山崎郷は薩摩藩の直轄地で、山崎小学校の前に山崎郷の御仮屋跡があります。
立派な御仮屋門が当時のまま残されている
これはうれしい
御仮屋跡のある通り一帯は往時の武家集落の雰囲気が色濃く残る
山崎の商店街との交差点にある懐かしい感じの商店
次回ゆっくりと訪れたい
山崎郷は薩摩藩の直轄地で、山崎小学校の前に山崎郷の御仮屋跡があります。
立派な御仮屋門が当時のまま残されている
これはうれしい
御仮屋跡のある通り一帯は往時の武家集落の雰囲気が色濃く残る
山崎の商店街との交差点にある懐かしい感じの商店
次回ゆっくりと訪れたい
佐志郷は島津氏分家の佐志島津家の私領地であり、領主仮屋が現在の佐志小学校に置かれた。
右側が佐志小学校 左側に宮之城佐志郵便局が見える
往時の面影を伝えるものは佐志小学校に沿って長く続く石垣
石垣と門が残る屋敷跡も残されていた
11月の中旬の平日に天文館のアーケード内でとったもの
キャッチフレーズ「We love 天文館」の看板
クリスマスのイルミネーションの数々
天井から下がる豪華なツリーと左下のお店との組み合わせは何となくミスマッチ。
日本的クリスマス風景と言えるかもしれないが。
11月24日に天文館で「市電無料の日」のイベントがあった。
天文館付近の3つの電停で降りるお客さんは電車賃が無料。予想を上回る1万2千人が利用したとか。鹿児島中央駅からの流れ込みが多かったそうだ。
電車賃は「We Love 天文館」の協議会がまとめて負担した。費用対効果は非常に大きいと思う。天文館に気軽に足を運んでもらえる仕掛けを継続的にやってほしい。
旧鶴田町は藩政時代に鶴田郷と呼ばれ、鶴田郷の地頭仮屋は梅君ヶ城(字城内)の近くに設けられました。
国道267号から見える地頭仮屋跡の碑
地頭仮屋跡の一帯は宅地造成地となっている。足元の石垣は当時のものか
国道上の保育園近くに旧鶴田小学校跡の碑が建っている
郷校跡の碑も見える
麓らしい風景はあまり残っていない
旧鶴田町は現在さつま町の一部となっている。
参考:鶴田郷の地頭仮屋跡(広報つるだ2003/4月号)
黒木は大村・藺牟田とともに旧祁答院町の一部ですが、規模の小さい集落です。
現在の黒木小学校に地頭仮屋が置かれました
黒木地区の全景
旧黒木村役場の門。当時の雰囲気を伝えるものはあまり残っていない
入来から祁答院にかけて玉石垣を積んでいる地区が多く見られる
この地方の特徴のようだ
黒木地区の入口にある簡易郵便局。壁の色といいデザインが可愛い
大村は旧祁答院町の中心であり、大村城(山城)の下に地頭仮屋(現大軣小学校)が置かれ、その周囲に麓が形成されました。
永福橋の西側一帯が麓にあたります。
麓内に残る石垣と石柱の門
永福寺。敷地内には招魂社もある
左右に石垣がつづく
石垣と生垣。イヌマキの木
立派な石の門柱
旧祁答院町は蘭牟田・大村・黒木の三村が合併してできた町です。
訪問日:2007年11月22日
蘭牟田は大村・黒木とともに旧祁答院町を構成する。藺牟田郷には現在の藺牟田小学校に地頭仮屋が置かれた。
道路の拡張工事にあわせて新しく石組みされている。背後の山は遠見ヶ城
麓のバス停。近くに平城というバス停もある
麓の一文字がいい
右は藺牟田小学校
奥に招魂社が建立されている
門のある敷地は麓駐車場として使用されている
近くの風景
麓西の石敢当
ベッコウトンボの生息地で有名な蘭牟田池が近くにある
旧輝北町の市成は、藩政時代に市成郷と呼ばれて敷根島津家の私領であった。
市成郷の地頭仮屋は現在の正覚寺の場所にありその周囲に麓が形成された。
麓内に残る石垣
時間がなく駆け足でまわった。次回に期待したい。
桜島フェリーで大隅半島にわたり、垂水市牛根から牛根峠を超えて旧輝北町に入る。
旧輝北町役場(輝北総合支所)のある一帯が百引(もびき)麓にあたる
旧輝北町役場(輝北総合支所)
支所から路地をすすむ
路地を進むと両側にイヌマキの垣根があるところにでる。屋敷跡が数軒みられた
石倉のある屋敷跡
国道沿いに続く石垣と屋敷跡
国道沿いに残る武家門。史跡として指定されている
懐かしい感じの路地風景
旧輝北町は星空日本一に輝いた町
フェリーが桜島港に到着した後、古里温泉方向に車を走らせた。
道の駅桜島の隣にあるローソン。
国道沿いにある赤水麓のバス停留所
バス停近くの集落の風景。赤水は大正3年の桜島大爆発で大きな被害を受けたため、往時の麓の風景は残っていないのかも知れない。
その先の展望台から眺めた桜島