鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2011 東京・御茶の水界隈

2011-03-31 | 東京

2月の東京出張はスカイマークを利用。

スカイマークは利益率が悪いからと羽田-鹿児島線からいったん撤退したがしばらくして再び就航させた。

行き当たりばったりの気もするがフットワークがよいと評価もできるだろう。スカイマークは話題に事欠かない。

夕方に御茶の水へ。

 

お茶の水駅界隈。聖橋。

 

聖橋より神田川をのぞむ。右はJRお茶の水駅。左下は丸の内線

 

湯島聖堂。築地塀は赤坂の氷川神社、芝のお寺と谷中にも残る。

 

 

 

 

ニコライ堂と龍名館。都心のホテルはどこも一杯で予約できなかった。

 

都心で畳敷きの旅館に泊まったのは初めて。部屋でLANも使えるし畳が意外と快適。 

 

石垣が立派な和風建築物。旅館か料亭として使われていたものか。ニコライ堂の近く

 


2011.3.11「リレーつばめ」Last Run

2011-03-25 | 鉄道・くるま・飛行機

2011.3.11 リレーつばめラストラン

鹿児島中央駅にて。九州新幹線「つばめ」

キタムラで購入した18-200mmの中古レンズにて。

 

ありがとう!リレーつばめ

 

新八代駅にて。リレーつばめ。ラストラン

 

この日は生涯忘れることのない日となった。

午後2時半過ぎにリレーつばめで博多駅に向かう途中、前席からワンセグのニュースが漏れ聞こえる。東北で地震があったらしい。東北でまた地震が起きたのかと思っただけであったが、博多駅に到着すると、構内は多くの人でごったがえしていた。山陽新幹線のダイヤが大きく乱れているらしい。夕方の会議で出席者から地震で千葉県の石油タンクが燃えたらしいと聞き、これはただ事ではないと感じた。しかし東北地方で津波による甚大な被害が起こったことは後で知るまで想像ができなかった。

 

震災とならんで気がかりなのが福島第一原発。

鹿児島県には川内原発がある。他人ごとではない。朝・昼・晩のニュースで刻一刻と状況を追う。一時は光明がみえたかに思えたが一進一退を続けている。なんとか収束に向かってほしい。


2011 今和泉麓

2011-03-22 | 麓-鹿児島・指宿

2月中旬に今和泉麓を訪れました。曇り模様。

 

 

今泉麓は海岸近くまで続く背の高い生垣が印象的。その先に古い大木も残っている。

 

 

松林近くの家は潮風を避けるためか石垣の上にコンクリートブロックを積み、塀の高さを上げている。

 

 

麓内を歩くと梅が咲いていた。

 

 


2011 小学校卒業式

2011-03-19 | 鹿児島市内

3月18日は子供の卒業式。

式の開始に先立ち子供保護者全員起立し、東北関東大震災で亡くなられた方に黙祷を捧げる。

 

 

ビデオやカメラの持込が禁止され厳粛な中での卒業式であった。

地震や津波で東北には今も安否不明のこどもたちがたくさんいるだろうし、避難生活を続けながら卒業式をあげることができないこどもたちもおおぜいいることを考えると、卒業式を迎えることができたことに感謝せずにいられない。

仰げば尊しと蛍の光が流れる中、大きな拍手の中で式を退場する子供の姿にぐっとくるものがあった。みんなで教室に移動し最後に先生の話があった。子供たちの号泣の場面を想像したがみんなあっけらかんとしたものであった。子供に言わせると昨日のお別れ会でみんな泣いたからだという。

鹿児島も過去に幾多の災害に見舞われたが今回の東北沖の地震と津波の被害の大きさは想像をはるかに超えてただ驚くばかりであった。早い復興を願わずにはいられないし、こどもたちの卒業式は必ずや行なって欲しいと思う。


2011 指宿・思い出

2011-03-10 | 薩摩地方

指宿は子供時代を過ごした思い出のある町です。

指宿駅前

 

4年のとき同級生と二人で菜の花を2~3本束にして観光客相手に駅構内で売ろうとしたことがある。

近くの生命保険会社に親が務める同級生の提案だった。今思えばよく注意されなかったものだ。

後から同じ小学校に勤務していた自分の親からえらい叱られた。親のしつけが大変厳しくなったのはその頃。

 

 

当時は駅前がとてもにぎわっていた。近くに指宿デパートもあった。

鹿児島交通のバスセンターだけは今と同じようにみすぼらしく、立派な建物にしてくれないのかなあと思っていた。

 

 

丹波小学校の当時の生徒数は1300名を越えて多かった。現在は700名くらいという。

青い屋根の体育館は九州一といわれた木造の講堂が漏電で焼け落ち3年生のときに新しく建てられたもの。

新築校舎は手前にあったRC製校舎を取り壊し別の場所に現在建築中。地元の木をふんだんに使っているそうだ。

 

 

湯の浜。砂むし会館の向かいにある玉屋ユースホステル。

同級生の息子がいて卓球台があった。クラスのみんなで卓球をしによく遊びにいった。

 

 

迫北公民館。夏休みのラジオ体操の場所。運動会の地区別対抗リレーに4年代表で出場し優勝した。

優勝旗を公民館にもちかえり祝勝会をやってもらった。大好きなカレーで祝ってもらった。

 

 

指宿幼稚園の先の商店街。当時のにぎわいに比べるとずいぶん寂しくなった。

自転車屋、パン屋、花屋、時計店、洋服店・・・当時は一通りのお店がそろっていた。

スーパーがあったので買い物客でにぎわっていた印象がある。

 

下の洋服店で母親に新しい帽子を買ってもらった思い出がある。

新しい帽子をかぶって夏休み親子四人で福岡にいる父親の元へ鹿児島本線に乗って遊びにいった。

父親は夏休みの間、九州大学へ教員研修にでかけていた。 

 


2011 指宿・武家門

2011-03-09 | 麓-鹿児島・指宿

指宿市の市街地に近い地区で思いがけず武家門を見かけました。

 

JR指宿駅方面に向かう途中。大牟礼地区にて。

 

外から見る限りはいつ頃に作られたものか、昔から由来ある門か、ご主人の趣味で作られたのかはっきりしない。

 

指宿市の麓地区はここからずいぶん離れた宮ヶ浜地区にある。

とりあえず記録にとどめる。


2011.3 九州新幹線全線開業間近

2011-03-06 | 鉄道・くるま・飛行機

3月12日、九州新幹線がいよいよ全線開業する。

博多出張が3月11日に決まった。全線開業日にあわせて翌日鹿児島に戻る予定。

JR九州の予約センターに電話したところ、みずほは指定が満席。自由席は乗れるが立ち席になるかもしれない。

1時間20分くらいなら立ってもへいきだ。東京では毎日1時間超満員電車に揺られて通勤したんだし。

それでも念のため「さくら」の指定席を予約した。

2月は県外出張の多い月であった。東京、福岡、宮崎、熊本。リレーつばめに乗れるのも残り僅か。

 

鹿児島中央駅ホームにて。つばめが鹿児島中央駅に到着する。

 

PC持参したので電源コンセント近くの席を予約。PCに給電する。

 

30分ほどで新八代駅に到着。PCをかばんにつめリレーつばめに乗り込む。

 

熊本県八代付近

 

もうすぐ熊本駅

 

帰りのリレーつばめで仕事。出張用に2年程前レッツノートを中古で購入。

ThinkPadの赤いポッチはとても使いやすかったと改めて思う。

 

再び新八代駅にて「リレーつばめ」から向かいホームに停車中の「つばめ」に乗り換える。

 

鹿児島中央駅に到着。乗客の一番最後に下車。

3月12日は早く並んで新幹線「みずほ」の自由席に乗るか、後の「さくら」の指定席に乗るか思案している。


2011 沖永良部島 03

2011-03-05 | 種子屋久・奄美諸島

夜は和泊港近くの居酒屋で懇親会を開いて下さった。7、8名の方が参加くださったろうか。陽気な方ばかりだ。

宿泊先の観光ホテル東にて。土持政照翁生誕地の碑がある。土持政照翁は島在住の藩士で島役人を務めた。

 

ホテルの敷地内にある西郷蘇鉄。罪人として島に送られてきた西郷隆盛を手厚く介護したという。

 

近所を散歩。どこでもある風景なのだが。

 

 

川の名前は知らないが海に注ぐ。反対側には近くに西郷さんの牢屋がある

 

珊瑚の石垣。古い民家らしく敷地内にフクギ(防風林)も残っていた。

 

 

沖永良部空港にて。鹿児島行きJAC。Sさんが見送りにきてくれる

沖永良部島の切り花入りの箱をいただいた。

 

徳之島上空

 

鹿児島空港に到着するとテレビクルーがいる。だれがくるのかなと待ってたらJリーグ仙台ベガルタのお迎え。

1月25日に鹿児島入りし、さつま町で1次キャンプ。宮崎で2次、3次キャンプを3月4日まで続けるという。

 

 

自宅に着いて花だよりの箱を開けたらいろんな切り花を詰めてくれていた。

 

さっそく花瓶をとりだし、嫁が花瓶に挿していく。

 

 

花のある生活っていいですね。


2011 沖永良部島 昇竜洞

2011-03-03 | 種子屋久・奄美諸島

沖永良部島の昇竜洞は鹿児島県の天然記念物に指定されている。規模が大きく全長3000mを超える。

600mが一般公開されている。腰をかがませて歩く個所もあるので入口から出口まで長い距離を進んだ気がする。

鍾乳石。窟内に天井付近までそびえる。洞窟内は湿気が多い。カメラのレンズを時々ハンカチで拭く

 

 

 

ところどころ腰をかがみながら進む。途中に鳥居もあった。

 

天井から鍾乳石が垂れ下がる。フローストーンと呼ぶらしい。

 

洞窟内を30分くらい歩いて出口にたどり着いた。実に長かったねえと二人で互いにうなずきあう。

案内してくださったSさんは30代の青年で切り花を島で栽培し出荷している。

昇竜洞の出口

 

自生?のパパイヤ

 

駐車場に歓迎の看板がずらっと並ぶ。昇竜洞は島内随一の観光スポットと言えるでしょうね

(続く)


2011 沖永良部島

2011-03-02 | 種子屋久・奄美諸島

沖永良部島行きJAC。鹿児島空港の天候は曇。

 

奄美諸島上空を飛ぶ。眼下は厚い雲で覆われている

 

沖永良部空港は見事に雨だった。昨年11月に続き訪問

 

いつのまにか雨があがった。有名な鍾乳洞に連れて行ってくれるという。2月の島は菜の花が咲いている。

 

鍾乳洞への道が分からず車でうろうろする。

 

自衛隊の碑。島には航空自衛隊の駐屯基地がある

 

車で行ったり来たりして鍾乳洞(昇竜洞)への入口をようやく見つけることができた。

 

駐車場に車を停め琉球風の門をくぐり階段を下りるとゲストハウスがある。

ここで鍾乳洞の入場券を購入する。

 

昇竜洞の入口。

 

洞窟の入口付近は意外に広い。

 

 

ゲートを入るといよいよ洞窟のトンネルへ。出口までの距離が実に長かった。

 

予想していたが洞窟内を撮影した画像は半分がブレていた。

 (続く)