大口市郷土誌によると大口麓の郷士の一部は大口城(城山)をぐるりと囲むように配置された。
下之馬場から続く片馬場に残る石垣、石柱の門、屋敷林
片馬場の風景。竹垣が残る
武家門は見られず。大口城址(城山)の背後
玉石垣と生垣
大口城址の周囲を一周し、諏訪馬場に戻る。
正面に延びる道路が諏訪馬場。交差点の向こうは拡張され左右に歩道を備える幹線道路となっている。
手前の馬場は元の姿のままのようだ
(訪問記)
大口郷は国境を守る要衝の地として多数の郷士が大口城の麓に配置され、武家屋敷地が形成された。しかし出水麓や高岡麓に比べるとめぼしい遺構は地頭仮屋跡の大口小学校の周辺に限定されるようだ。茅葺の郷士屋敷が複数残されている点は素晴らしい。茅葺の主屋、茅葺の門、玉石垣、生垣に囲まれた郷士屋敷が並ぶ大口麓の風景を想像することができる。伊佐市役所の周囲を修景し、御仮屋門を復元してもらいたい。
忠元神社や諏訪神社のあたりを含め、来年もう一度訪れたいと思う。