古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

笠沙宮跡

2018年05月29日 | 遺跡・古墳
2018年5月25日の南九州実地踏査の第四弾。もうひとつの笠沙宮跡。

笠沙岬に上陸した瓊瓊杵尊はこの地にしばらく留まって木花之開耶姫を娶ります。木花之開耶姫は別名を神吾田津姫といい、吾田にいる姫を指します。今回、ここ南さつま市までやってきたことで「笠沙」という地名も「阿多(吾田ではないですが)」という地名も存在することがこの眼で確認できました。

以下は日本書紀の該当箇所です。

于時、高皇産靈尊、以眞床追衾、覆於皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊使降之。皇孫乃離天磐座、天磐座、此云阿麻能以簸矩羅。且排分天八重雲、稜威之道別道別而、天降於日向襲之高千穗峯矣。既而皇孫遊行之狀也者、則自槵日二上天浮橋立於浮渚在平處、立於浮渚在平處、此云羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志。而膂宍之空國、自頓丘覓國行去、頓丘、此云毗陀烏。覓國、此云矩貳磨儀。行去、此云騰褒屢。到於吾田長屋笠狹之碕矣。其地有一人、自號事勝國勝長狹。皇孫問曰「國在耶以不。」對曰「此焉有國、請任意遊之。」故皇孫就而留住。時彼國有美人、名曰鹿葦津姬。亦名神吾田津姬。亦名木花之開耶姬

皇孫瓊瓊杵尊が留まり住んだところが笠沙宮です。


「日本発祥の地」とはまた大きく出たなあ。


ここが入口。


入口の階段を登ったところ。奥に碑が見えます。ひなびた神社の雰囲気。


碑の手前にある教育委員会の説明。


登りきったところには立派な碑が建っています。


階段の脇に見えた聖蹟顕彰記念の碑。

昭和15年に当時の鹿児島県知事が建てた碑。昭和15年といえば神武天皇即位から2600年にあたる記念すべき年とされ、日本は日中戦争から太平洋戦争へとまっしぐら。ときの政府は国威発揚のため、苦難の末に日本を統一した神武天皇を称える「神武東征聖蹟顕彰碑」を各地の神武東征ゆかりの地に建立した。そしてここの聖蹟顕彰記念の碑も同じ昭和15年の建立です。神武天皇の曾祖父にあたる瓊瓊杵尊を称えて県民の士気を発揚しようとしたのでしょう。

裏の林には苔や草木に覆われた石垣が見えます。


近くには「磐境」の説明板が朽ち落ちていました。

どうみても磐境とは思えず、あたりを歩き回るとほかのところにも同じ石垣が見られる。隣地の住宅を見に行くと同じような石垣の上に建っている。この林にはもともと大きな屋敷が建っていたのでしょう。屋敷を壊したあと、何十年も放置された結果だと思います。

さらに、林の横には道路があり、その先に階段が見える。


まだ何かあるぞ、とワクワクしながら階段を登ってみると、、、


とにかく、これでふたつの笠沙宮跡を訪ねたことになるのですが、仮に瓊瓊杵尊がこの薩摩の地に宮を構えたのが史実だとしたら、宮ノ山遺跡ではなく、こちらが本家だと思います。ちなみに、ここは南さつま市加世田川畑というところで、野間岬からは少し離れているものの、近くには御座屋敷というところもあって所縁を感じる所でした。

コメント
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