鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2010 飯野麓の風景

2010-10-24 | 麓-小林・都城

飯野麓は宮崎県えびの市の中心から国道221号線に沿って東に位置する。

えびの市役所飯野出張所(地頭館跡)

大きな銀杏の木は樹齢500年、飯野の大イチョウと呼ばれる。

島津義弘の長子、鶴寿丸(近くの加久藤城で生まれる、8歳で病死)の供養樹として地頭館内に植えられた。

 

地頭館跡周囲の石垣等に当時の名残りが残っている。



近くに残る石敢当。いかにも古そう



石垣が続く




付近の風景




こちらにも低い石垣が続く



川(川内川)の向こうに移動する。

馬場がいくつか残り、落ち着いた麓の風景が広がっている。正面に石敢当が見える。



道が途中で折れるのは麓特有の作り

麓内の風景。きれいに区割りされている



 

この日は祝日。日の丸が掲げられていた

訪問:2010年5月


2010 加久藤麓の風景

2010-06-23 | 麓-小林・都城

小林市から国道221号線をえびの市中心に向かう途中の松原交差点付近に武家門が集中する。加久藤麓である。

加久藤の名前は加久藤小学校や九州自動車道の加久藤トンネルなどに残る。

 

麓の存在を知らない人は田んぼに囲まれた国道の一画に武家門が立ち並ぶ様に不思議に思うかも知れない。

 

 

 

 

松原交差点近くの田んぼの向こうに建つ武家門と石倉。

 

上の武家門の隣りにたたずむ武家門。

 

国道から門までは離れているのが分かる。

 

隣りに並ぶ武家門、石垣、生垣、倉。生垣やイヌマキの木が実に美しい

 

 

 

ここの門はかつて屋根が載っていたのだろう。手入れされた生垣とイヌマキが美しい

 

 

加久藤麓の手前の国道脇に残る武家屋敷。武家門といい石垣といい、なかなかの佇まいをしている。

 

 

国道から脇に入る。この先に武家門があるはず。日がだいぶ傾いた。

次の機会にゆずり、えびのICから鹿児島市内へと帰った。

加久藤麓は国道から田んぼの向こうに複数の武家門が並んで建つ姿がみえる点で麓の風景として珍しい。

収穫の大きい麓であった。


2010 小林麓 02

2010-06-06 | 麓-小林・都城

小林麓は現在の小林市真方付近に位置する。

上ノ馬場から下ノ馬場に下って大手橋を渡り、向江馬場方面へ向かう。大手橋の入口に小林城址の登り口。

大手橋を渡るとその先に石垣の続く広幅の馬場がある。

 

石柱の門のとなりに武家門が建っている。

 

さきほど見かけた古い武家門と造りがよく似ているがほぼ同じ時期に作られたものか。

 

 

低い玉石垣と生垣が続く 。

 

町割りがよく残っているのではないだろうか。

小林麓には小1時間の滞在だった。真方付近には当時の麓らしき風景がまだ残っているかも知れない。


2010 小林麓の風景

2010-06-04 | 麓-小林・都城

小林市は霧島連山の麓に位置する人口4万8千人の町。

地頭仮屋を中心とする小林麓は現在の中心市街地から少し離れた城山公園(小林城址)の近くに形成された。

小林麓には武家門など薩摩藩当時の面影が少なからず残っている。

 

上ノ馬場付近。旧須木村へ向かう国道265号線

 

国道沿いに古い武家門が建つ。国道を下ると城山公園(小林城址)の登り口がある。

 

中央に観音扉を左に潜り戸を備える堂々たる武家門。状態が余りよくないのが心配。

 

 

 

小林麓の地頭仮屋跡。国道を挟んで上の写真の武家門の斜め向かいに位置する。

 

 

上ノ馬場から国道を下り、脇の道に入ってみた。西南戦争の際に西郷さんが通った道のようである。

 

西郷どんの道。西南戦争で退却する際、西郷隆盛が明治10年8月28日に通過し鹿児島へと帰還した。

 

道をすすむと、こんもりとした屋敷林があった。ちょうど地頭仮屋跡の裏手にあたる。

実はこの先に武家門が建っている。

 

 

坂を登るとひっそりと武家門が残っていた。

 

こちらの武家門も中央に観音扉を左に潜り戸を備える堂々たる構えをしている。

 

残念ながら中の屋敷は取り壊されている。 

 

(続く)


2010 高原麓の風景

2010-06-02 | 麓-小林・都城

高崎麓を後にして高原(たかはる)麓を訪れた。

高原麓は現在の北諸県郡高原町の中心、高原町役場や高原小学校付近に位置し、上麓や下麓の地名も残っている。 

麓らしい風景はないかとうろうろしてみると、麓らしい風景の残る一角があった。

石垣が続き屋敷内に高い樹木が茂っている。約束とおり、石垣の先に武家門が建っていた。

石垣とこんもりした屋敷林に見事に調和している。

 

 

門前の水路。気持ちよさそうな冷たそうな水が流れる。

 

 

高原小学校。

 

子供たちの空手かなんかの試合が体育館で行なわれていた。高原小学校の体育館は珍しい木造である。

よく残してきたと思う。耐震性がないと今後壊される運命なのだろうか。 

 

母校の丹波小学校(指宿市)に九州一立派といわれた自慢の木造体育館(講堂)があった。立派な舞台設備もあった。

小学2~3年の頃、漏電が原因で焼け落ちその後鉄骨の体育館に建て替えられた残念な歴史がある。

舞台から後方の入口へ向けてスロープしていたので体育館内での運動に苦労した。

 

付近の風景。左の大木は町の指定樹。

 

路を挟んで反対側に石柱門。脇に入ると竹垣が残る。

 

 

約30分程の短い滞在。麓全体を歩いていないので他に麓らしい景色が残っているかも知れない。


2010 高崎麓

2010-05-29 | 麓-小林・都城

宮崎県北諸県郡の旧高崎町(現在は都城市に合併)の前田に旧高崎郷の地頭仮屋が置かれ、付近に麓が形成された。

高崎麓小学校という名前に名残が残る。

 

高崎麓小学校。国道221号線の前田交差点から旧国道に入ったところにある。

 

旧国道沿いに麓の面影として玉石垣や生垣が残っている。

 

 

約2kmにわたり続く旧国道沿いに切石の積まれた石垣や立派な石柱の門が点在する。

麓集落であったことを理解できる。

 

 

 

残念ながら旧国道沿いに武家門は見当たらず。高原麓をめざして国道221号線を西に向かった。


2010 高城麓 03

2010-05-24 | 麓-小林・都城

月山日和城の下に高城郷地頭仮屋跡があった。

 

高城小学校跡。左手から高城町郷土資料館に登れるようになっている

 

月山日和城の周りを歩いてみた。城の周囲に生垣が残る。模擬天守閣は高城町郷土資料館を兼ねる。

 

幹線道路を脇に入ると武家門が残る路地がある。この付近は玉石垣と生垣が割合残っている

 

 

 

 

武家屋敷その5。風格を感じる。素晴らしいのひとこと。

 

 

一番最初に紹介した武家屋敷とは城を挟んでちょうど反対側にある

 

諏訪馬場(正面に諏訪神社がある)へ引き返す。

9棟目の武家門。当時の玉石垣も残っている。

 

 

 

諏訪馬場に面して建つ石柱の門。玉石垣がよく残っている。

 

旧後藤家商家交流資料館付近。近所に立派な屋敷があった。

 

ずいぶん立派な門だがかつて屋根があったのだろう。

 

近くにこれもかつては武家門であったのか古い門がかろうじて建っていた。

 

 

 

 

旧後藤家商家交流資料館に戻る。

 

 

高城麓には未整備ながらも多くの武家屋敷や武家門がまとまって残っている。

町づくりに上手く活用してほしいと思う。


2010 高城麓 02

2010-05-22 | 麓-小林・都城

高城(たかじょう)麓の続き。カメラ片手に武家門を求めて歩く。

諏訪馬場古戦場跡から引き返すと東西に走る広い馬場に出ました。名称は不明。

 

馬場沿いに二棟の武家門が残ります。石造りのアーチも

 

武家屋敷その3。武家門と蔵。蔵はよく見ると下半分が石造、上半分が木造となっている 

 

 

 

隣に建つ武家門。ブロック塀が惜しい。

 

 

左右の塀のブロックはかつて生垣であったと思われる。

 

馬場をまっすぐ戻ると生垣の続く屋敷や諏訪馬場古戦場跡がある。

 

後藤本家の土蔵の角にでた。他の麓と同じく道がかぎ形に曲がっている。

 

先が見通せないようになっている。

 

武家屋敷その4。正面は高城神社。塀はめずらしく板塀である。

 

 

 

武家屋敷その5。ここでも道がかぎ形に曲げられている

 

 

奥に中庭に入る屋根付きの門が見える。

 

(続く)


2010 高城麓の風景

2010-05-18 | 麓-小林・都城

高城麓(旧高城町)は都城市街地の北方に位置し、一帯は三俣院三郷(高城郷・山口郷・勝岡郷)の一つ、高城郷と呼ばれた。

薩摩藩の直轄地となってから藩内各地から藩士が移住し、月山日和城の麓に屋敷を構えて居住した。

現在も多くの武家屋敷が石垣や生垣等とともに当時のまま残っている。

 

高城麓の中心にある旧後藤家商家交流資料館。ランドマークになっている。

 

向かいは後藤家本家。

 

 

後藤家本家の裏手に風情ある路地が残っている。

 

 

武家屋敷その1。武家門は潜り戸を備えている立派なもの。

 

 

 

石塀が続く。

  

武家屋敷その2。石垣は高岡麓で見かけた高岡石を用いたものか。

 

こちらの武家門も潜り戸を備えた立派なもの。

 

 

さきに進む。石柱の門。

 

そのさきに見事な生垣が続いていた。生垣は薩摩藩の麓独特の景観をなす。水平に延びる刈り込みが気持ちいい

 

 

諏訪馬場古戦場跡。

(続く) 


2010 都城島津家・島津邸へ

2010-05-15 | 麓-小林・都城

都城島津家の島津邸へ。

島津邸の石垣は比較的新しくみえる。門前の道路は島津邸が建てられた後にできた新道。これと関係ありそうだ。

明治に島津邸が建てられた当時の写真を見ると表門に向け敷地の入口からまっすぐに道が長く延びている。

邸内のようす

 

 

 

石倉の中に展示されていた兜。都城島津家の家紋は本家の家紋と少し違っている。

 

奥の土蔵に都城島津家に伝わる貴重な古文書や甲冑等が保管されていた。 

 

敷地内に新築された都城島津伝承館に立ち寄る(入館料210円)。貴重な資料が展示されている。

ビデオ放映による都城島津家の歴史紹介は分かりやすかったし、明治に建てられた当時の邸の様子や門の姿など

貴重な写真を見ることができたのは大きな収穫であった。都城島津邸をあとにして高城麓へと向かう。

 

参考:都城島津と歴史博物館