鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2011 大崎麓の風景

2011-04-30 | 麓-曽於・志布志

大崎麓を訪れました。

大崎麓をこれまで取り上げた例はほとんどなく本格的に紹介するのはおそらく始めだろうと思います。

旧道。旧道をまっすぐ進むと上町を通り国道に合流する。

 

旧道沿いにある現役の竹細工店。

 

旧道沿いに建つ武家門。前回紹介。風格がある。

 

 

旧道脇の都萬(つま)神社。大崎郷一の宮(郷社)。創建は不明。

鎌倉時代の作と伝えられる銅鏡が国の重要文化財に指定されている(大正時代は国宝に指定)。

島津義久・義弘によって神社の改造が行なわれ、大崎地頭の新納久将の勧請で改修が行なわれた。

本殿その他が国の有形文化財に指定されている。

都萬神社の大鳥居から国道を挟んで参道がまっすぐ延び、参道の両脇に石垣や石柱が残っている。

参道に車で入ったら行き止まりでバックで引き返すはめに。

 

都萬神社の裏手に生垣の続くいかにも麓らしい風景が。こんな雰囲気の地区はたいがい武家門が残っている。

予想とおり古い武家門が残っていた。

 

 

旧道に戻り上町へ。ここにも旧道沿いに古い武家門が建っていた。門の入口に階段も付く。

 

 

 

旧道を引き返し大崎町の商店街へ。地頭仮屋前の通り。麓の面影はほとんどない。

 

商店街の通りから奥に武家門が見えた。比較的新しい門か。

 

 

大崎小学校。地頭仮屋跡。小学校付近には麓の面影は残っていない。

 

再び旧道。石垣と階段、竹垣といぬまき。

 

大崎はこれまで志布志の手前にあって通過するだけの町であった。

じっくり歩いてみると武家門が点在する。麓としての規模は当時意外に大きかったのではないかと思われた。

撮影日:平成23年4月22日  参考:大崎麓の風景(2010.7


2011 東京・国立 02

2011-04-27 | 東京

2000年春、大学通りにて。長女2歳くらい。

古いプリント写真をスキャナ(1200dpi)で取り込んでみた。

意外に悪くない。カメラはミノルタαシリーズ。

 

益田書店に飾ってあった昔の国立市の写真

 

 

以下はこないだ訪れた時のもの。

大学通りを跨ぐ歩道橋からUターンしJR国立駅方面へ引き返す。

 

丸石(河原石?)を積んだ石垣が続く場所がある。国立市開発当時の石垣か? 

 

久しぶりに一橋大学構内へ入ってみる。

 

構内の桜も満開。

 

もうすぐ国立駅。

 

 

JR国立駅は平凡な高架駅に変ってしまった。写真をとる気にならなかった。

可愛い三角屋根の駅舎を国立駅に残せたのではと思う。経済性ばかり追求してもしかたない。

三角屋根の駅舎を残せるなら駅利用者も少々の不便は納得してくれると思うのだが。


2011 東京・国立市へ

2011-04-26 | 東京

春は色とりどりの花が一斉に咲き誇り、1年でもっとも華やかな季節。

東京出張の翌日は土曜日。JR中央線にのって国立市へと出かけた。

東京駅。数年ぶりに中央線にのる。車体のデザインがずいぶん変わっている。東京駅からは座れるから楽だ。

 

電車内は電灯がすべて消灯。ホームに着くと車内が急に暗くなり驚く。乗客は慣れているのか平然としている。

中央線の沿線風景は面白い。新宿を過ぎるとビル群が少なくなりマッチ箱のような住宅が広がる。

ところどころに広い敷地の日本家屋が点在する。武蔵小金井あたりから畑や森が増えてくる。

車窓からの目線が高いなあと思っていたら電車は高架の上を走っていた。武蔵小金井駅は高架駅。

しばらくして国立駅に到着。

国立駅前

 

大学通り沿いを歩くと桜の木の足元に色とりどりのチューリップやスミレ?が咲いている。

 

 

大学通りの景観については高層マンション騒動やらいろいろあった。

それを除けば15~16年前の風景と変わらない。

国立市東。一橋大学に咲くしだれ桜。ちょっと脇に入り昔家族で住んでいたあたりをうろつく。

   

再び大学通り。菜の花もまだ咲いている。

 

大学通りを跨ぐ歩道橋まで歩く。

桜は散り始めているが、まだ7分方は残っている。

参考:東京都国立市大学通り(2008.5訪問) (続く)


2011.4 節電の東京

2011-04-25 | 東京

首都圏で余震の心配が報道された4月の中旬、東京へ出張した。

家族はこんなときに東京?という顔。

鹿児島空港にしゃれた喫茶コーナーができている。いつできたんだろ。

 

ANAの席は前方。後方をみると金曜なのにほとんど空席。いつもは7割くらい越えているのに。

搭乗率は2割をちょっと超すくらいだろうか。不要不急の出張は自粛しているのだろう。

知り合いも首都圏への出張は控えているといってた。まるで空気を運んでいるみたいで航空会社は大丈夫だろうか。

鹿児島-羽田間がこうだから他と羽田行きの他の区間も同じだろう。

 

羽田空港に着くと照明が暗い。節電のため歩く歩道が止まっていた。

 

東京モノレールは「ただ今冷房を切っております」とアナウンス。東京の予想最高気温26℃。

東京駅でもエスカレーターが運転中止。となりの階段をみんな何事もなく登り下りるする。

 

東京は今回の震災を機に節電が広く浸透しているようだ。

 

 

これから続く酷暑も乗り切ってくれるだろう

 


2011 藺牟田池へ

2011-04-23 | 薩摩地方

長男が藺牟田池へ一日登山に行ってきた。5年生の一日登山はもともと韓国岳。新燃岳噴火の影響で変更になった。

藺牟田池は火口湖で標高450~500mの外輪山に囲まれ、格好のハイキングコース。

2月の休日に長女が突然ドライブへ行こうと言い出した。中学受験も終わってほっとしたのだろう。

近場を調べてみると鹿児島市内から川内まで高速道路が現在無料。そこから藺牟田池まで近い。近くに道の駅もある。

手頃なドライブコースなのでみんなを乗せてさっそくでかけた。

 

道の駅樋脇。島津の殿様湯という足湯もある。旬の野菜や花の苗を購入。

 

 

空港道路をしばらく進み左折すると藺牟田池。

貴重な自然が残る藺牟田池はいろんな野鳥が飛来し多くの野生動植物が生息する。

低層湿原に泥炭層を形成し、泥炭形成植物群落が大正10年国の天然記念物に指定された。

ベッコウトンボの生育地として有名で1996年に保護地区指定、2005年にラムサール条約に登録された。

国内では1980年に釧路湿原がはじめてラムサール条約に登録され、現在は尾瀬など33箇所が登録されている。

九州では藺牟田池と大分のくじゅう坊ガツル・タデ原湿原の2箇所のみ。

 

 

藺牟田池を外輪山が囲む。

 

 

 

エサを与えるとすぐに寄ってくる。

防護の縄が張ってあっても構わず近寄ってくる。防護の縄を張る意味があるのだろうか。 

 

 

2月にしては天気が暖かったので二人用のレンタサイクルを2台借りて藺牟田池を一周した。

弟は姉と競争したがる

 

サイクリングロードは約30分で1周できる。

藺牟田池に2時間ほど滞在し入来峠を越えて戻りました。


2011 博多駅・歴代新幹線たち

2011-04-20 | 鉄道・くるま・飛行機

JR九州博多駅の新幹線ホームはいろんな新幹線がやってくる。

東海道・山陽新幹線の歴代の新幹線(第二世代~第五世代)と九州新幹線を見ることができる。

とても興味深い。 

100系新幹線。0系にかわる第二世代の新幹線として1985年から登場。

JR東海のシンデレラエクスプレスのCMで有名。東海道新幹線から2003年撤退。

現在は岡山-博多間の「こだま」として運用中。

 

300系新幹線。第三世代の新幹線として1992年に「のぞみ」が登場。

東京-新大阪間を2時間半で結び、新横浜までの途中停車は名古屋だけ。それまでの新幹線とは別格の扱いであった。

東京から名古屋・関西方面の出張によく使った。

 

700系新幹線。第四世代。1999年に登場。「カモノハシ」の愛称がついた。写真はレイルスター。

 

九州新幹線、800系「さくら」がやってきた。2004年に「つばめ」が九州に登場。いい顔していると思う。

 

N700系。第五世代。2007年登場。山陽・九州新幹線直通列車「みずほ」「さくら」としても2011年運行開始。

 

 

写真の左はJR西日本の500系新幹線。第四世代。1997年登場。右はJR西日本の700系ひかりレイルスター。

 

初代の0系新幹線は2008年に完全に引退したけど、残る歴代の新幹線は現役として頑張っている。

郷愁もあるが100系や300系が一番新幹線らしい。それと九州新幹線の800系のデザインはすばらしい。

N700系に負けるなと応援したい。


2011.3 九州新幹線全線開業

2011-04-18 | 鉄道・くるま・飛行機

九州新幹線が全線開業して1月すぎた。自粛ムードもあって開業1月の乗車率は予想より低いという。

震災で東日本が落ち込んでいるとき西日本が景気を引っ張っていきたいですね。

 

全線開業日3.12、新大阪発の鹿児島中央行きみずほが博多駅ホームに到着する。

 

この日地元放送局のカメラクルーが何組かいた。

 

博多駅からみずほに乗車する。高架の上を高速走行する。非常に快適。

次の停車駅は熊本。

 

熊本までいくつものトンネルを通過する。

みずほの指定席車内。大柄で快適なシートが備わる。快適移動空間。

車内でも熊本の放送局クルーがうろうろしていた。

熊本駅を出発。

いくつものトンネルを過ぎると、あっという間に終点鹿児島中央駅に到着。

正面は桜島。

 

その先にレールはない。新幹線レールの最南端と考えると感慨もひとしお。

 

 

 

鹿児島でN700系が並んでいるところを見れるとは思わなかった。なんか不思議な光景だなあ。

 

しばらく新幹線ホームをうろうろ。

 

九州新幹線全線開業に対する地元の期待は大きい。呼び込んだ観光客をどうやっておもてなしするかが課題だ。

 

新幹線がやってきて街がにぎやかになるのが一番。新幹線は東日本復興のシンボルだという記事をどこかでよんだ。

新幹線への期待は鹿児島でも大きい。

 

 


2011 玉里邸庭園 02

2011-04-16 | 麓-鹿児島・指宿

旧島津氏玉里邸庭園の続き。

仙巌園(磯庭園)を除けば鹿児島市内にこのような大名庭園はありません。

 

池の周囲を散策することができます。

 

 

キリシタン灯篭

 

 

   

玉里邸庭園は入場料無料。近くに駐車場も確保されている。

四季を通じて散策できる貴重な庭園です。


2011 旧島津氏玉里邸庭園

2011-04-14 | 麓-鹿児島・指宿

4月12日から旧島津氏玉里邸庭園の一般公開が始まる。国名勝指定庭園。

玉里邸庭園は島津藩主斉興によって別邸として造営された大名庭園。書院の上御庭と回遊式庭園の下御庭からなる。

西南戦争で焼失したが島津久光が2年後に再建。久光公は明治20年に死去し国葬で送られた。

国葬にあたり黒門から国道まで道路(国葬道路と呼ばれる)が整備された。

 

玉里邸の黒門。大きくて立派な武家門である。久光国葬時の出棺用に作られた。

黒門はシロアリ被害のため2009年に解体し約1年かけて修復。庭園の一般公開にあわせて開門された。

門をくぐると正面に石敢当が設けられている。

 

 

 

玉里邸庭園の周囲を見事な石塀が囲む。

 

 

黒門の正面に国葬道路をのぞむ。

 

 

(続く)

参考:鹿児島市ふようまつり(2007.11)・・・修復前の貴重な黒門が写っている。


2011 喜入旧麓・春

2011-04-13 | 麓-鹿児島・指宿

喜入町の旧麓(もとふもと)を訪れました。

旧麓は給黎城の麓に位置し今の麓に移るまで政治の中心となった場所です。

 

旧麓。静かな時間が流れる

 

水路の脇に古い石塀が続く。 

 

古い石柱と竹垣

 

 

牧瀬家武家門。鹿児島市の景観重要建造物に指定。

 

 

水路に沿って竹垣がずっと続く

 

 

 

撮影日:平成23年4月8日 参考:旧麓を訪ねて(2008.7