重富小学校の先に武家門構えの屋敷を見つけた
背後の山が借景を作っている
重富小学校の近くにたつ平松城の歴史の説明板
重富小学校の東側の風景
重富麓には竹垣も残っている
旧道にたつ重富麓のバス停
重富麓は平松城から広がる麓の屋敷地を囲む生垣が素晴らしい
重富小学校の先に武家門構えの屋敷を見つけた
背後の山が借景を作っている
重富小学校の近くにたつ平松城の歴史の説明板
重富小学校の東側の風景
重富麓には竹垣も残っている
旧道にたつ重富麓のバス停
重富麓は平松城から広がる麓の屋敷地を囲む生垣が素晴らしい
重富島津家は越前島津家ともいい、島津御一門家の筆頭格。
重富小学校(平松城址)
越前島津家は島津家初代忠久が承久の乱の勲功賞として越前国守護職に補せられた際、その次男忠綱が守護代に任命されたことに始まるという。島津家分家のなかでも古い歴史をもっている。
姶良町重富の平松城は島津義弘によって築かれたがその後、越前島津家の再興によって同家領主の館となった。平松城一帯に麓と呼ばれる家臣団の屋敷地が整備された。
重富小学校(平松城跡)の前に麓が広がる
館の馬場に沿って野積みの石垣とイヌマキの生垣がつづく
水平線をつくるイヌマキが見事。奥に重富小学校の正面玄関がある
館の馬場に面する武家門
主屋根の瓦の意匠が興味深い
武家門の脇にはポンカンがたわわに実っている
小学校正門前。ここでも広大な敷地を石垣と生垣、樹木が囲んでいる
重富小学校の周囲に石垣が野積みされている
上の写真の馬場から館の馬場を見る。重富麓の特徴がわかる
重富麓はどこの屋敷も生垣が綺麗に刈り込まれている
正月の準備だろうか、どこの生垣もきれいに刈り込まれている
(続く)
12月16日、子供の小学校で正月の門松づくりがあった。作業は1時間足らずで終了。
鹿児島大学の構内を通って帰る。
銀杏通り。銀杏の葉がすっかり落ちている。ようやく冬らしい景色になってきた。
こちらも木も枝からすっかり葉が落ちている
遺跡調査中
12月15日に子供のピアノ・コンクールがあった。入賞おめでとう!
15日の夜に桜島の国民宿舎レインボー桜島で忘年会があった。桜島へ。
翌朝の部屋から見える桜島フェリー
対岸に見える鹿児島市街
レインボー桜島
桜島フェリーで帰る
2007年12月に隼人町の浜の市を訪れた時のものです
古い武家門と石塀、石倉
石塀が続いている
立派な門ですね
石垣に石柱の門
二棟の石倉が見えます
古い民家も残っている。本当に古そうだ
近くには熊野神社や富隈城址があります
撮影日:2007年12月27日
12月11日に旧輝北町に仕事に出かけた。
輝北町からの帰りは高隈山系の高峠を超えて垂水市におりた。高峠を下る途中で銀杏の群生をみかけた。銀杏は人工的に植林したのかもしれない。公園として整備されている風にも見えなかった。山の一部だけが黄金色に包まれている風景はちょっと不思議な風景であった。
銀杏の全景
道路の上の方にも銀杏の群生が
こちらは道路脇で見かけた野生の猿。実際は5~6匹の集団がいた。
鹿屋市の仕事の帰りに花岡麓に立ち寄った
鹿屋体育大学前から花岡方面に向かうと道沿いに花岡島津氏の墓所の碑が建っている
さらに進むと突き当たりに鶴羽城跡(現鶴羽小学校)がある
鶴羽城跡の石垣
花岡地区のようす。石垣ときれいに刈り込まれた生垣
こちらも石垣と生垣が残る
花岡郷はもともと大姶良郷の一部であり、花岡島津家の創設にともなって花岡島津家の私領として分け与えられた。
新橋駅から徒歩約5分のホテルに宿泊した。いつも安上がりなホテルパックを利用
ホテル24階より。丸の内方面。徐々に朝日が射してきた
愛宕・六本木方面。
丸の内方面。ずいぶんと高層ビルが増えた。ビルの側面に朝日が反射している
こちらも高層ビルが林立している。
中央のアークヒルズや赤坂プリンスホテルが周囲の高層ビルに埋没して小さく見える
東京駅の八重洲地下
銀の鈴付近。東京駅の待ち合わせ場所と言えば銀の鈴
先ごろエキナカ「GranSta」がオープンした
東京駅、八重洲
建物は取り壊される。皇居方面へ向けて海風の通り道をつくるとか。
海風の通りを悪くした元凶は汐留に衝立のように建てられた高層ビル群だと思うが
建築中のグラントウキョウ・ノースタワー。大丸が入居する
こちらはサウスタワー
東京建物ビル。旧富士銀行が入居していた
現在はおしゃれなレストランが入居している
八重洲ダイビル、ブリヂストン美術館方面
八重洲通りを下った角のツムラビルにキリン像がある