先週は東京出張。モノレール浜松町駅そばの大江戸線大門駅から2駅、懐かしい麻布十番へ行ってみた
以下は街角スナップ
麻布十番商店街
中央やや下にたいやきと小さく看板が見えるお店は「およげたいやきくん」のモデル、浪花屋総本店
こどもによくおもちゃを買っていたコバヤシ玩具店
近くのヤマハ音楽教室にも通いました
元麻布一丁目の麻布山善福寺
背後にそびえる元麻布ヒルズタワーは威圧感ありすぎる。なぜ威圧的なデザインにしたのだろう
タワーが建ったおかげで園児達は幼稚園の裏山で遊べなくなった
本堂の裏手に子供が通った麻布山幼稚園がある。幼稚園バスは昔と変わっていない
麻布十番は大江戸線が開通してずいぶん便利になった。暮らしやすい街です
六本木の高台から麻布十番へくだる鳥居坂
鳥居坂は一時期、週末に車でスーパーに買出しに出掛けるルートになっていた
交差点手前で停車し、青信号でまっすぐ降りて麻布十番の商店街を通り抜けそこから急な登りの暗闇坂を
一気に駆け上り、仙台坂上を明治通りまで下りる。そこから目黒の碑文谷ダイエーまで向かう
碑文谷ダイエーは遠すぎてしばらくしてレインボ-ブリッヂを渡って新木場イトーヨーカドーや南砂イオンへ
その後に出来た品川イオンへ行くようになりました
当時の愛車いすゞビッグホーン。赤坂図書館に寄ったところ
手前に車を走らせると六本木トンネルをくぐり上の鳥居坂下につながる
六本木に越してきた頃、乃木阪のガソリンスタンドで入れたガソリン価格がとても高くてビックリしたことがある
東京出張の機会があるので懐かしい東京の風景を少し取り上げてみようと思います (続く)
6月は本馬場通りの生垣がとても綺麗です。武家門が2~3棟続いて見える風景がとても好き
本馬場通りはもう一度右に折れ曲がる
知覧型とよばれる萱拭き民家
茅葺の旧高城家住宅
突き当りは薩摩焼酎白波のCMにもでてくる森重堅邸
朝顔がきれい。森重堅邸
(訪問記)
知覧麓全体を歩いてみて本馬場通りの周りに武家門をはじめとする麓の遺構が広く残っていることが分かった
本馬場通りの見事さも改めて認識。本馬場通りの周りに景観整備が広がっていくことを期待したい
参考:知覧~武家屋敷通り(2008.5訪問)
知覧麓の本馬場通り。御仮屋跡の脇から亀甲城跡まで延々700メートル以上続く。正面は母ヶ岳
両側に石垣と最高3メートル以上の生垣が続く。高い生垣は武家屋敷の庭園から見ると築山として機能する
本通りの武家門。綺麗に刈り込まれた生垣を眺めると維持管理の苦労がわかる
本馬場通りは途中で折れ曲がり、見通しがきかないように作られている
石敢当のある突き当りを右折してみた
(続く)
鹿児島みてある記を2007年10月にスタートさせて1年9月たちます。平均80~90の訪問者数が最近では平均120前後に増えランキングにも限りなく低いですが表示されるようになりました。有難いことですし励みにもなります。
昨年の大河ドラマなどを契機として薩摩藩やその独特の麓集落に関心をもたれる方が増えてきているのではと思います。
今後も魅力ある風景をアップしていきますので、温かく見守りくださるようお願いします。
伝統的建造物保存地区は本町馬場通りまで含む広い範囲で指定されている
いずれこの通りも整備されるかも知れない
本町馬場通りから紺屋小路と呼ばれる脇道を歩く
武家門にみえるブロック塀はそのうち整備されるかも知れない
小路の名前をかいた標識ができると風情がぐっと増すのだが
雰囲気のある通りが続く。背の高い椰子の木は南国鹿児島らしい風景
武家屋敷群で椰子の木を庭に植えているのは沖縄を除けば鹿児島くらいではないか
このあと本馬場通りをそぞろ歩く(続く)
「薩摩の小京都」知覧の代表的な景観は700メートル以上にわたって続く本馬場通りの高い生垣である
両側の武家屋敷の庭園と相まって通り全体が一つの庭園と化している。 多くの観光客は本馬場通りを目指す
しかし本馬場通りを一歩脇に入ると観光向けとは異なるかつての知覧麓の姿を知ることができる
知覧武家屋敷への入口。城馬場通り
本馬場通りの入口。知覧武家屋敷のメインストリート
城馬場通りを法務局まで歩く
法務局角の交差点から入る本町馬場通り。本馬場通りとはずいぶん趣きが異なる
本町馬場を少し歩くと低い石垣と2メートルほどの高さの生垣が両側に続いている
屋敷は四段積の石垣の上に高さ最大3メートルもあろう高い生垣に囲まれている
蒲生の武家屋敷通りの雰囲気がある
先に進むと古い武家門構えの屋敷がある
屋敷をさらに進むと左右に玉石垣と生垣を配した武家門が見えてくる
知覧麓の武家門はどこも建材や様式が似ているようだ
本馬場通りに建つ武家門のように門の奥に屏風石が見える
この後、本馬場通りへ向けて小路を歩く(続く)。
伊作郷の御仮屋跡
お仮屋跡への登り口に高い門柱が見える。向こうは伊作の中心
お仮屋跡の上に古い石垣と生垣が残っていた
上の石垣を進むと武家門構えの屋敷が現れた。これは絵になるなあ
石垣、生垣、庭木、母屋、背後の山、素晴らしく絵になる
6月の麓は生垣がみずみずしい。特に雨上がりのみずみずしさは格別だ
伊作郷の郷士集住地区は麓地区と宮内地区に形成された(*)
宮内地区。大汝牟遅神社横馬場参道。毎年11月に流鏑馬が行われる
千本楠。一帯は古来大汝牟遅(おおむれち)神社の神域。20数株の大楠が連なる
石垣に生垣が続く。正面が大汝牟遅神社
古い石垣が残っている
正円池。ホテイアオイの群生地。薄紫色の花が湖面全体に広がる。偶然見付ける。
(*)参考文献:吹上郷土誌(H15.3.31発行)(続く)
参考:伊作麓(2007.11訪問)
6月の初旬に日置市吹上町を訪れる
伊作峠を越えて吹上町市街地に入る手前に麓地区がある
県道22号(伊作街道)沿いに残る武家門。屋敷は既に取り壊されている
向かい側に残る武家門。左右の石柱に主屋根が架けられる
県道22号から南方神社方面に入る
伊作麓にひっそり残る武家門
堂々とした門構え
中心市街地に残る武家門。背後の高台に伊作郷の地頭仮屋がおかれた
竹細工の看板が残っている。
上の武家門の前に古い竹細工店(永倉竹細工店?)があった
今回訪れたとき家屋が解体されている最中であった
記録に残せなくて残念です
伊作小学校付近の風景
伊作郷の麓は亀丸城跡南面山麓部から前面平地・丘陵部にかけて東西に長く形成された
伊作郷内のもう一つの郷士集落である高台の宮内地区へ移動した(続く)。
編集後記:今日、MBCの「どーんと鹿児島」という番組で加世田の武家屋敷群が取り上げられていた。
麓地区内に県内唯一残るといわれる門に興味が惹かれた。久しぶりに加世田麓を訪れようと思います。
旧加世田市には万世や小松原の旧郷士集落も残っている。