鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

OPEL ZAFIRAの思い出

2009-11-28 | 鉄道・くるま・飛行機

オペルザフィーラ、想い出深い車である。

日常の買い物から週末やGWの旅行、東京から鹿児島へ家族で帰る足としても使った。

長距離移動したのに着いてからみんな元気に遊び回る位、疲れにくい車だった。

2002年に購入。塊感のあるデザインは今見ても秀逸。周囲を囲む黒のモールがデザインを引き締めていた

故障知らずの車だった。

 

何度か3列目シートを使ったことがある。足元が深くえぐれているので、意外にも快適であった

 

背後は防衛庁跡地。現在の東京ミッドタウン

オペル社は現在大変な状況にあるが、がんばって欲しい。


2009 アミュプラザのツリー点灯式

2009-11-26 | 鹿児島市内

もうすぐ12月。

5年前、2004年にアミュプラザ鹿児島の広場でクリスマスツリー点灯式が行われた。

長女が通っている幼稚園の年長組が点灯式に招待された。でかいのが長女

 

2007年のクリスマスツリー

 

今年の点灯式は終わり。どんなクリスマスツリーだろう。12月中にはアップしたい


2009 東京・上野公園秋

2009-11-24 | 東京

湯島天神を訪れてから帰りの飛行機までまだ時間に余裕があるので近くの上野公園に寄ってみた。

不忍の池。奥に弁天堂の屋根が見える。

木々の葉がちらほら色付いていた

 

鴨が寄ってくる

 

弁天堂(弁財天)

 

上野東照宮へ。忍者装束の若者集団が境内で撮影ごっこをやっていた。竹の子族みたいだった。

 

 

上野旧寛永寺の五重塔

 

大名寄進の灯篭

 

上野公園の木々は色付きがそれ程でもなかった。四国のどこかの市のイベントが開かれていた。

 

旧東京音楽学校。奏楽堂。明治の香りがする。

 

東京芸大の旧正門。こんな古い門を見るとうれしい。この先を進むと谷中がすぐなのだが

まだ時間は大丈夫と踏んでいたところ、腕時計を見ると飛行機の出発まで1時間少ししかない。これはまずい。

駅まで戻る時間、電車とモノレールの時間、改札から搭乗口までの時間、鹿児島行きは一番遠いところだっけ

と頭の中でめまぐるしく時間を計算しながら公園内を上野駅まで走った。

なんとか鹿児島行きに間に合ってほっとしました。


2009 東京・無縁坂から湯島天神へ

2009-11-22 | 東京

湯島界隈を散歩した。

無縁坂。森鴎外の「雁」にでてくる坂道。さだまさしの曲のタイトルでも有名。

左は旧岩崎邸を囲むレンガ塀。旧町名は湯島両門町。講安寺と称仰院の門前町として開かれた町だそうだ。

 

案内文を読んでいくと薩摩藩士・桐野利秋の名が出てきた。

「・・・江戸時代は榊原康政(徳川家康四天王の一人)の屋敷跡。明治になって桐野利秋の邸宅となり、西郷隆盛

とともに桐野が鹿児島に帰ると三菱の初代岩崎弥太郎の本邸となった。現在は最高裁判所の研修所である。・・」

歴史の意外な変遷にちょっと驚いた。 

 

講安寺。境内の奥に見える白い本堂は寺院建築としては珍しい土蔵造り。

 

火事が多かった江戸の防火対策としてこのような方法で建造された

 

古い煉瓦が街に彩を添える。

道を挟んだ反対側は東京大学の敷地であり、界隈はアカデミックな雰囲気も漂う。

 

麟祥院。三代将軍家光の乳母春日局の願いによって創建され、春日局はここで尼となって余生を送った。

お寺の周囲にカラタチの生垣をめぐらしていたので、からたち寺とも呼ばれた。

 

湯島天神へ。創建は458年と伝えられる。太田道灌が再興し、徳川幕府の厚い崇敬を受けた。

 

学問の神様らしくたくさんの絵馬が境内に飾ってある。なかでも資格の合格祈願が多い。

興味深げに絵馬を見ていたら鹿児島市内の進学校Tの合格祈願があった。

湯島天神に来る機会もないだろうと思い私も子供たちの合格祈願(といっても先の話だが)をした。 

 

 

最後に湯島で面白い風景を見付けた。高層マンションの外壁に室外機がびっしり取り付けられている。

香港や中国では良く見られるが日本ではなかなか見られない風景だ。


2009 東京・旧岩崎邸庭園へ

2009-11-21 | 東京

台東区池之端にある旧岩崎邸庭園へ。古い建物好きなので一度訪れてみたかった。

 

正門から玄関へ続く長いスロープ。

 

 

長いスロープを登った玄関の脇に、岩崎家の三階菱をあしらった当時の袖壁が残っている

 

岩崎家本邸洋館。明治29年完成。

建物内は土足厳禁。靴を入れる袋を受け取って内部を見学する。入場料一般400円。

 

洋館全景。南側にベランダ、東側にサンルーム。

奥に岩崎家の住居棟(純和風建築の和館)が併設されている。

 

別棟のビリヤード場

 

ガイドのあとから邸内をぞろぞろ見学する。岩崎家の歴史や贅を尽くした建物内のこだわりを解説してくれた。

みな一様にほうとかへえとか関心する。勉強になった。

 

岩崎邸の電球には当然ながら当時の雰囲気を伝える古い白熱電球が使われている。

館内にはエジソンの流れを汲むマツダランプなるものが展示されていた

 

中庭のベランダには列柱が立ち並ぶ。1万5000坪余りの敷地に20棟が並んでいた。

 

昭和27年国有財産となり、現在は東京都が庭園を管理している。

 

この後、湯島界隈を散歩した。


2009 東京・プリンス通りから山王日枝神社へ

2009-11-19 | 東京

山王の日枝神社

 

研修も終わりこの日(土)は帰るだけ。都市センターホテルから国会議事堂方面を眺める。

 

プリンス通りから衆参議長公邸の脇を通り、新坂(永田町2丁目)を下る。

新坂。急な下り坂で日比谷高校の古い建物が石垣の上にそそり建つ。よく残ったものだ。

 

新坂を下って外堀通りへ。岡村製作所の「いすの博物館」。ミカサ・ツーリングという可愛い車が展示。

日本初の前輪駆動オートマチック車。岡村製作所は日本航空機の元社員達が起業して作った会社らしい。

 

外堀通りからみえるTBS

 

山王日枝神社の鳥居。山王下。エスカレータで上がれる

 

2003年ころ。正月の初詣のかえり。後ろにキャピトル東急ホテルが建っている。

 

 

日枝神社にも秋の訪れが

 

高台の山王日枝神社境内へ


2009 東京・紀尾井町散歩

2009-11-17 | 東京

平河町にある都市センターホテルの近くを散歩した。

諏訪坂、別名プリンス通り。旧李王家。

朝鮮李王家の世子の東京邸として旧北白川宮邸に建てられた。

 

 

諏訪坂。界隈は江戸時代は大名屋敷、昭和初期までは宮家の閑静な邸宅地

 

 

プリンスホテル赤坂の敷地の脇を降りて清水谷公園へ

 

清水谷公園

 

公園内にある大久保利通の哀悼碑

大久保利通は紀尾井坂下において不平士族6名により暗殺された。

紀尾井坂

 

紀尾井坂に面するホテルニューオータニ本館。昭和の香りがするホテルである。

そのはずで東京オリンピックの1964年、外国人客を受け入れる巨大ホテルとして旧伏見宮邸敷地に建設された。

 

清水谷公園からニューオータニ新館を眺める。

  

江戸時代初めからこの界隈には敷地1万坪を優に超える大名屋敷が置かれた。

紀尾井坂の由来は紀伊藩徳川家上屋敷、尾張藩徳川家中屋敷、彦根藩井伊家中屋敷があったことによる。

紀伊藩屋敷はプリンスホテルや清水谷公園、尾張藩屋敷は上智大学、彦根藩屋敷はニューオータニの敷地。

坂にちなんで界隈は紀尾井町と名付けられた。

大久保利通が暗殺されなかったら、明治日本の歴史は違ったものになったかも知れませんね。


2009 加治木・諏訪町の武家門

2009-11-15 | 麓-姶良地区

JR加治木駅近くの諏訪町の風景です。

市街地の諏訪町に武家門が残っている。

 

しかも屋根の棟木が石でできている。棟木石とでもいうのだろうか。石の存在に初めて気が付く。

 

隣に建つ立派な武家門。門へ上がる階段もある

 

 

 

加治木町には出水麓や知覧麓のようにまとまった武家屋敷群は見られないが、加治木館の仮屋町を中心に

曾木家の門、諏訪町、港町、朝日町、岩原集落と、市街地の広い範囲で武家屋敷の面影が残っている。


2009 加治木・朝日町の武家門

2009-11-14 | 麓-姶良地区

加治木町の港町や朝日町には風情ある通りが残っている。

朝日町に残る武家門

 

港町や朝日町には加治木石を用いた風情のある石垣通りが残っている。

 

朝日町の狭い路地を彷徨っていると、突然武家門らしき屋根が石垣の向こうに見えた。

古い石垣といい屋根の形といい武家門に違いない。

こんなところに武家門が残っているとは思いもよらなかった。

 

風雨に耐えて建つ姿といい、石垣や庭木の具合といい、とてもいい感じである

 

 


2009 帖佐麓・秋

2009-11-13 | 麓-姶良地区

姶良町は重富・山田・帖佐の三つの麓が存在する。帖佐麓を訪れました。

帖佐小学校(帖佐地頭仮屋跡)の角を進むと正面に稲荷神社(島津義弘居館跡)がある。

 

帖佐麓の馬場

 

稲荷神社。島津義弘居館跡。周囲に当時の石垣が残っていた

 

 

大手門跡。惟新公とは島津義弘公のこと。義弘公は重富にある平松館に移る前に帖佐館を築いて住んだ。

 

 

帖佐小学校(地頭仮屋跡)の周囲を歩いてみた。石垣の独特の積み方が面白い。いつの時代のものだろうか。

 

 

 

帖佐から姶良市街地に向かう県道391号線沿いに古い石垣が続く一角がある。

そこに一棟の武家門が構えてあった

 

帖佐から山田・蒲生方面に向かう県道42号線沿いに上麓という地区がある。

県道沿いに石垣に囲まれた屋敷が並ぶが、交通量が激しく上麓付近の景色を収めることが難しい。