同じく2004年以降の画像を整理していたら串良麓の記録画像がでてきました
おそらく家族で大隅半島をドライブしたときのものです。撮影日2005年3月6日
串良商業を尋ねて串良に寄ったと記憶しています。麓に寄ったのはすっかり忘れていました
麓内のようす
こちらの武家門には2005年に訪れていたんですね
車に家族を残していたのでそそくさと車に戻ったように記憶しています
生垣がみごとですね
同じく2004年以降の画像を整理していたら串良麓の記録画像がでてきました
おそらく家族で大隅半島をドライブしたときのものです。撮影日2005年3月6日
串良商業を尋ねて串良に寄ったと記憶しています。麓に寄ったのはすっかり忘れていました
麓内のようす
こちらの武家門には2005年に訪れていたんですね
車に家族を残していたのでそそくさと車に戻ったように記憶しています
生垣がみごとですね
大隅出張の際、鹿屋市串良町にある串良麓を再訪する。2008年夏以来。
地頭仮屋の門
岡崎郵便局の角を曲がった先に残る武家門
東西に長く延びる石垣と生垣、その奥に見える武家門、ここの風景はとても絵になる
付近に残る二体の仁王像?廃仏毀釈の歴史がここにも残るのだろうか
山の麓に残る武家門。初掲載。
5棟目の武家門。比較的新しい? 串良麓で5棟の武家門を確認できた。
図書館で鹿児島の古い郷土史や歴史本を見ても各地の麓の様子が写真で掲載されたものはほとんどない。
一度も見たことがない。何々家の門とかが写真付きで紹介されるていど。
「大隅昭和写真帖」(南方新社)も残念ながら掲載されてなかった。
当時の貴重な写真が満載の薩摩藩の外城(麓)に焦点を当てた写真集をどこか発刊してくれないかなあと思う。
地元の南日本新聞さん、南方新社さん企画お願いしたい。
鹿屋市の北部、高隈山のふもとに高隈麓がある
高隈麓の表示のあるバス停付近
道路沿いに建つ武家門。ブロック塀が目立つのは道路拡張のためか
表門の内側に笠木石を載せた石垣が見える
道路の反対側に建つ武家門。綺麗な門だ
付近は玉石垣が残る。いかにも古そう
この付近の玉石垣は新しく見える
参考:高隈麓の風景(2007.12訪問)
垂水から鹿屋へ向かう国道220号線沿いに新城麓がある
新城麓の旧道らしき道を通ってみた
旧道は新城麓の中心をとおり、そのまま山間を進むと花岡麓へと繋がる。
麓中心の公民館近くに武家門があった
地頭仮屋の跡と武家門の存在がかつてそこに武家集落があったことを物語る。
参考:新城麓の風景(2008.2訪問)
鹿屋市内の高校に立ち寄る用事があったので大姶良麓を訪れてみました。
大姶良麓の入口
大姶良麓に入ると道路沿いに竹垣が続いている
道沿いに少し進むと石垣が続く場所がある。この付近が大姶良麓の中心のようだ
さらに先に進む。ここでも道沿いに竹垣、石垣、生垣が続く
生垣の向こうに梅が咲いていた
大姶良麓を引き返す。
田んぼの向こうに武家門構えの家
大姶良麓から県道に戻る。県道沿いに建つ武家門があった
(訪問記)
大姶良麓は大姶良城の麓に形成された。大姶良の中心(大姶良小付近)や県道からも外れているためか、数ある麓のなかでもひっそりと存在する麓であるといえる。
(後記)
大姶良麓の地頭仮屋跡について鹿屋市教育委員会に尋ねてみた。旧役場や小学校敷地である例が多いのだが大姶良ではそれらの建物は麓からずいぶん離れている。調べていただいたが所在地は不明であった。鹿屋市教育委員会に感謝。この場を借りてお礼申し上げます。
垂水麓は垂水小学校の一帯から県道を越えて拡がっている
県道沿いに残る石柱や武家門
県道の南側、松原町から敷根町一帯。左右に石垣と生垣が続く
垂水麓は、麓の規模、碁盤の目に区画された町割りなど舞鶴城下の国分麓に似ている
進むと武家門があった。松原町
さらに進むと別の武家門があった
突き当たりはT字路となっている
本町に「歴史資料 垂水島津館」が開館した。手作り感のある資料館
垂水フェリー船上からの桜島の眺め
(訪問記)
垂水麓は蒲生郷や今和泉麓を参考に「お長屋」を中心に馬場、垂水島津家墓地までの散策コース、街なかの通りの標識などを整備すると町並み景観が良くなると思う。市町村振興の宝くじ収益事業を整備に使えればよいと思う。
垂水市は垂水島津家の城下町です
垂水小学校に現存する長屋門
垂水島津家は島津77万石を支える一門家(加治木・重富・垂水・今和泉)で、垂水島津家は初代忠将(ただまさ)から16代貴暢(たかみち)まで約250年間垂水を治めた。4代久信の代に垂水城から林之城(現垂水小学校)へ移り林之城の麓に城下町が形成された。
正面は垂水小学校の長屋門
垂水小学校の正門前に広い馬場が東西に延びている
馬場沿いに面して並び建つ武家門。
垂水市の市街地で町並み整備に取り掛かるとすれば長屋が建つこの馬場からだろうと思う
馬場から少し山手に入ったところに垂水島津家墓地がある。
見学者用の駐車スペースが近くにある。馬場から島津家墓地までの散策コースを整備したい
一歩入ると生垣の空間が残っていた
(続く)
岡崎郵便局の角から串良商業高校に上がる道に引き返しました
S字に曲がる道路の左右に石垣が続く
背の高い方の石垣は意匠が凝っている
三棟目の武家門を確認
こちらは石柱の門構え
高い生垣で囲まれている
五~六段の石垣と生垣が続く
屋敷跡のようだ。古い石柱が残っている
仮屋屋敷跡に戻りました。石塀は串良小学校の南側に建っているもの
(訪問記)
とても日差しの強い日であった。歩くだけで汗が吹き出す。串良麓は近くに上馬場という地名がある。隣りの東串良町の役場付近に下之馬場という地名もある。もう少し広い範囲を歩くとまだいろんな出会いや発見がありそう。涼しい秋頃に再訪できればと思う。
残暑が厳しい8月下旬、鹿屋市にある串良麓を訪れました
串良郷の旧地頭仮屋跡
串良支所
串良麓は現在の串良総合支所(旧役場)から串良小学校のあたりを中心として広がっていたと思われる
鹿屋市立串良小学校。麓の小学校らしく武家門をデザインした正門。スケールが大きいですね
岡崎郵便局の角を曲がって道沿いに歩くと、武家門に出会う。背の高い生垣が続く
用水路に沿って曲がってみた
麓らしい雰囲気をそこかしこに感じる
突然、素晴らしい空間が現れる。石垣と生垣がずっと続いている
武家門に三段積みの石垣と生垣
藩政時代の麓がそのまま残っているようだ。江戸時代にタイムスリップしたように感じる
秋(春?)には生垣が色付いて目を楽しませてくれそう。背後の木々にも歴史を感じる
串良郷は志布志、根占と並ぶ大郷で、薩摩藩時代は1万8千石以上を産する豊かな土地であった。串良郷は明治22年の町村制施行により串良川を境に東西に分かれ、西串良村と東串良村に分かれた。昭和7年に串良町と東串良町に改められ、串良町は高山町、鹿屋市などと合併し、現在は新生鹿屋市の一部となっている。
旧串良町は大隅半島のほぼ中央部に位置し、国道220号線の要衝にあたる。東は東串良町、南は旧高山町、西は旧鹿屋市、東北は大崎町に接する。
(続く)
鹿屋郷の麓集落は城山(鹿屋城)の麓一帯に形成され、古前城町と打馬地区がそれにあたる(S42年発行鹿屋市史)。
打馬地区を訪れてみました
打馬地区に残る武家門。左右の袖壁の上に小屋根付き。保存状態は良い
同じ通り沿いに建つ別の武家門
通りの風景。古前城町と異なり、4~5段の石垣の上に生垣が続く
生垣があると薩摩の麓らしい趣がする