鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2010 山陰本線に乗って

2010-02-27 | 鉄道・くるま・飛行機

鳥取への出張翌日は休日。翌日に隣りの島根県まで足を延ばしました。

朝のJR鳥取駅。駅構内。早朝なので人が少ない。

 

巨大な飾り傘はお祭り用?

 

鬼太郎商店があった!惜しくも準備中。他のお店で鬼太郎グッズを買うことができた。

鬼太郎の作者、水木しげる氏は鳥取県境港市の出身。

 

 

松江行きホーム。

 

向こうのディーゼルカーは緑色の車体の側面に例の飾り傘の絵、正面には白兎の絵。地域を感じる

 

 

8:29発米子行き特急スーパーまつかぜに乗車。2両編成のディーゼルカー。

 

スーパーまつかぜは日本海に沿って軽快に走る。車窓からの日本海。

 

山陰地方独特の赤瓦の民家。向こうに日本海。

 

米子駅で普通車に乗り換える

 

中海沿いにしばらく走り、松江駅に到着。

 

松江駅前のバス停留所。赤と黒のラインが印象的な一畑交通バス。

背後のビルも一畑。地元では大きなグループ企業らしい。 

松江市は漫画家園山俊二の出身地でもある

 

2010年5月公開予定のRAILWAYS(*)。松江と出雲を結ぶ一畑電車(愛称:バタデン)が題材。

レトロな車体を走らせる計画も進行中。山陰地方でとても元気な企業体だ。

一畑電車の印象は鹿児島県薩摩半島をかつて走っていた南薩鉄道(廃止)とダブる。 

 

参考:RAILWAYSホームページ


2010 鳥取市・武家屋敷地区 02

2010-02-24 | 城下町・茅葺民家

鳥取市内に残る武家門を求めて~続き

西町。西町には板塀がよく残る。赤瓦屋根が印象的。背後は久松山(鳥取城跡)。

 

 

門や左右の板塀に重そうな赤瓦が載る光景は薩摩の武家門とずいぶん趣が異なる

 

西町から鳥取県庁の向こう側、江崎町と馬場町へ移動する。堂々とした武家門。黒光りする瓦が載る

 

 

 

江崎町。武家門の左右に生垣が続く。生垣があると表情が和らぎ、いかめしい感じがない。

 

 

江崎町。

 

 

馬場町。二棟の武家門が続く。貴重な組み合わせのショットかなと思います。落ち着いた通りである

 

鳥取市内を歩くと久松山の麓に武家集落の面影が意外と多く残っています。

備考:南日本新聞によると桜島の藤崎家武家門、喜入町の牧瀬家武家門が鹿児島市景観重要建造物指定候補

に決定された。景観整備が進めばなおいいですね。


2010 鳥取市・武家屋敷地区

2010-02-22 | 城下町・茅葺民家

鳥取城のまわりに今も残るであろう武家屋敷を求めて散策しました。

閑静な住宅街が広がるととともに官公庁が集まる落ち着いた街並みをなしています。

西町で最初に目に留まった住宅。黒板塀と黒光りする瓦屋根が印象的。西町

 

 

最初に見つけた武家門。左右に小屋根が付くが短く改修されたものか。なんか窮屈そう。

 

道路を挟んで上の武家門と相対する武家門。こちらは立派な板塀を備えている。

左は若桜街道。裁判所に面する

 

上の板塀をぐるっと回ると立派な黒板塀が続く。

 

板塀の上には山陰地方独特の赤瓦が載っている

 

 

若桜街道沿いには武家門を備える家が点在する。

 

鳥取城を囲むように武家屋敷が並んでいたかも知れない。赤瓦がとても印象的。背後は久松山

 

同じく若桜街道に面する武家門。板塀が続く

 

 

(2回シリーズ~続く)


2010 鳥取市・鳥取城

2010-02-19 | 城下町・茅葺民家

1月28日、東京から羽田発最終便で鳥取へと向かった。

鳥取城

鳥取市内のホテルにチェックインし居酒屋へ。翌日は晴れ。仕事の合間に鳥取市内を散策する。

1月の鳥取で天候に恵まれるのは大変珍しいらしい。日本海沿いのためか

池田家32万石の鳥取城へ。秀吉の兵糧攻めで有名な城。久松山の麓に天守台、石垣、城門、堀など残る。

 

堀の奥に見える白い西洋館は仁風閣。

 

二の丸からの鳥取市街地の眺め。

 

仁風閣。奥の建物は鳥取県庁

 

城門(復元)

 

仁風閣。旧藩主池田家により明治40年に別邸として建てられた。ルネッサンス様式。国の重要文化財。

鹿児島の鶴丸城址にも病院でなくこんなのが建つといいなあ。

 

 

 

 

箕浦家禄高2千石の武家門。後方は出張先の鳥取県庁。藩士にしてはずいぶんと立派な門だ

 

 

このあと、鳥取城址周辺の武家地区を散策した。


2010 知覧麓 02

2010-02-14 | 麓-南九州市

知覧麓の続き。

 

 

甘酒やカフェを楽しめる所もある。雨足がちょっと強くなった

 

 

 

あちらこちらに鶯のさえずる声がする。雨も上がった。

 

 

 

これは何の実だろう。

 

二匹の白猫を発見。互いにじゃれあっていた。

というより左の雌猫(?)に右の雄猫(?)がしきりにちょっかいを出していた。

 

迷惑と思ったのか雌猫は玄関下の階段から脇の生垣の中に引っ込んでしまった。

雄猫はどうするのかな~と見ていたら、生垣の隙間から雌猫のいる所へ飛び込んでいった。

執念だね。


2010 加世田鍛冶の故郷・小湊

2010-02-10 | 麓-加世田・枕崎

加世田鍛冶の故郷、小湊を訪れました。

小湊は450年以上の伝統をもつ「加世田鍛冶」の伝承地。鍛冶は藩政時代に下級郷士の内職として広まった。

加世田郷の郷士が作る鎌は切れ味が良く評判がとても高かったと言われます。

小湊は万世(ばんせい)から野間半島に向け車で10分程の所。

 

小湊の集落内は道の両側に背の高いいぬまきの生垣が続いています。独特な景観にちょっと驚く。

 

野間半島の付け根に位置することから防風対策を兼ねているのでしょうね。 

 

小湊集落にて。背の高い生垣がどこまでも続く。しかし鍛冶屋の看板はみあたらないなあ。

 

 

国道に戻って商店街の洋菓子店で尋ねたところ、1軒の鍛冶屋があったが現在は病気でやめられたという。

鍛冶の看板も残念ながら見当たらなかった。

 

信寺と八幡神社

 

 

加世田鍛冶に関して下記のホームページに記事があります。

現在、加世田麓にある「志耕庵」が加世田鍛冶の伝統承継に努力されています。

南さつま文化遺産


2010 南さつま市・万世の風景 02

2010-02-08 | 麓-加世田・枕崎

万世は郷士集落でもあった。

国道226号線から旧道らしき道が延びている。石垣、竹垣、生垣などに郷士集落の面影が残っている。

 

低い石垣、いぬまき、竹垣が続く

 

背の高い竹垣

 

古い石垣と竹垣

 

旧道に沿って古い倉や石造りの建物が残っている

 

 

 

細い石柱の門も残っている

 

万世の旧道沿いに郷士集落の面影を確認できた。この後、加世田鍛冶のふるさと小湊へ。


2010 南さつま市・万世の風景

2010-02-06 | 薩摩地方

万世(ばんせい)は万之瀬川河口の地の利を生かして海運業が発展し、多くの廻船問屋を輩出した。

上級郷士の集まる加世田麓が政治の中心なら万世は商業の中心といえる。

丁子屋。創業1735年。丁子屋は薩摩藩御用商人として大阪や琉球まで海運業を営んでいた。

醤油の製造にも早くから取り組み、現在は醤油・酢・つゆなどの製造販売を営んでいる(丁子屋ホームページより)。

 

丁子屋の石塀と倉。

 

 

丁子屋の道路を挟んだ向かいにも石倉?。

 

万世には漆喰や石の倉がまとまって残っている。倉の脇にひっそりと武家門も残る

 

 

万世の中心。国道226号線沿いにいぬまきや生垣が続き、郷士集落の名残が残る。

奥の石柱には旧字体で○○醫院(医院)と書かれた表札が嵌めてあった。

 

 

萬世町倶楽部。現大崎公民館。建物は国の登録有形文化財に指定されている。

 

 

正面に飾られたレリーフがユニーク 

 

万世小学校の正門。古い門柱が残る。

(続く)


2010 万世陸軍飛行場・特攻平和祈念館

2010-02-04 | 薩摩地方

1月中旬に川辺峠を通って南さつま市の旧笠沙町へ。

南さつま市の万世に陸軍飛行場があった。沖縄への特攻基地として使われた。

現在は特攻平和祈念館が建っている。

背後は吹上浜海浜公園

 

昭和20年3月から7月まで沖縄方面へ特攻隊が出撃したとあります。

 

 

 

陸軍飛行場跡付近の風景

特攻平和祈念館から錫山街道(県道20号)に入る入口にコンクリート製の古い門柱を見付けた。

後で調べると陸軍飛行場の営門であった。

この日は大雪の翌々日。川辺峠だけチェーンなしで通行できました。