今日で夏休みが最後。夏休みの宿題、自由研究に最後の追い込みをかける。
夕闇迫る時刻
子供たちは近くのグラウンドへ。夜は庭で花火大会
翌朝
子供は虫取りへ。たんぼにバッタや蛙はいたが
流水プールへ
午前中の流水プールは冷たい。ゴーグルを付けて水中を覗くと足元を魚が泳いでいる。
ちょっとびっくりした
お昼近くになると人が混んできた
午後から知覧の特攻会館へみんなで行く。
今日で夏休みが最後。夏休みの宿題、自由研究に最後の追い込みをかける。
夕闇迫る時刻
子供たちは近くのグラウンドへ。夜は庭で花火大会
翌朝
子供は虫取りへ。たんぼにバッタや蛙はいたが
流水プールへ
午前中の流水プールは冷たい。ゴーグルを付けて水中を覗くと足元を魚が泳いでいる。
ちょっとびっくりした
お昼近くになると人が混んできた
午後から知覧の特攻会館へみんなで行く。
岡崎郵便局の角から串良商業高校に上がる道に引き返しました
S字に曲がる道路の左右に石垣が続く
背の高い方の石垣は意匠が凝っている
三棟目の武家門を確認
こちらは石柱の門構え
高い生垣で囲まれている
五~六段の石垣と生垣が続く
屋敷跡のようだ。古い石柱が残っている
仮屋屋敷跡に戻りました。石塀は串良小学校の南側に建っているもの
(訪問記)
とても日差しの強い日であった。歩くだけで汗が吹き出す。串良麓は近くに上馬場という地名がある。隣りの東串良町の役場付近に下之馬場という地名もある。もう少し広い範囲を歩くとまだいろんな出会いや発見がありそう。涼しい秋頃に再訪できればと思う。
残暑が厳しい8月下旬、鹿屋市にある串良麓を訪れました
串良郷の旧地頭仮屋跡
串良支所
串良麓は現在の串良総合支所(旧役場)から串良小学校のあたりを中心として広がっていたと思われる
鹿屋市立串良小学校。麓の小学校らしく武家門をデザインした正門。スケールが大きいですね
岡崎郵便局の角を曲がって道沿いに歩くと、武家門に出会う。背の高い生垣が続く
用水路に沿って曲がってみた
麓らしい雰囲気をそこかしこに感じる
突然、素晴らしい空間が現れる。石垣と生垣がずっと続いている
武家門に三段積みの石垣と生垣
藩政時代の麓がそのまま残っているようだ。江戸時代にタイムスリップしたように感じる
秋(春?)には生垣が色付いて目を楽しませてくれそう。背後の木々にも歴史を感じる
串良郷は志布志、根占と並ぶ大郷で、薩摩藩時代は1万8千石以上を産する豊かな土地であった。串良郷は明治22年の町村制施行により串良川を境に東西に分かれ、西串良村と東串良村に分かれた。昭和7年に串良町と東串良町に改められ、串良町は高山町、鹿屋市などと合併し、現在は新生鹿屋市の一部となっている。
旧串良町は大隅半島のほぼ中央部に位置し、国道220号線の要衝にあたる。東は東串良町、南は旧高山町、西は旧鹿屋市、東北は大崎町に接する。
(続く)
前にも書いたが、高岡町の麓の景観を特徴付けるものとして独特の石垣の色合いがありそうだ。
高岡石を採用した石垣。鹿児島県内の山川石や加治木石とも違う産地独特の色あいがある
高岡郷の武家屋敷の垣は本来は竹の生垣にして、横二段に割竹で固定したもので石垣は許可されませんでした。石垣ができたのが幕末頃と言われています。その後石垣を作る屋敷が増え、竹の生垣は石垣へとかわっていきました。(現地解説板)
竹の生垣が残る地区もある
高岡町の市街地で確認した武家門の数は11。これに長屋門を入れると少なくとも12の武家門が残る。
薩摩藩113の外城の中ではよく残っているほうではないか。
高岡町の市街地を見下ろす天ヶ城公園に上る。S字に曲がるのは大淀川
急峻な坂道を車で駐車場まで上がる。山の上は広い芝生の公園になっている。
なるほど、昔の山城は造成次第でてっぺんに意外と広い土地を確保できるのだなと妙に関心した
城址には城郭を模した歴史民俗資料館が建てられている。城郭風の建物は薩摩藩外城の風景には相応しくないかも知れない。
しかし公園のシンボルとしてこれでいいのではないか。
(訪問記)
この後、綾町の麓まで足を延ばしたかったのだが(昨年訪問⇒綾町・麓)、今回は断念し、鹿児島へ戻る。
8月上旬に串木野麓を訪れました。
石塀が続きます
見事な石柱の門。鉄製の扉が印象的
古い武家門
石塀が続く。広い屋敷跡が残ります
地頭仮屋跡方面へ
古くて立派な武家門
河上家武家門。高岡町の代表的な武家門の一つ。宮崎市登録有形文化財
観音開門は禄高80石以上の武家に許され、両開きで左右いずれかにくぐり門が取り付けられて、夜間の出入りに使用された。河上家の武家門は、観音開門の代表的な存在。弓術の指南家、禄高280石程度の高禄武家のものといわれている。禄高80石以上というのは現在の貨幣価値ではちょっと想像がつかない
河上家武家門に面する側の高岡小学校の門。歴史を感じる
安藤家武家門と石垣。宮崎市登録有形文化財。観音開門にくぐり戸付き
長野家武家門。登録有形文化財。くぐり戸が付いている
神崎家武家門。市登録有形文化財
宮崎市では薩摩藩時代の史跡が大切に保存されている。
フェンスに囲まれた門を見つけた。びっくり。
姿・形からすると観音開門くぐり戸付きの上級郷士に許された形式の門かも知れない。
壊して処分することはせず保存しようという意思が伺える。早い段階で修復、移設してほしい
(続く)
鹿児島に帰る途中、高岡町へ。高岡町は人口1万2千人の小さな町。
高岡町の中心に石垣や門構えの武家屋敷が多く残る。最初に目に留まった粟野神社
石垣造りの古い塀が旧国道に沿って続く
粟野神社は島津義弘が高岡郷を創立したときの郷の宗廟。島津斉彬公が高岡巡見の際に参拝した
高岡市街地に入って最初に目にした武家門
こちらは武家門と石垣と生垣の組合せが美しい
生垣も綺麗に手入れされていた
こちらの屋敷も生垣が綺麗に手入れされている
独特の色合いは高岡石と呼ばれる。石の性質が非常に柔らかく加工しやすいことから石垣に採用された
上の通りを進んだ先の九州森林管理局付近
独特の石垣や生垣が通りの左右に続く。交差点の角に武家門が見える
角を曲がると武家地らしい石塀が通りの左右に続く
高岡小学校。旧地頭仮屋跡
(高岡町の歴史)
関ケ原の戦いから退却した島津義弘が現在の高岡の地に山城(天ヶ城)を築城し、薩摩・大隅・日向各地から家臣や郷士を多数移住させ、高岡、綾、穆佐、倉岡の四郷の外城を創設した。去川の関の外に位置する高岡郷は出水麓や大口麓などと並び、境を守る要衝として大規模な麓が形成された。
(続く)
昨夏に続き、今年の夏休みも宮崎のシーガイアリゾートへ。
昨年はラグゼ一ツ葉に宿泊しオーシャンドームで遊ぶ。残念ながら昨シーズン限りで閉館。
今年はサンホテルフェニックスに宿泊しファミリーパスポート付きを申し込む。
初日は日焼けをさけたい嫁をホテルに残し子供と巡回無料バスに乗ってフェニックス自然動物園へ。
流れるプールからホテルに戻ると背中や首が日焼け。
子供たちは泳ぎ足りず夕方からホテルのプールでもう一泳ぎ。みんなで松泉宮(温泉)へ。海岸際なので塩辛い。
二日目はホテルで朝食後に再びフェニックス自然動物園へ。パスポートを使って園内の遊園地で遊ぶ。
こじんまりした遊園地だが十分楽しめる
カート。気合を入れてスタート。
アクセルとブレーキを上手く使い分けてカーブを曲がる。
何回も挑戦したマッドマウス。スピードとスリルが味わえる。さすがに気持ち悪くなったか
ホテルのプールで正午過ぎまで泳ぐ。利用者が少なくほとんど貸切状態。
武家屋敷の残る高岡町に立ち寄り、財部ICから鹿児島市に戻った。
宮崎県都城市の山之口地区には地頭仮屋が置かれ、周囲に郷士の居住地である麓が作られた。
国道269号線に面して建つ地頭仮屋跡
山之口麓文弥節人形浄瑠璃を上演する人形の館(資料館)
人形の館の前には比較的新しい武家門がぽつんと建つ
国道を一歩入った通りに武家屋敷の面影が漂う。
通りに面して建つ石垣と武家門
石垣の反対側に生垣が続く
こちらには石柱が残る
(訪問後記)
宮崎旅行の序に宮崎県内の麓集落を多く回りたかったが断念する。それでもいくつかは回ることができた。山之口麓はその一つ。
昨夏に訪れた記録⇒山之口麓
鹿児島から宮崎へ夏休みの旅行にでかけた
都城市から国道10号線を上って宮崎市に下る途中に去川地区がある。去川は薩摩街道(高岡筋)の関所があった
去川小学校の手前を左に入ると去川の関の御定番を代々勤めた二見家の屋敷がある
二見家屋敷。前の道路はかつての薩摩街道
屋敷の入口に二見家の武家門が建っていた。しかし台風で壊れてしまったらしい。
現在、宮崎市によって二見家住宅の保存修復工事が行なわれている
山あいにある去川地区を望む。手前は二見家建立の”去川の大イチョウ”の石碑。
左奥に二見家の銅版葺きの屋根が見える。近くからは樹木に遮られ見えない
去川の大イチョウ。二見家所有。秋には葉が黄金に変り見事な姿になる
薩摩街道(高岡筋)。
去川の関からは和石(よれし)、尾根伝いに国見山を越えて有水に抜ける険しい道だったそう。
尾根に登ってしまえば、後は楽だったかも知れない。