鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 大口麓の風景 03

2008-12-28 | 麓-大口・伊佐

大口市郷土誌によると大口麓の郷士の一部は大口城(城山)をぐるりと囲むように配置された。

下之馬場から続く片馬場に残る石垣、石柱の門、屋敷林

 

片馬場の風景。竹垣が残る

 

武家門は見られず。大口城址(城山)の背後

 

玉石垣と生垣

 

大口城址の周囲を一周し、諏訪馬場に戻る。

正面に延びる道路が諏訪馬場。交差点の向こうは拡張され左右に歩道を備える幹線道路となっている。

手前の馬場は元の姿のままのようだ

(訪問記)

大口郷は国境を守る要衝の地として多数の郷士が大口城の麓に配置され、武家屋敷地が形成された。しかし出水麓や高岡麓に比べるとめぼしい遺構は地頭仮屋跡の大口小学校の周辺に限定されるようだ。茅葺の郷士屋敷が複数残されている点は素晴らしい。茅葺の主屋、茅葺の門、玉石垣、生垣に囲まれた郷士屋敷が並ぶ大口麓の風景を想像することができる。伊佐市役所の周囲を修景し、御仮屋門を復元してもらいたい。

忠元神社や諏訪神社のあたりを含め、来年もう一度訪れたいと思う


2008 大口麓の風景 02

2008-12-28 | 麓-大口・伊佐

大口麓の諏訪馬場から上之馬場を歩く

上之馬場。手前の白壁は土蔵。上之馬場には二棟の武家門が並んで建っている。奥は祁答院家住宅

 

 

茅葺の祁答院家住宅。上之馬場

江戸中期の薩摩藩郷士の住宅として残る貴重な武家屋敷で当時の姿を最もよく保っている

武家門も当時は茅葺であったと言われる。国指定重要文化財

 

石垣の遺構も古そうだ

 

上之馬場は地頭仮屋跡の石垣を左折して地頭仮屋跡の石垣に沿って鉤形に右折する

 

 

 

 

上之馬場の風景。左の敷地は大口小学校

 

地頭仮屋跡の角

 

右の古い玉石垣と左の比較的新しい石垣との間にある石は石敢当だろうか

 

上之馬場の突き当たりを左折すると下之馬場につながる

 

下之馬場の風景。下之馬場は川沿いに延びる

 

下之馬場から一歩入った奥に武家門が見える

 

 

石柱の門があった

(続く)


2008 閑話休題

2008-12-23 | 武家屋敷-TOPICS

「鹿児島みてある記」を始めた頃に比べると、ブログに1度に掲載する外城(麓)の風景写真の数が増えている。

構図がピタッと決まらないことや(素人ゆえ)、風景写真を絞りきれないことが主な理由だが、もう一つの理由は、一枚の風景写真から多くの情報が読み取れるので、それを大事にしたいと思うから。

写真には当時(撮影日)の多くの情報が載り、後日、写真から当時の様々な状況を知ることができる。そのように意識して撮っている写真が多くある。風景が一旦消滅してしまうと、二度と記録することができない。

そんな理由でブログに一度に掲載する写真が多くなっている。


2008 大口麓の風景

2008-12-23 | 麓-大口・伊佐

大口市(現伊佐市)里。諏訪馬場。茅葺の武家屋敷

祁答院家住宅と並び大口麓(里)のランドマーク的存在。長野や東北地方の農村風景のよう

武家門構えが薩摩藩の郷士屋敷であることを物語っている

 

 

貴重な茅葺屋根

 

竪馬場をのぞむ。正面は大口小学校(地頭仮屋跡)

 

諏訪馬場の眺め

 

諏訪馬場。落ち着いた佇まいの武家屋敷。武家門、玉石垣、生垣、屋敷林、主屋が調和している

 

 

 

同じく諏訪馬場に建つ武家門

 

玉石垣と生垣が続く。区画整理により歩道と街路樹が設けられている

 

諏訪馬場を歩くと高い建物がなく敷地がゆったりし空が広く感じられる

 

どこからでも城山(大口城)が眺められる

 

さきほどの茅葺。屋根の傷みがかなり進んでいるようだ。早めに修復したい

歴史まちづくり法の補助を受けたいが。行政が中心となって歴史資産の保護に取り組んで欲しい

 

遠くに見えるのは伊佐市役所。この建物は修景したい

 

薩摩藩時代、大口郷は出水郷や高岡郷と同じく国境を守る要衝の地として多くの郷士が置かれる大郷であった。地頭仮屋(大口小学校)の正面に竪馬場が延び、竪馬場と交差するように地頭仮屋の手前から上之馬場、下之馬場、諏訪馬場が設けられた。さらに下之馬場から大口城の周囲を囲むように片馬場が設けられた。大口麓の武家屋敷は地頭仮屋を中心に各馬場に沿ってまた大口城を囲むように配置された。 

(続く)


2008 羽月麓 02

2008-12-23 | 麓-大口・伊佐

大口市郷土誌によると、石垣で囲まれた右の屋敷地が地頭仮屋跡のようです。ただし、碑はない

 

上の屋敷地に木々に埋もれるように武家門が残っています。いつまで残ってくれるのだろう

 

 

手前は上之馬場。馬場といっても今では単なる筋道になっている。正面は地頭仮屋跡。

 

武家門を少し進むと、旧羽月小学校開校の地がある

 

生垣が続く。デシュ馬場と呼ばれた通り

 

 

少し先に武家門が残っている。晩秋の風景

 

堂々たるいい構えをしている。ブロック塀の前は生垣だったのだろう

 

この写真も捨て難い

 

(訪問記)

羽月麓は大口麓の近郊にある。中規模の麓。麓としての形態は次第に失われつつある。

それでも、石垣、生垣、所々に点在する武家門に麓の面影を知ることができた。

この後、大口方面へ車を走らせる。

参考⇒大口市・羽月麓(2007年10月訪問)


2008 羽月麓

2008-12-22 | 麓-大口・伊佐

11月、旧大口市の羽月麓を尋ねました

地頭仮屋跡前の馬場

 

 

 

古い鳥居

 

長屋風の門

 

古い石垣がのこる。奥に武家門がみえる

 

 

左右に続く石垣の途中に武家門がある

 

 

奥には生垣も見える

 

羽月小学校前の通り。左が羽月小学校。奥が羽月の麓地区

(続く)


2008 指宿・宮ヶ浜

2008-12-21 | 薩摩地方

12月21日付けの南日本新聞朝刊によると「国登録の有形文化財となった指宿市西方の宮ヶ浜地区に残る建造物5件に対する登録証と登録プレートが15日、同市を通じて所有者に渡された」そうだ。

国登録の有形文化財となった建物は「丸十金物百貨店店舗」「丸十金物百貨店蔵」「中俣家住宅主屋」「坂本家住宅主屋」「蜷川菓子店店舗兼主屋」。いずれも明治から大正時代にかけて建造されたもの。

古い建物だとは思っていたが明治から大正にかけて建造されたものだったんだ。台風などの災害に耐えてよくぞ守り続けてきたと思います。

参考:指宿市・宮ヶ浜(1) 、宮ヶ浜(2)


2008 志布志麓 02

2008-12-14 | 麓-曽於・志布志

沢目記馬場の奥部にあたる天水氏邸の右筋を進む

途中に武家門が残っている

 

山の影ができるのは谷筋に沿って武家屋敷地が形成されたから。武家門に日が当たる

 

沢目記馬場を戻り、平山氏邸の角で西谷馬場へ

西谷馬場へ曲がるとすぐに馬場に沿って二棟の武家門が並んで建っている。背後は高城跡

 

秋らしく、ススキの穂が揺れていた

 

松尾城跡の入口の脇に建つ武家門

 

西谷馬場の奥に残る武家門。石垣の上の横竹もいい

 

 

西谷馬場を引き返す

ここは犬の馬場と呼ばれた。左は地頭仮屋跡の志布志小学校

 

志布志麓の地頭仮屋跡。現在の志布志小学校。校庭の奥に石垣が築かれている

 

犬の馬場から続く小渕馬場。左は若宮神社の大銀杏

 

立派な腕木門が見える。福山氏庭園。国指定名勝、志布志麓三庭園の一つ。

 

 

小渕馬場。若宮神社の長い石垣が続く

 

小渕馬場に石柱の門も残る

 

小渕馬場を進むと、木々の間に埋もれるように武家門が残る場所がある

 

 

 

阿多氏庭園

 

阿多氏庭園の武家門。屋根の痛みが激しそう。早めの修復を期待したいが

 

小渕馬場の奥にある武家門

 

前川を挟んだ対岸にある宝満寺跡。

 

前川に架かる宝満橋より志布志小学校方面を望む

(訪問記)

志布志麓の活性化のアイデアを考えてみた。

志布志城跡(内城・松尾城・高城・新城)を廻る山城ウォークラリーなんてのはどうだろう。祭りに合わせて年に1度くらい。全国から参加者を募る。山城から降りて麓でゆっくりお茶を頂いて庭園を眺めつつ、また次の山城へ登る。終わったら近くの温泉や旅館でゆっくりと体を労わる。夜は志布志湾の名物ハモや大隅半島の黒牛・黒豚を食べる。武家門が広く点在する点を逆手にとって武家門スタンプラリーなんてのもいいかも知れません。 


2008 志布志麓へ

2008-12-14 | 麓-曽於・志布志

秋の深まる11月に志布志市を訪れました

古刹大慈寺。創建1340年。臨済宗の禅寺

大慈寺は創建から100年後に臨済宗十刹の一つに加えられた。薩摩藩時代は島津氏の庇護を受ける。16の支院と100人以上の僧坊がいたが明治2年の廃仏毀釈で一度は取り壊され明治12年に再興された。仁王像は廃仏毀釈の際、土中に埋めて破壊を免れ、寺の再建と同時に門前に移された。

7月に訪れた時は生憎の大雨であったが今回は秋らしく晴天に恵まれた

 

 

 

同じ通りの金剛寺。立派な門構えである

 

 

武家屋敷群地区へ。右角は平山氏邸

奥は志布志麓の中心、沢目記馬場。左に曲がると西谷馬場

 

平山氏庭園。志布志麓三庭園の一つ

秋の日差しが柔らかい

 

左右の袖に短いながらも小屋根が付いた武家門

 

平山氏邸の向かいの鬼塚茶園。隣に石柱の門が建っている

 

志布志城跡の登り口(大手門)に武家門が建っている

 

 

志布志城跡の登り口。石垣と武家門が残っている

 

今まで見た武家門の中で、幅が一番狭いかも知れない

 

黎明館に志布志城の模型が展示されていた

模型を見ると山の頂上を平らに整地して砦のような屋形が建つ

 

 

沢目記馬場の井戸。志布志湧水群の一つ

 

鳥濱氏庭園。業者により庭園内の庭木の剪定作業中

 

志布志麓三庭園の一つ、天水氏庭園のある天水氏邸

 

天水氏邸は沢目記馬場の突き当たり。岩盤を削った通路の入口に門がある。他では見られない

奥は鳥濱氏庭園のある鳥濱氏邸

 

中世に築造された志布志城は、内城・松尾城・高城・新城など複数の城郭からなる山城で、志布志城の谷筋に拓かれた5つの馬場に沿って武家屋敷地が帯状に展開された。志布志麓は海陸の交通の要衝として藩内でも有数の規模を誇った。

(続く)


2008 甑島麓・手打 02

2008-12-06 | 麓-薩摩川内

翌朝、出航までの時間を利用し手打の武家屋敷通りを散歩しました

手打集落の西の端にある武家屋敷通り入口。フェリー乗り場の近く

 

武家屋敷通りを歩いて新田神社までは約2km。徒歩30分の散策コース 

手打では民宿に泊まる

屋根の軒下に屋号らしき看板が小さく下げられている。手打の商店はつつましい

台風対策か屋根の瓦が塗り固められている。

 

武家屋敷通りに面した法雲寺。門柱の色が派手だ

 

玉石垣の上にピンク色の花が咲いている

 

玉石垣の上にソテツが植えられている

 

小柄な円柱の左右の門、正面には生垣の目隠し、奥に見える低い屋根

 

 

 

大照寺。このお寺にも廃仏毀釈の跡があった

 

朝方だが、前日夕方の景色とあまり変わりないようだ

 

 

武家屋敷通りから少し離れた高台にある、釣りバカ日誌のロケに使用された民家。

 

里港フェリー乗り場。串木野港行きの高速船シーホークがやってきた

(訪問記)

甑島を初めて訪問し、念願の里、手打の武家集落を見て回った。串木野からフェリーで1時間かかる東シナ海の洋上の島に薩摩藩の武家集落が形成されたこと、当時の麓集落の面影がいまも残ることに強い感銘を受けた。

薩摩藩時代、貿易の取り締まりの拠点として甑島が重要視された証であろうと思う。

甑島への入込み客は年間で1万人ほど。ほとんどが釣り客。観光目的の客は少ないようだ。武家屋敷通りを歩いても観光客目的の土産屋は見かけない。皮肉にもそれが良好な景観を保持する要因になっている。

「自然遺産と伝統的な薩摩の武家集落が残る島」甑島はそんな感じの島。

※里、手打の両地区は伝統的建造物群保存地区に指定されてもおかしくない。