鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 垂水麓 02

2008-10-31 | 麓-垂水・鹿屋

垂水麓は垂水小学校の一帯から県道を越えて拡がっている

 

県道沿いに残る石柱や武家門

 

 

県道の南側、松原町から敷根町一帯。左右に石垣と生垣が続く

垂水麓は、麓の規模、碁盤の目に区画された町割りなど舞鶴城下の国分麓に似ている

 

進むと武家門があった。松原町

 

 

さらに進むと別の武家門があった

 

突き当たりはT字路となっている

 

 

本町に「歴史資料 垂水島津館」が開館した。手作り感のある資料館

 

垂水フェリー船上からの桜島の眺め

(訪問記)

垂水麓は蒲生郷や今和泉麓を参考に「お長屋」を中心に馬場、垂水島津家墓地までの散策コース、街なかの通りの標識などを整備すると町並み景観が良くなると思う。市町村振興の宝くじ収益事業を整備に使えればよいと思う。

参考⇒垂水麓の風景(1)(2)(2008.1訪問)


2008 垂水麓

2008-10-31 | 麓-垂水・鹿屋

垂水市は垂水島津家の城下町です

垂水小学校に現存する長屋門

垂水島津家は島津77万石を支える一門家(加治木・重富・垂水・今和泉)で、垂水島津家は初代忠将(ただまさ)から16代貴暢(たかみち)まで約250年間垂水を治めた。4代久信の代に垂水城から林之城(現垂水小学校)へ移り林之城の麓に城下町が形成された。

正面は垂水小学校の長屋門

 

垂水小学校の正門前に広い馬場が東西に延びている

 

馬場沿いに面して並び建つ武家門。

 

 

 

垂水市の市街地で町並み整備に取り掛かるとすれば長屋が建つこの馬場からだろうと思う

 

馬場から少し山手に入ったところに垂水島津家墓地がある。

見学者用の駐車スペースが近くにある。馬場から島津家墓地までの散策コースを整備したい

 

一歩入ると生垣の空間が残っていた

(続く)


2008 大根占麓

2008-10-29 | 麓-南大隅・種子

鹿屋市を訪れたので錦江町の大根占麓まで足を延ばしました

国道から脇に入る

天候は少し荒れ模様だったが大根占麓に着いた頃は少し回復する

立派な石垣と生垣。最近の石垣よりもやはり昔の石垣の方が味わいがあるようだ

 

 

背の高い犬槇が続いている

 

 

武家門が残っていた。生垣といい素朴な佇まいをしている

 

武家門が残っているとほっとした気持ちになる

 


2008 大隅横川駅

2008-10-28 | 鉄道・くるま・飛行機

大隅横川駅

 

隣の嘉例川駅と並び古い駅舎である。霧島へドライブに出かけた帰りに立ち寄った

 

構内と改札口

 

構内の事務室は広い。物流の拠点として賑わっていたのだろう

 

ホーム下り方面

 

機銃掃射の跡

 

ホーム上り方面

溝辺ICから高速に乗り、鹿児島市内へ戻る

参考⇒大隅横川駅(1)(2)(2007.10訪問)


2008 高山麓 02

2008-10-27 | 麓-肝属地区

旧高山町で流鏑馬と同じく有名なのは二階堂家住宅

二階堂家住宅 

手前がオモテ。奥がナカエ。江戸時代の郷士屋敷。興味深いのは、武家(郷士)の屋敷らしく作りがしっかりしており、保存状態が良いことから国の重要文化財に指定されたこと(ウィキペディアより)。当時は各地に民家が建っていたのでだろう、ほとんどが消滅したなかで、ここの屋敷が現在まで奇跡的に残った点はそれなりに理由があるのだろう

 

庭木をきれいに剪定作業していた

 

二階堂家の武家門。茅葺。親柱は自然木の枝を落としただけの素朴なもの。

 

なるほど昔の郷士屋敷は屋根瓦もなく素朴な佇まいだったのが分かります。

 

この後、高山川の向こうの上之馬場へ向かったが車を停める適当な場所が見当たらず。

四十九所神社方面へ引き返す。上之馬場付近にも麓らしい景観が残っている。

肝属氏の歴代の墓もそちらにある。

 

四十九所神社の参道。

10月19日に流鏑馬が行なわれた。未舗装路を馬が疾走する。普段は車が低速で通る。

 

 

四十九所神社

 

八幡馬場付近の風景。高山麓には多くの用水路がある

 

 

 

歴史を感じさせる石柱のある門構え。

 

鹿屋市内や近郊の国道や幹線道路を走ると石垣の立派な家があちこち見られる。

このような味わいのある意匠の石柱を門に構えてくれたら歴史の継続性が感じられてとてもいいと思う。

 

肝属町新富の交差点付近

 

(訪問記)

旧高山町を訪れたのは2回目。先週の流鏑馬祭りに行けなかったのは残念。

旧高山町の麓地区は武家門はそれほど残っていないが麓らしい雰囲気は残っている。

役場前の景観を整備するだけで町並みの雰囲気はぐんとよくなると思う。肝属氏の本拠地であったことを伝える情報や案内板があれば高山の歴史の深さをもっと感じることができると思う。

参考⇒二階堂家住宅と旧高山町(2007年8月訪問)


2009 高山麓

2008-10-27 | 麓-肝属地区

肝属町の高山(こうやま)を訪れました

肝属町役場前の馬場

 

役場前の馬場は樹木が茂る広い敷地の武家屋敷が並ぶ

 

潜り戸のある立派な門

 

役場前の馬場。生垣が続く。敷地は広い

 

同じ馬場。高山小学校前付近。武家門が並ぶ

 

取り上げるか迷ったが門に主屋根が復活する期待を込めてアップしました

潜り戸付きの立派な門構え

 

同じ馬場に面する屋敷。石柱の頭部に帽子を被ったような意匠が面白い。左右で大きさが異なる

 

 

馬場から川に向けて曲がる

 

 

付近に武家門が1棟残っていた

 

 

高山は流鏑馬祭りが有名。

流鏑馬は肝属氏が1036年に高山に居を構えた以降に始まったとされる。島津氏に敗れた後の高山は島津氏の外城として機能した。現在の肝属町役場一帯に当時の麓集落の景観が残っている。高山の流鏑馬は昭和28年頃までは麓の青年組織によって仕切られていた。

(続く)


2008 加治木・岩原~港町

2008-10-25 | 麓-姶良地区

加治木町の岩原地区に武家門がいくつか残っている

 

 

岩原の旧道沿いにのこる武家門。ここは一度取り上げたことがある

 

 

旧道沿いに古い加治木石の石垣が残る。柔らかい石垣が一部うねっている

 

 

網掛川をはさんだ対岸の港町付近を散策する。

珍しい構図の武家門。別の位置から移設したのかも。

 

港町公民館。加治木石の古い石垣が残る

 

 

加治木石はコンクリートにはない味わいがある。

 

加治木石は堅硬、耐風化、耐熱に優れ、昔から土蔵石、壁体、基礎石、築窯材料などに広く使われてきた。

町並み形成に活用してほしい。


2009 霧島アートの森へ

2008-10-19 | 霧島地域

霧島ドライブ。湧水町の霧島アートの森へ向かう

道路わきのオブジェ

湧水町は「芸術のある町」を目指している

 

日本一の枕木階段。JR山野線の枕木を利用している

 

霧島アートの森の入口。ユニークな作品だ

 

園内の建物のデザインもユニーク

 

屋外展示作品1。風で羽根が回る

 

屋外展示作品2。トンネル状の建物の先端にガラス張り開口部

ガラスの前に大自然が広がる

 

林の中に宇宙人?林の中に何体も隠れている。みんなで探しました

 

子供いわく「不可能な滑り台」。確かに上る階段が付いていない

傾斜もキツイ。正面から無理やり上る

 

四方どこから見ても同じ形をしている

(訪問記)

霧島アートの森は面白い。

体験型の展示作品がもう少しあるともっと面白い。(続く)


2008 国分麓 02

2008-10-18 | 麓-霧島市

国分麓は当時の石垣や石柱が比較的残っている

竪馬場。国分中央1丁目

国分中央1丁目

 

 

中之馬場

 

中之馬場

 

東馬場。国分中央2丁目

 

 

石垣と生垣の組合せ。国分麓では少数派。国分中央2丁目

 

 

国分中央4丁目

 

 

 

国分中央1丁目。こんな空間がまだ残っていたんだ

 

突き当りに石敢当がある

 

国分中央1丁目

 

大隅国分寺跡。跡地一帯を市民憩いの広場として、上手く整備して欲しい。

(訪問記)

旧国分市街地の再開発は国分山形屋を中心に進められている。しかし麓地区と商業地区が混在して中途半端な感じを受ける。中心に雑然と高層マンションが建っている点も街に落ち着きを感じさせない。開発の方向性をよく考えたほうがよいと思う。