甑島麓・里の続き
中町馬場。左右に玉石垣群と生垣群が続く
地元の方の話によると苔の生えている石垣が古い時代のもの
屋敷の入口の様子。入口の角に切石を積み、奥の突き当たりまで玉石を築く
もうすぐ12月だというのに石垣の上に可愛らしい花が咲いている
中町馬場の突き当りに設けられた石敢当
中町馬場の突き当たりにある西願時
新町馬場。イチョウのある敷地が西願寺
沖縄の民家に似た屋根が続く。薩摩藩の麓集落の中でも甑島は独特の景観と言える
どこの屋敷も入口が切石で整えられている
津口番所跡
中国・朝鮮・南蛮の異国船の出入りや積荷を監視するため、江戸時代に設けられた薩摩藩の番所跡である。当時、薩摩藩内の24箇所に津口番所があり、甑島には、里・中甑・手打にあった。-薩摩川内市教育委員会-
里小学校(里地頭仮屋跡)の裏手の山に、亀城跡がある
亀城跡にある展望台からの眺め
陸繋砂洲(トンボロ)と呼ばれる細長く低い砂洲の上に里集落が形成されている
昔読んだ「日本の民家」という本に、里の西海岸のシノーゴヤ(収納小屋)の風景写真が紹介されていた。昭和45、6年位まで200棟位の藁葺きの小屋が並んでいたそうだ。浜に沿って藁葺き小屋が並ぶ様は壮観だったろうと思う。
373newsの懐かしフォトギャラリーで取り上げられている。(http://373news.com/modules/wordpress/index.php?m=200803&paged=2)
里集落の散策後、朝9時5分発の高速船シーホークに乗船し、里港から下甑島の手打港へ向かう。
(訪問記)里の麓集落は薩摩藩の外城らしく玉石垣と生垣が続き景観が大事に保護されていると感じた。沖縄の竹富島のように低い屋根の民家が続く様は玉石垣、生垣と合せて独特の景観を醸している。今度は鹿の子ユリの咲く時期に訪れたい。