鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 東京・国立 02

2008-05-25 | 東京

東京・国立のつづき

向かい側にある洒落たタウンハウス

 

東京都立国立高校。都立の星

夫婦で学園祭を見に行ったことがある。TRFをやって大受けしていた

 

大学通りの歩道橋から。谷保方面を眺める

国立の景観保護の歴史を調べると、大学通りに歩道橋を架けるのにも反対運動があったらしい。国立市大学通りの景観訴訟の対象となった高層マンションが右側に少し見える。景観を公共の財産として保護すべきか現在の日本では難しい。

 

同じ歩道橋から。国立駅方面を眺める

桜の時期は並木が綺麗です。個人的には冬枯れして葉がすっかり落ちた風景が好き。10年前は高層建物もなく、大学通りの先に赤い三角屋根が小さく見えた。

 

歩道橋を渡り、駅方面に戻る。先ほどのお洒落なタウンハウスが続く

 

玄関もお洒落

 

ウェディングドレス姿の花嫁さんが階段を下りてくる場面に遭遇することがあった

 

一橋大学の近くまでようやく戻る

 

少し古いが、大学通りの看板。サクラ、イチョウ、ケヤキ、マツが植えられている。看板には旧駅舎の絵

 

一橋大学構内。西キャンパス。兼松講堂。昭和2年竣工

 

土日に子供を連れて構内を散歩するのが日課であった。毎年学園祭にも見に行ったなあ

 

 

 

 

もうすぐ国立駅。ブランコ通り

 

国立の老舗。ロージナ茶房

 

近くに「おいしい関係」(1996年)のロケに使用された邪宗門があります。唐沢寿明と中山美穂のドラマといっても今はほとんど知らないだろう


2008 東京・国立 01

2008-05-25 | 東京

久しぶりに国立市を訪れた

国立駅には東京駅から中央線快速で約60分。国立市は東京郊外にある学園都市。

国立駅南口のロータリー

 

国立市は西武の堤康次郎が理想の「学園都市」を目指して南側を開発しました。駅の南口から3本の通りが延びています。赤い三角屋根がシンボルの国立駅舎は既に取り壊され、現在高架工事中。ロータリーの先が谷保駅まで南北に延びる大学通り。

 

大学通りの左右に洒落た店が続く

中央を南北に走る車道と左右の歩道との間には緑地帯が設けられ、イチョウその他の樹木の緑が生い茂る

 

向かいは高級スーパー「紀ノ国屋」

 

大学通り名物の一時駐輪場

 

大学通りのシンボル、一橋大学。小平市にもキャンパスがある

 

東キャンパス

 

緑の空間が心地良い

この少し先に約10年過ごした。朝の清々しい空気の中を駅に向け歩くのは何ともいえず心地よかった

当時は高層マンションもなかった。駅に着くと東京駅までの通勤地獄が待っていたが

住宅街区に入ると個性的なお店が増える。

 

骨董屋。開店しているところをあまり見たことがない

 

蕎麦屋。更科甚五郎。美味。

建物が古いせいかボヤ騒ぎがあり、多数の消防車が駆け付け、静かな住宅街が騒然となったことがある。

 

手前がレストラン。向こうは山小屋風のお宅

 

現役の郵便ポスト

 

ケーキ屋。隣接して和菓子も扱っている

 

雑貨屋。散歩がてらぶらりと立ち寄れるお店が多い


2008 重富麓・春

2008-05-20 | 麓-姶良地区

新緑の残る重富麓を訪れました

重富小学校。平松城跡

 

 

重富小学校前の馬場に面する武家門

立派な袖屋根を備える堂々とした門構え。脇に潜り戸を備える。保存状態が惜しい

文化財として保護できないか。修理・修景すれば街の景観に大いに寄与すると思われるのだが

重富小学校前の馬場

 

 

 

平松城の野積みの石垣がここまで続く

 

昨年12月に比べると生垣の枝葉もだいぶ成長している様子

 

新緑が映える

 

後方の山は岩剣城跡

 

 重富麓は生垣がよく残っている麓地区である

 

ここの武家門も前回取り上げた

 

重富麓には武家門が3棟しか残っていない。

雨樋と壁を両側から支える棒が見える。所有者の苦労が偲ばれる

 

後方に岩剣城

 

 

 

現在売り地。門は壊さず、次の家主に備えたと思われる


2008 牧園麓・春

2008-05-18 | 麓-霧島市

天降川に沿って霧島温泉へ向かう国道223号沿いに武家門が立ち並ぶ一角がある

国道の左右に武家門が見える。国道を下ると牧園麓交差点。車の交通量は多い

 

国道沿いに建つ武家門。以前は石垣構えだったかも知れない

 

反対側に建つ武家門。こちらは石垣が健在

 

国道から脇に入ると四段積の石垣が残っている。頂部は傘石。こちらも屋敷がありません

 

六段積みの石塀。積み方が少し面白い。頂部に傘石。屋敷はなく売り地

 

 

坂の途中にある奥まった武家門。左の犬槇や中の庭木もきれいに刈り込みされている

 

国道から脇に入る道沿いに武家門があった。石垣は切出し石の五段積

 

 

 


2008 奄美大島・龍郷町

2008-05-18 | 種子屋久・奄美諸島

翌日は龍郷町で仕事

西郷松。西郷南洲翁謫居跡に向かう途中にある

安政6年、奄美大島に流された西郷を乗せた船が龍郷湾に上陸。船のとも綱を1本のリュウキュウマツの幹に結び、それから150年、見事な枝を広げた大木に成長し、いつしか西郷松と呼ばれるようになった。

西郷松の近くの民家。珊瑚の石垣と高い樹木に覆われる

 

しばらく車を走らせると、龍郷集落に入る。緑の旗のあるところが西郷南洲翁謫居跡

 

西郷南洲翁謫居跡。入館料大人200円。ガイド付き

流罪となった西郷隆盛が龍郷の有力者竜佐栄志の娘(後の愛加那)を娶り、3年間過ごした

長男菊次郎は後に京都市長となる

内部に使われている木材は比較的新しい。シロアリ等の被害のためとか

 

この時期、どこも木々が生い茂る。向こうにある茅葺の謫居跡が見えないほど

 

龍郷集落内にある教会。赤木名や名瀬にも立派な教会がある。

長崎の五島列島、熊本県の天草、そしてここ奄美大島にもキリスト教がしっかりと根付いているようだ

 

集落内はひっそりしている


2008 奄美大島・赤木名集落

2008-05-18 | 種子屋久・奄美諸島

奄美大島・笠利町のつづき

笠利町赤木名には大島代官所があった。赤木名集落は街並み景観の保全活動を進めているようです

代官屋敷跡のある通りにきれいな生垣が続く。下のブロック積みが惜しい

 

上の通りを横に入る路地にもきれいな生垣が続く

生垣の向こうに赤瓦や特有のトタン葺きの屋根が見える

 

こちらの路地には犬槇の刈り込みが続く。ブロック塀が惜しい

 

知覧に負けない大刈り込みの犬槇

これだけの大きさに揃えるのにどれだけかかるのだろう


2008 奄美大島・笠利町

2008-05-18 | 種子屋久・奄美諸島

5月14-15日、奄美大島に出張した。10:05発のJAC

36人乗りSAAB。プロペラエンジンの音と揺れが少しある以外は快適であった

バスに乗り込み、滑走路をしばらく走ると、小型機の前でバスが止まる。みんな当たり前のように降りてタラップに向かう。えっこれで奄美まで飛ぶの?と少し驚きながら、みんなについていく。後で調べると36人乗りのSAAB。満員の乗客を乗せタラップを中に収容し、定刻遅れで離陸した。約1時間20分で奄美空港に到着。

レンタカーを借りて車であやまる岬へ。いい景色だ。「この岬一帯のなだらかな地形が「アヤに織られた手鞠」によく似ていることから、いつの頃からか「アヤマル」と呼ばれるようになり、地名になったんだろうと伝えられています。」(現地の解説)

 

珊瑚礁の浅瀬(リーフ)が広がる

 

レンタカーで出張先の一つ旧笠利町の中心赤木名に移動

赤木名の海岸。東シナ海側

 

海岸沿いに珊瑚積みの石垣が残っている。大小様々な大きさ形状の珊瑚が積んである

 

 

 

赤木名集落には現役の高倉も残る。屋根は奄美独特のトタン葺き

 

赤木名集落内にある薩摩藩の大島代官所(仮屋)跡

現在は畑地。赤木名はかつて奄美大島の中心地であった

 

当時を思わせるものは珊瑚の石垣のみ。里の地名が残る

赤木名で仕事を終えた後は名瀬へ移動し、夜は「むちゃかな」で島料理


2008 錦江湾公園・花まつり

2008-05-11 | 鹿児島市内

天気が良かったので錦江湾公園へ出かけた。平川動物園の隣にある

はなまつりを開催中。どうりで車が多かった

 

新緑が大変綺麗。完全な露出オーバー。胡蝶蘭の時に+1露出補正のままにしていた

 

ここのバラ園は鹿屋のバラ園ほど大きくない。露出オーバーでせっかくのバラが台無し


2008 水族館・いおワールド

2008-05-07 | 鹿児島市内

GWの最終日に子供をつれて鹿児島市水族館に出かけた

近くの桜島フェリー桟橋。曲線を多用したゆるやかなデザイン

 

フェリーの出航。10分足らずで桜島港に着く

 

木製デッキを渡り水族館へ。年間パスポートを購入。夏休み、来年のGWも使うだろうと思って

 

イルカ館。イルカショウとは呼ばない。イルカを楽しく学べるプログラムを実施

息のそろった見事なジャンプ

体験型のタッチプール。ヒトデやウニ、ナマコなどを触れることができる

 

こんどは海岸の磯でいろんな海の生き物にふれてみよう