鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2014 坊津・秋目 鑑真記念館

2014-07-05 | 麓-加世田・枕崎

坊津の秋目は007は二度死ぬのロケ地として、また鑑真上陸地として知られる。

 

映画は当時のオリエンタルな日本の魅力にあふれている。映像もすばらしい。

富士山に霧島連山の空撮、姫路城に海女。島津重富荘や与次郎ケ浜の貴重な映像もあった。

当時の鹿児島市はしっくい塗りの瓦屋根が多かったのにおどろく。

実に南国的な映像でした。

 

鑑真記念館。中国関係者による記念の植樹あちこち見られる。

 

 

007のロケの様子を伝える当時の興味深い写真も展示されていました。

 

鑑真記念館からの湾の眺め

 

秋目峠を経由して旧大浦町から鹿児島市に戻る。

次の機会があれば、坊津の久志・泊・坊浜に足を延ばしたい。


2014 坊津・秋目麓の風景 02

2014-06-29 | 麓-加世田・枕崎

秋目の集落内を歩くと麓らしさを感じることができます。

 

秋目に残る武家門。宮内家。数ある麓のなかでも貴重な気がする。

 

 宮内家は伊能忠敬が薩摩半島を回る際に宿泊した。 

 

石垣の角を曲がって路地を進むとその先にも石倉と武家門が残っていた。

 

通りに沿って見事な石垣と生垣が続く。

 

ここの通りが麓らしさを最も残しているのではなかろうか。石垣がいい味をだしている。

 

秋目の集落には野石を積んだ石垣も多い。

 

 

頴娃の石垣集落(かつて貿易で栄えた港町)でみたような古い民家も残っている。

 

 

黒瀬は杜氏の里。秋目から野間半島を海沿いに進んだところ。

 

(続く)


2014 坊津・秋目麓(初訪問)

2014-06-28 | 麓-加世田・枕崎

南日本新聞の記事によると南さつま市坊津町の秋目集落に麓の景観がよく残っているという。

調べてみると藩政時代の久志秋目郷の地頭仮屋は久志に置かれたが、多くの郷士が秋目にも配置された。

その結果、秋目にも武家集落(麓)が形成された。それゆえに秋目は麓の雰囲気が今も残っているのであろう。

同じ南さつま市の大浦町にでかける機会をとらえ大浦町から秋目峠を越えて入ることにした。

車でせまい秋目峠をつづら折りに下っていくと「漢方医坂本家跡」の碑がいきなり出てくる。

 

漢方医坂本家跡。屋敷に続く長い階段とその先の立派な門にまず驚く。

 

 

下り坂から眺めた秋目集落(麓)の遠景。古い民家が残っていそうだ。

 

下り坂の脇に石垣が残る。集落内には石垣が多い。

 

持明夫人行館跡。

 

県道を下りきると「がんじん荘」がある。

鑑真の上陸記念館ができる前から「がんじん荘」の名で営業してきたそうだ。鑑真の記念館でそんな古い記事を読んだ。

 

平坦地について下の路地を奥に進むと秋目小学校跡につく。

 

秋目小学校跡

 

大きなアコウの木と校庭への階段跡がある。

アコウの木は別名「しめ殺しの木」だと教えてくれた。

なるほど根があちこち絡み合ってすごいことになっている。

 

正法寺の古い門。境内に古い五輪の塔が残る。

 

 

秋目診療所。右は九玉神社。石造りの古い鳥居が残っています。

 

 

(続く)


2010 加世田鍛冶の故郷・小湊

2010-02-10 | 麓-加世田・枕崎

加世田鍛冶の故郷、小湊を訪れました。

小湊は450年以上の伝統をもつ「加世田鍛冶」の伝承地。鍛冶は藩政時代に下級郷士の内職として広まった。

加世田郷の郷士が作る鎌は切れ味が良く評判がとても高かったと言われます。

小湊は万世(ばんせい)から野間半島に向け車で10分程の所。

 

小湊の集落内は道の両側に背の高いいぬまきの生垣が続いています。独特な景観にちょっと驚く。

 

野間半島の付け根に位置することから防風対策を兼ねているのでしょうね。 

 

小湊集落にて。背の高い生垣がどこまでも続く。しかし鍛冶屋の看板はみあたらないなあ。

 

 

国道に戻って商店街の洋菓子店で尋ねたところ、1軒の鍛冶屋があったが現在は病気でやめられたという。

鍛冶の看板も残念ながら見当たらなかった。

 

信寺と八幡神社

 

 

加世田鍛冶に関して下記のホームページに記事があります。

現在、加世田麓にある「志耕庵」が加世田鍛冶の伝統承継に努力されています。

南さつま文化遺産


2010 南さつま市・万世の風景 02

2010-02-08 | 麓-加世田・枕崎

万世は郷士集落でもあった。

国道226号線から旧道らしき道が延びている。石垣、竹垣、生垣などに郷士集落の面影が残っている。

 

低い石垣、いぬまき、竹垣が続く

 

背の高い竹垣

 

古い石垣と竹垣

 

旧道に沿って古い倉や石造りの建物が残っている

 

 

 

細い石柱の門も残っている

 

万世の旧道沿いに郷士集落の面影を確認できた。この後、加世田鍛冶のふるさと小湊へ。


2009 阿多麓・夏 03

2009-08-29 | 麓-加世田・枕崎

阿多麓内を上之馬場方面に歩く。阿多病院付近

 

左右に生垣が続く場所がある。

 

先を進むと石垣や石柱の門構えがあった。

 

上之馬場地区では残念ながら武家門は見付からなかった。

 

水量豊かな用水路脇に面白い史跡を発見した。

殿様の腰掛け石。

「新田川掘削工事の時、現場責任者の今和泉島津家の島津伊織久近が工事巡視のとき腰掛け休憩された石」

「開田後、今和泉家は三百石を領有した」


2009 阿多麓・夏 02

2009-08-26 | 麓-加世田・枕崎

馬場の途中から阿多病院方面へ右折しました。狭い路地を進むと水路側に武家門がみえる。

 

4棟目。水路は真新しい蓋がかぶせられていました。

 

水路の反対側に建つ武家門。実に味わいのある門構えです。5棟目。

 

 

 

庭木も見事。角には石倉。

 

 

石倉の角を阿多病院方向へと歩きました。左右に見事な石垣が続きます。

 

 

 

6棟目の武家門。前回訪れた時から気に掛けていた古い門です。

 

門に続く階段の補修?を見ると手入れがなされているようです

 

 

 

同じ路地で比較的新しく建てられた武家門。7棟め。

 

阿多病院の脇を水路が通ります。木造の建物は築年が古そうですね。

 

バス停のある主要道路(国道297号線)に出ました。

左に進むと最初の阿多麓への入口付近、右に進むと山中を抜け川辺の市街地に出ます。

 

この後、上之馬場付近を歩く。(続く)

(後記)上の国道297号線を通り川辺町まで抜けると、途中のバス停標識にいくつか駅名が見られました。なんで駅名があるのだろうと思ったら南薩鉄道の知覧線(阿多~知覧)がかつて通っていたらしい。南薩鉄道の歴史を窺い知ることができます。 参考サイト:鹿児島交通知覧線-Wikipedia


2009 阿多麓・夏 01

2009-08-25 | 麓-加世田・枕崎

加世田麓から車で10分程北に走ると阿多麓があります。2年振りに訪問しました。

阿多麓の入口付近の風景。入口から馬場が奥に約500メートル延びている。

 

 

 

馬場を進むと次第に石垣と生垣がめだってくる。

 

馬場の先の十字路を右折すると最初の武家門が見えてきました。

 

門の左には元々生垣か石垣があったのでしょう。現在は車の通用口になっている

 

 

元の馬場に引き返して馬場を先に歩く。2棟目の武家門がありました。

 

 

3棟目の武家門。

 

 

 

馬場の突き当りまで歩くも、馬場に面する新たな武家門は見つからなかった。

 

 

馬場を折り返して途中で右折し阿多病院方面へと歩く。

(続く) 参考:旧金峰町・阿多麓界隈(2007.11訪問


2009 加世田麓 上鴻巣~竹田神社へ

2009-08-19 | 麓-加世田・枕崎

上鴻巣地区を通る水路に沿って竹田神社方面へあるく

鰺坂家武家門

ここも石橋を渡って門をくぐるまでのアプローチがいい。現在は自治公民館となっている

鰺坂家屋敷跡の碑

筑後の鰺坂荘より加世田郷に移住したとある。屋敷跡は門を残して公共地となった

六地蔵塔。島津忠良(日新公)が立てた供養塔

別府城の攻防を初め、戦国武将、武士たちを敵味方なく供養したものだそう

 

 

 

小路に面して残る武家門

 

水路に沿ってたつ最後の武家門。こちらは普段使われていないのだろう

 

 

 

竹田神社に到着。左の鬱蒼と茂る森が竹田神社

竹田神社は薩摩・大隈・日向の三州統一の礎を築いた島津中興の祖、島津忠良(日新公)を祀る。

前身は日新寺

 

境内内の石倉に島津の紋がみえる

 

いにしへの道(いぬまき並木道)。いぬまきの古木が両側に立ち並ぶ

 

 

最後に、竹田神社の近くで見付けた武家門。残念ながらほとんど放置された状態

 

訪問記)2年振りに加世田麓を訪れると、別府城を取り囲むように多くの古い武家門が残されていたことがわかった(14棟を確認)。中鴻巣方面から竹田神社へ続く水路脇の道がいにしえの道として整備されることを期待したい。次の機会に加世田鍛冶のふるさと、小湊方面に足を延ばしたい。


2009 加世田麓 上鴻巣地区

2009-08-17 | 麓-加世田・枕崎

交差点を渡り上鴻巣へ歩きました。

 

 

 

上鴻巣は水路に沿って多くの武家門が立ち並んでいます。

 

水路に多くの石橋がかかっています

 

石橋を渡って門を潜るのがなんとも風情があっていい

 

 

 

水路の反対側に建つ武家門

 

 

武家門をくぐると左に仁王像がある

 

 

 

別府城への登り口。旧加世田小学校跡でもある

  

別府城址からの麓の眺め

(続く)