古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

崇神天皇(その3)

2017年01月07日 | 古代日本国成立の物語(第二部)
前回に続いて崇神天皇の事績を順に見ていく。

即位7年2月  災いが続くので神浅茅原で八十万の神々を招いて占ったところ、大物主神が倭迹々日百襲姫命に憑いて「自分を祀れ」と言った。
          しかし、霊験がなかったので再度祈ると、大物主神が崇神の夢に登場し、大田田根子に「自分を祀らせれば世の中が治まり、海外の国も降伏するだろう」と言った。
即位7年8月  大田々根子に大物主を祀らせると疫病が止んだ。
          占いが吉と出たので伊香謎雄(物部連の先祖)を神班物者に任じた。
         ※神班物者(かみのものあかつひと)=神に捧げるものを分ける人
即位7年11月  伊香謎雄に平瓮を神祭の供物とさせた。
          大田田根子を大物主を祀る祭主とした。
          長尾市を倭大国魂神を祀る祭主とした。
          占いが吉と出たので八十万神を祀り、天つ社、国つ社、神地、神戸を定めた。
          そして疫病が収まりようやく国が鎮まった。
即位7年12月  大田田根子に大物主神を祀らせた。
          高橋邑の活日(いくひ)が御酒を天皇に奉げた。
即位9年3月  墨坂神と大坂神に盾と矛を祀るよう神託を受けた(天皇の夢に神人が現れてお告げした)。
即位9年4月  神託にしたがって墨坂神と大坂神に盾と矛を祀った。

●考察
 魏志倭人伝では卑弥呼も台与も女王となっているが卑弥呼の紹介において「鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす」とあることから、その実態は王というよりも神託を司る巫女のような役割をもった女性であると考えられる。この神浅茅原の場面で大物主神が取り憑いてその神の言葉を発している倭迹々日百襲姫命の姿はまさに巫女そのものである。その大物主神の言葉に従ったところ、疫病が止んだという。さらに伊香謎雄を神班物者に、大田田根子を大物主を祀る祭主に、長尾市を倭大国魂神を祀る祭主に、それぞれ任じ、続いて八十万神を祀り、天つ社、国つ社、神地、神戸を定めたところ、疫病が収まりようやく国が鎮まったという。書紀の記述によれば、倭迹々日百襲姫命が大物主神の言葉を発したのは「自分を敬い祀れば自ずと国が収まる」という最初の場面のみであり、その後の崇神天皇の判断に対する倭迹々日百襲姫命の関与は読み取れないが、いずれも占いや夢のお告げ、神託による意思決定をであることは明らかであり、話の流れからするとそれを告げたのは倭迹々日百襲姫命であると考えて差し支えないだろう。つまり、崇神天皇は巫女である倭迹々日百襲姫命の神託によって国の混乱を収めることができた、ということだ。すでに見た通り、倭人伝には「卑弥呼の宗女である台与を王に立てたところ、国中が治まった」とある。私は倭迹々日百襲姫命が台与であると考えている。

 また、大物主神の神託に「大田田根子に自分を祀らせれば世の中が治まり、海外の国も降伏するだろう」というくだりがある。唐突に「海外」という言葉が出てきたが、海外の国とはどこを指すのであろうか。それは崇神天皇が治める国、すなわち倭国以外の国のことを指しており、それは狗奴国のことではないかだろうかと考えている。   


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