるのかわからない。 

 

 

持参のデジカメが突然動かなくなってしまった。レンズが本体から出てこない。レンズが本体に引っ込む時に

浜の砂が入り込んでしまったようだ。干潮の頃は人出が増えてたくさんの家族連れが潮干狩りを楽しんでいた。

みんなで収穫したアサリ貝はその日砂抜きし、翌朝の味噌汁の具に使いました。