肝付町高山から戻る途中、旧吾平町にある吾平山上稜に立ち寄りました。訪れる機会がそうなかろうと思って。
天照大神と初代神武天皇の間に存在したとされる三代を日向(ひむか)三代という。
それぞれの陵墓がなぜか鹿児島県内に比定されている。神代三山陵(*)という。
吾平山上稜への参道入口。神武天皇の父、ウガヤフキアエズ(山幸彦の子でもある)が眠るとされる。
橋を渡った先に参道がつづく。
雨の中玉砂利の参道を進むが平日のためか一人としてすれ違うことがない。
しばらく参道を進むと二度目の橋を渡る。
どこまで参道が続くのかわからず人の気配がない。雨の中参道を進むのは少し勇気がいる。
途中なんども引き返そうかと思った。参道の雰囲気は伊勢神宮のそれと似ている。
しばらく進んでようやく広場のような空間が先に見え、管理事務所のような建物も見える。
やれやれやっと人に会えそうだとほっとする。
建物は宮内庁の管理事務所であった。なるほどここは天皇家にまつわる山陵なのだと実感する。
ざんねんながら管理人は不在であった。
参道の終点でようやく吾平山上陵の入口がみえてくる。
ここから先は立入禁止。鳥居の奥は洞窟になっている。
目的を達したのでそそくさと駐車場に戻る。
吾平山上陵は戦前に昭和天皇、戦後に皇太子(現今上天皇)が参拝されている。国家の意思を感じることができる。
神代三山陵・・・吾平山上陵、可愛山陵(薩摩川内市、天孫降臨の主人公ニニギノミコトの陵墓に比定)、
高屋山山上陵(霧島市、ニニギノミコトの子つまり山幸彦の陵墓に比定)、
吾平山上陵は鹿児島県・宮崎県にまたがり候補地が複数ある。明治7年に政府によって現在の地に比定された。
そういえば2年前に宮崎の鵜戸神宮を訪れたとき近くに吾平山上陵の参考地があった。
撮影日:2011年6月3日