鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2014 蒲生麓・梅雨入り

2014-06-14 | 麓-姶良地区

ソニーのミラーレスカメラ、アルファ6000を購入した。

 

南九州地方は梅雨入り。息子のバスケット大会応援にあわせて蒲生麓へ。

 

西馬場通り。前日の雨で生垣がみずみずしい。

 

ミラーレスは一眼レフに比べて軽く気軽に扱えるところがよい。

 

古い屋敷跡が蒲生観光交流センターの別館として再生された。

 

築120年の古民家で食事を楽しむことができるが、訪れた時はまだ開店前であった。

気温が上昇して歩いてまわるにはしんどくなってきた。蒲生体育館へと引き返す。

 

ソニーのアルファ6000は電子ファインダーが付くし画像センサもいいときく。

ただバッテリーの減りが早いです。


2012 蒲生麓 02

2012-07-12 | 麓-姶良地区

蒲生八幡神社の境内脇にあった旧蒲生保育園跡。

石段を登った正面に地頭仮屋門が移築されていたようだ。

現在は蒲生支所に再移築。蒲生の古い写真を見ると石段の正面に地頭仮屋門が写っている。

 

辻馬場(県道463号線)に面する武家門。大正初期建立。

 

辻馬場に面する他の武家門。

 

こちらの武家門は記録によると慶応年間に建立の貴重な門。今にも崩れそうで心配だ。

 

 

辻馬場の向こうの後田馬場に移動する。後田馬場は玉石を積んだ石垣と竹垣が残っている。

 

その先は石垣と生垣が続いている。

 

下馬場近くの武家門。屋根に石材の棟木が載っている。

 

蒲生麓のメインストリート八幡馬場に戻る。

かつて二棟の武家門が並んでいた。石垣にその名残がわずかに残る。

姶良市役所蒲生支所とくすくす館を含むこのゾーン一帯の修景が進むとよいのだがなあ。


2012 蒲生麓・春

2012-07-06 | 麓-姶良地区

5月の休日に子供を蒲生体育館へ送ったあとに蒲生麓へ。2年ぶりの訪問です。

蒲生のメインストリート、八幡馬場通り。5月は生垣の新緑がとてもきれい。

 

 

八幡馬場にて。ここの武家門は見事に修復されていた。

 

八幡馬場にて。こちらの武家門は黒門だったが立て替えられていた。

 

八幡馬場にて。こちらの屋根も瓦を葺き替えていそう。

 

西馬場通りにて。

通称、武家屋敷通り。新緑がとてもきれいで通りを歩くと心がいやされます。

 

 

 

西馬場通りにて。

この武家門は明治初期建立。

2年前は屋敷が荒れていたが、蒲生観光交流センター別館として生まれ変わった。

 

黒の武家門は江戸末期建立。切石もいい味を醸している。

 

新辻馬場に移動。

新辻馬場は麓らしい風景が残るとても好きな場所。

石垣と生垣の調和した水平ラインが続き、武家門が佇む風景がすばらしい。

 

武家門は江戸末期建立。屋根瓦などは修復されたもの。

 

下馬場通りに移動。

有村家の門。蒲生麓で現存する最古の門。文久13年建立。見るからに古そう。

 

下馬場通りに構える武家門の数は多い。

今回、蒲生麓で今まで訪れていない方面にも足を伸ばしてみました(続く)

参考:蒲生麓(2010.3訪問


2011 加治木・岩原の武家門

2011-07-20 | 麓-姶良地区

ここ3ヶ月は鹿児島市と霧島市を週に2回往復する日々が続く。加治木町の岩原に残る武家門を紹介します。

岩原は加治木町中心から少し郊外にある。現在も加治木石とともに武家門がいくつか残っている。

岩原に残る石柱の門。柔らかい風合いは加治木石の特色。

 

旧道沿いに残る武家門。2010年夏のもの

 

2011年7月のもの。生垣が綺麗に剪定されました。

 

手前のブロック塀の最下段はよく見ると加治木石。

 

想像だが以前は加治木石が上段まで積まれていたのかも知れない。

 

比較的新しい武家門。建て直したのかも知れない。

 

幹線道路をなかに入ると加治木石の石塀が続く街並みが残っている。先に立派な武家門が二棟建つ。

 

参考:過去の訪問をみると、加治木町の武家門は仮屋中心に残っていないが周辺に残っていることが分かります。

 

(九棟確認) 加治木町-武家門のある風景(2008.10訪問) 加治木町-朝日町(2009.11訪問)、諏訪町(2009.11訪問) 加治木町-仮馬場通り(2008.09訪問)、曾木家の門(2008.09訪問


2011 重富麓・春

2011-05-07 | 麓-姶良地区

4月に重富麓を訪れたときの写真です。

 

重富麓の生垣はいつもきれいに剪定されている。生垣が作る水平線が見事。

 

 

平松城址(重富小学校)前の馬場。

 

 

馬場に面する武家門。乳鋲付きの観音扉、潜戸を備える格式の高い門です。

前回訪問時はつっかえ棒で支えられていた。

 

 

平松城跡から少し離れて建つ武家門。重富麓に現存する貴重な武家門の一つ。

 

二棟が並び建つ。

 

撮影日:平成23年4月11日 参考:秋の重富麓Ⅰ(2009.11)、Ⅱ(2009.11


2010 蒲生麓 乳鋲付き武家門

2010-03-17 | 麓-姶良地区

蒲生町役場の裏手に蒲生麓の成立と武家門に関する興味深い解説板がある。

解説によると、まず、領主蒲生氏が島津氏に敗れ、一部の家臣団とともに宮之城へ退去し、残る家臣団は当地に百姓となって居住した。戦に負けると家臣全員を扶養できないので一部はやむなく百姓になって自給したのだろうか。武家門が今日39棟も残っているとある。まだ紹介していない武家門がありそう。

蒲生町役場の敷地内にある地頭仮屋門。前方は八幡馬場

 

 

解説によると、武家門建立を許されたのは10石以上の家。10~49石までは屋根が一つで引き合わせ戸。50石を越すと両脇に小屋根が付き、観音扉となり、不浄門を設ける。100石を越すと鋲が女の乳の形となってくる。鋲が「女の乳の形」になっているというのは、想像はすれども想像が付かないというなんとも不思議な記述なので、一見は百聞にしかずのとおり役場にある地頭仮屋門をまず観察してみた。

観音扉の鋲をみると、まさしく「女性の乳の形」をしている。なるほどこれかと納得する

 

ほかの武家門はどうなっているだろうといくつかの武家門に当りを付けて観察してみた。八幡馬場に面する今にも崩れそうな武家門。蒲生殖産興業株式会社(旧士族共有社というサムライ会社であった)の敷地内にある。こちらの武家門も扉に乳の形をした鋲を打っている。乳鋲というらしい。立派な観音扉である。この門は存在自体が貴重なんだろうけどなあ

 

 

下馬場の武家門。古い門と思ったら蒲生麓で現存する最も古い武家門らしい。1816年建立

 

 

こちらも約束とおり観音扉に乳鋲が打ってある。100石を超す郷士に許された武家門の証である

 

ほかの麓では確認していないが、蒲生麓には100石以上の石高の郷士に許された貴重な武家門が少なくとも2棟、地頭仮屋門も入れると3棟も現存していることが分かった。貴重な文化的遺産と思うし、早く市や県の文化財に指定して欲しいものだ。今回は薩摩の武家門について勉強ができた。他の麓でも同じような決まり事があるのだろうか。


2010 蒲生麓へ

2010-03-13 | 麓-姶良地区

日本一の大クスがある蒲生神社の入口。2年ぶりに蒲生麓を訪れました。

古い看板の跡に雰囲気ある案内板が設置されました。

新たにできた観光拠点、蒲生観光交流センター。

 

気になっていた武家門はなんとか健在中。早く修復の手を差し伸べて欲しい

 

 

参道脇の蒲生小学校

 

新辻馬場へ。

低い石垣と生垣がつくる水平線がすばらしい。いつまでも変らずこの景色でいて欲しいと願う。

 

 

以前は普通の武家屋敷であったと思ったが、以前からお店(*)を営んでおられたそう。

今度蒲生にきたら善哉を食べに寄ってみよう。(*:蒲生茶廊Zenzai

 

 

 

武家屋敷通りへ。

武家屋敷通りの風景は2年前とあまり変らないと思いきや舗装がアスファルトから変っていた

 

 

 

石垣を構成する石や積み方がバラエティに富んでいる。

 

役場の裏手にある武家門は以前は黒門だった。黒門は取り壊されてしまったのか移転したのか。

壊して復元すればよいというものではないと思うがどうだろう。

 

上の武家門はともかく、蒲生麓は全体としてみれば少しずつ観光地としての魅力が進んでいる。

鹿児島空港からのアクセスもよい。あとはメインストリート(八幡馬場)の修景に取組んで欲しい。

参考:蒲生麓(2008.6訪問


2009 加治木・諏訪町の武家門

2009-11-15 | 麓-姶良地区

JR加治木駅近くの諏訪町の風景です。

市街地の諏訪町に武家門が残っている。

 

しかも屋根の棟木が石でできている。棟木石とでもいうのだろうか。石の存在に初めて気が付く。

 

隣に建つ立派な武家門。門へ上がる階段もある

 

 

 

加治木町には出水麓や知覧麓のようにまとまった武家屋敷群は見られないが、加治木館の仮屋町を中心に

曾木家の門、諏訪町、港町、朝日町、岩原集落と、市街地の広い範囲で武家屋敷の面影が残っている。


2009 加治木・朝日町の武家門

2009-11-14 | 麓-姶良地区

加治木町の港町や朝日町には風情ある通りが残っている。

朝日町に残る武家門

 

港町や朝日町には加治木石を用いた風情のある石垣通りが残っている。

 

朝日町の狭い路地を彷徨っていると、突然武家門らしき屋根が石垣の向こうに見えた。

古い石垣といい屋根の形といい武家門に違いない。

こんなところに武家門が残っているとは思いもよらなかった。

 

風雨に耐えて建つ姿といい、石垣や庭木の具合といい、とてもいい感じである

 

 


2009 帖佐麓・秋

2009-11-13 | 麓-姶良地区

姶良町は重富・山田・帖佐の三つの麓が存在する。帖佐麓を訪れました。

帖佐小学校(帖佐地頭仮屋跡)の角を進むと正面に稲荷神社(島津義弘居館跡)がある。

 

帖佐麓の馬場

 

稲荷神社。島津義弘居館跡。周囲に当時の石垣が残っていた

 

 

大手門跡。惟新公とは島津義弘公のこと。義弘公は重富にある平松館に移る前に帖佐館を築いて住んだ。

 

 

帖佐小学校(地頭仮屋跡)の周囲を歩いてみた。石垣の独特の積み方が面白い。いつの時代のものだろうか。

 

 

 

帖佐から姶良市街地に向かう県道391号線沿いに古い石垣が続く一角がある。

そこに一棟の武家門が構えてあった

 

帖佐から山田・蒲生方面に向かう県道42号線沿いに上麓という地区がある。

県道沿いに石垣に囲まれた屋敷が並ぶが、交通量が激しく上麓付近の景色を収めることが難しい。