鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 川辺町・宮の武家門

2008-09-29 | 麓-南九州市

川辺町の宮にある板倉神社。1200年の歴史。

大クスが有名でつっかえ棒で支えているのが大クスらしい

旧川辺町出身の郷土史家、青屋昌興氏の「川辺町風土記」を読んで宮にでかけてみた

参道の風景

 

参道脇に石柱が見え隠れしている

 

参道から脇を下った先に武家門があった!

 

 

ひっそりと建つ武家門。門はいつ頃たてられたのか

 

両側の石垣も立派

(後記)「川辺町風土記」:タイトルに惹かれ購入し読んでみると、旧川辺町に知覧に負けないくらい立派な庭園の武家屋敷がいくつもあった、川辺町の宮地区にも武家門があると書かれていた。宮には背の高い石柱の門を構える家が少なからずある。薩摩は奥が深い。


2008 都城・野々美谷麓

2008-09-28 | 麓-小林・都城

都城市の野々美谷は都城島津家4万石の外城の一つです。

都城島津家は私領地内に6つの外城(安永、山口、志和池、野々美谷、梶山、梅北)を設けました。

野々美谷の中心

 

 

 

 

麓の名前が残るバス停

近くに野々美谷城跡がある。1599年の庄内合戦(庄内の乱)の際に島津氏宗家側と戦った

(訪問記)野々美谷には麓らしい風景は余り残っていない


2008 桜島の上に虹

2008-09-27 | 鹿児島市内

自宅のベランダから撮影

 

先日の台風13号が種子島・大隅半島南部沖を通過する頃、桜島の上空に2本の大きな虹が出現した

南日本新聞でも紹介されたのでご存知の人は多いと思う

魚眼レンズや超広角レンズなら虹全体を撮れたかも。私のカメラではこれが限界だ

 

反対の西の空。空が赤く輝いていた。

(後記)

台風13号の影響で、甑島への出張が取り止めになった。実に残念。再出張あるのかな。


2008 秋の大運動会

2008-09-27 | 鹿児島市内

9月23日は子供の小学校大運動会だった

長女は桃組。長男は青組。

結果は桃組優勝。11年ぶりだそうだ。おめでとう

久しぶりにビデオを持ち出し、ビデオ片手にグラウンドの回りをあちらこちら移動した

天気にも恵まれ、いい運動会でした


2008 松山麓

2008-09-21 | 麓-曽於・志布志

曽於市での仕事の帰りに松山に立ち寄りました

松山新橋の馬場

 

 

堂々たる構えの武家門がのこっています

 

 

生垣との組合せが見事な石垣

 

馬場の脇に綺麗な生垣の続く小路があった

 

低い石垣、生垣の上に武家門

 

 

 

石柱の門

 

郵便局近くの角に立つ「馬場の庚申塔」

 

子供の百日咳、麻疹等が流行った時、庚申塔に赤いよだれかけをかけてそれらの病気にかからないように祈ったそうだ。明治初めの廃仏毀釈のときには、顔などが壊されて川に捨てられていたものを後に拾い上げてこの場所にまつったという。

松山支所の背後の松山城址に登ってみた。松山の市街地を眺めることができる

 

松山はKKB「ふるさとCM大賞」に出てくる手作りの松山城が頭に浮かぶ。

平成元年より町興しの一環として「大隅の國やっちく松山藩」を開き、毎年、秋に「やっちく松山藩-秋の陣祭り」を開催している。やっちくとは地元特産の野菜と畜産、それとやる気(鹿児島の方言でやっつける、やろう、やりとげる)をかけたものらしい。

松山は、新橋の近くに馬場や西馬場の地名が残る。そちらにも麓の面影が残るかも知れない。

夕刻迫る時間帯だったので松山を後にして鹿屋市街地を通り、垂水フェリーで戻った。


2008 都城・今町街道をいく

2008-09-21 | 麓-小林・都城

都城市から曽於市へ戻る途中、今町街道を通りました。現在の国道269号

今町街道の脇に一里塚が残っている

国指定史跡「今町一里塚」

 

 

今町街道は昭和10年頃まで美しい緑の松並木が続いていた。街道の両側に土盛のように残されていた塚が国の指定を受け保存されることとなった。現在は松並木がなくなっているが塚は残っており、一里塚として九州で唯一の国指定史跡となっている。

 

今町街道沿いに残る楠見家武家門。腕木門

 

大正時代に藁葺から瓦葺に葺き替えられた

 

 

 

 

 

門の後ろには土蔵

 

新旧2つの武家門がたつ


2008 宮崎・三股 02

2008-09-20 | 麓-小林・都城

三股町の山王原は麓地区ではないが当時の薩摩藩郷士(士族)により明治初期に開拓された。

郷士による開拓の歴史を町割りや景観から知ることができる貴重な地区である。思わぬ発見である。

山王原地区。道の両側に川原石を積んだ低い石垣が作られている

 

低い石垣の上には生垣が配置されている。綺麗に剪定され、気持ちのいい空間となっている

 

 

 

 

 

山王原地区。南北に走る道も低い石垣の上に生垣が作られている

 

 

家は新築されても、石垣そのまま残されている 

 

武家門があった。こちらの石垣は切出し石を4段に積んだもの

 

 

 

上の武家門の近くにもう一つの武家門。柱は自然木?を使っている。

ここは薩摩弓の流れを汲む都城大弓(国指定伝統工芸品)の製作所でもある

 

上の武家門の面する通りでも生垣が綺麗に剪定されていた

 

通りに面する武家門。こちらの石垣は切出し石使用

 

 

 

三股町に入って最初に見かけた武家門

 

この武家門を見かけたことをきっかけに山王原地区内で思いもかけずに素晴らしい景観に出会うことができた

(訪問記)

川原石を積んで道の両側に石垣が作られる点は、時代は違うが薩摩川内市の入来麓によく似ている

綺麗に刈り込まれた生垣のある風景は姶良町の重富麓によく似ている

都城市とその近郊をまわるとまだいろんな歴史的風景に出会えそうな気がします


2008 宮崎・三股-薩摩藩士が開拓した郷士集落

2008-09-15 | 麓-小林・都城

三股町山王原にある早馬神社

明治2年に都城地頭として赴任した三島通庸は庄内の地頭仮屋を役館とし、道路建設、原野開発に力を注ぎました。

その原動力として薩摩・大隅・日向の各地から多数の郷士を移住させました。

境内内にある三股開拓の碑

三島通庸は勝岡郷と梶山郷を合併して三股郷を作り、その中心をここ山王原におきました

原野を開拓するため70戸を移住させたとある

 

早馬神社の近くに当時の移住者によって作られたであろう町並みが残っています

 

石垣の上に生垣を配する独特の景観は、薩摩藩の郷士集落の町並みそのもの

 

生垣の途中に武家門が残っています

 

残念ながら門の屋根が崩れかけている。生垣はきれいに整備されている

 

 

 

 

通りの先にある薬屋。石垣は丸石の二段積み。上の写真もそうだ。

開拓当時、川原石を運んでみんなで町づくりに精を出したのではと想像する

 

さきほどの武家門の前に武家門が並んで建っている

道の両側に武家門が並んで建つと、さまになる

 

惜しいのは左側の屋敷は石垣の上がブロック塀に作りかえられていること

 

 

 

 

途中のT字路に石敢当

 

生垣の向こうに見かけた祠

 

三股町の山王原を歩くと川原石を積んだ石垣やきれいに刈り込まれた生垣、そして武家門等に、三島通庸とともに三股郷の原野を開拓した薩摩藩の郷士達の苦労や誇りを感じることができます。

(続く)


2008 都城・勝岡麓

2008-09-14 | 麓-小林・都城

曽於市を訪ねた際、都城まで足を延ばしてみた

都城から三股町に向かう途中、郷士集落らしい雰囲気の残る地区を見かけた

綺麗な生垣で囲まれている。よく見ると少し入った所に武家門が見える

 

幹線道路を脇に入った奥に石垣と生垣が見える

 

丸石を積んだ石垣と生垣が続く。奥に見えるこんもりした山が都城12外城の一つ、勝岡城址らしい

山の向こうに麓らしい景観が残っているかも知れない。

 

 

質素な武家門があった。むしろ可愛らしい?

 

 

 

このあと三股町へ向かう。

三股町では素晴らしい出会いがあった。


2008 加治木麓

2008-09-13 | 麓-姶良地区

仮屋町界隈。右は裁判所。奥の樹木がこんもりとした所は加治木島津家の屋形跡

加治木町の中心で外城の雰囲気が残る地区は仮屋町くらいかも知れない

加治木島津家屋形の跡

 

 

敷地内に東の丸(加治木高校)、中の丸、西の丸(柁城小学校)の各屋敷が並ぶ広い屋形であった

 

護国神社

 

加治木高校

 

柁城(だじょう)小学校

 

加治木高校の石垣付近より仮屋馬場通りを眺める

 

左は加治木高校、右は柁城小学校の塀。塀の瓦は丸に十字の紋入り

 

 

仮馬場通り。右の生垣はかつての桑幡家、新納家の屋敷地にあたる

 

町立加治木図書館と郷土館

郷土館では「もう一人の篤姫」光蘭院貞姫の生涯展を開催していた

ふらりと郷土館に入ったら館長さんから貞姫持参の巻絵(桜島、霧島、開聞岳)について感想をいろいろ聞かれてしまった。貞姫は加治木島津家第9代領主久長の次女として生まれ、島津斉彬の養女となり、薩摩藩から関白近衛家へ嫁いだ。近衛文麿は貞姫の孫にあたる。

敷地内にある洋風建築。昭和12年築。国の登録有形文化財。

昭和の香りのする居心地よさそうな建物だ

日本家屋。昭和初期の香り漂う。国の登録有形文化財

 

石柱、石垣、生垣が残る

 

(訪問記)

加治木は独特の風合いをもつ加治木石が有名。町内を車でまわると加治木石を使った石垣や門、石倉を見かける。加治木石は加治木の景観を特徴付ける重要な要素。街づくりに歴史ある加治木石を活かしてもらいたい。加治木石のある風景をいずれの日か取り上げてみたいと思う。