上鴻巣地区を通る水路に沿って竹田神社方面へあるく
鰺坂家武家門
ここも石橋を渡って門をくぐるまでのアプローチがいい。現在は自治公民館となっている
鰺坂家屋敷跡の碑
筑後の鰺坂荘より加世田郷に移住したとある。屋敷跡は門を残して公共地となった
六地蔵塔。島津忠良(日新公)が立てた供養塔
別府城の攻防を初め、戦国武将、武士たちを敵味方なく供養したものだそう
小路に面して残る武家門
水路に沿ってたつ最後の武家門。こちらは普段使われていないのだろう
竹田神社に到着。左の鬱蒼と茂る森が竹田神社
竹田神社は薩摩・大隈・日向の三州統一の礎を築いた島津中興の祖、島津忠良(日新公)を祀る。
前身は日新寺
境内内の石倉に島津の紋がみえる
いにしへの道(いぬまき並木道)。いぬまきの古木が両側に立ち並ぶ
最後に、竹田神社の近くで見付けた武家門。残念ながらほとんど放置された状態
(訪問記)2年振りに加世田麓を訪れると、別府城を取り囲むように多くの古い武家門が残されていたことがわかった(14棟を確認)。中鴻巣方面から竹田神社へ続く水路脇の道がいにしえの道として整備されることを期待したい。次の機会に加世田鍛冶のふるさと、小湊方面に足を延ばしたい。