古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

博物館実習の報告(4日目)

2018年11月12日 | 学芸員
 博物館実習、4日目のレポートです。4日目の午前中は近世資料の取扱い、午後からは刀剣の取扱いと考古資料を取扱う際に使用する備品の製作を学びました。

 午前の近世資料の取扱いは和泉市の市史編さん事業に携わっておられる永野さんに指導していただきました(永野さんの「野」は「田+又、その下に土」という字です)。和泉市は20年ほど前から市史編さん事業に取り組んでおり、市史全9巻が発刊される予定で、これまでに6巻が発刊されました。直近では第6巻の「和泉市の近世」が出たばかりで永野さんが担当されました。この過程で市内の旧家からたくさんの資料の提供があったそうで、この日も資料の寄託申請があった館近くのお宅へ伺って、資料が保管されている蔵の見取り図を作成して資料を持ち帰るという作業を永野さんと一緒に行いました。
 館に戻ってからは古文書の整理作業です。古文書といっても私が作業をしたのは昭和の郵便物で、和泉の古寺である槇尾山施福寺から寄託された手紙でした。整理をしながら永野さんと一緒に手紙を読んでいると、当時のお寺の賑わいが手に取るように甦ります。古文書の価値とはこういうことなのかと理解できました。古文書は当時の地域の歴史を生々しく甦らせてくれる資料で、古文書から歴史を再現していくことが重要なのです。いま、いずみの国歴史館へ行くと「時をかける文書(もんじょ)」というテーマで和泉市にまつわる近世の古文書がたくさん展示されていて、江戸時代の和泉の歴史を感じることができます。ぜひ行ってみてください。

 午後からは刀剣の取扱いです。取扱いといっても私がやるのは大変危険なので、白石さんが手入れする様子を横で説明を聞きながら見ているだけです。この館には少し驚くほどの数の刀剣が保管されているのですが、銃刀法などの関係で個人の家で保管することが難しくて寄託されることが多いとのことです。左手に刀を持って右手にもった丸い布の包みのようなものでポンポンとたたいていく様子を時代劇などでよく見かけますが、あの包みには刀を研いだときに出る砥石の粉のまじった水を乾かしたもの、つまり砥石の粉が入っているのです。刀の両面と背の部分をポンポンとたたいたあと、ふき取ります。ふき取る時に使うのは鼻にやさしい上質のティッシュペーパーです。通常はそのあとに油を塗るのだそうですが、今回は塗りませんでした。
 刀といえば備前。中国山地を挟んで向こう側は古代からたたら製鉄が行われていた出雲の地。どうして出雲に製刀の技術が残らずに山を挟んだこちら側の備前に伝えられてきたのだろう。とにかく、真剣を目の前で拝むことができたのは貴重な経験となりました。

 刀剣の取扱いを白石さんの実演で学んだあとは、学芸員の西田さんによる土器などの梱包材の製作指導です。この歴史館は予算の少ない公立ということもあってか様々な備品を手作りでまかなっています。今回は土器などの割れやすい資料を他館から借用する際などに使用する梱包材の製作方法を学びました。私はここでも不器用さをさらけ出してしまいましたが、西田さんは嫌な顔ひとつせず、笑顔で対応してくれました。自作の梱包材を使って土器を包むのですが、手作りで十分だと思いました。
 ひととおりの指導が終わった後、西田さんから指摘、というか指導というか、このような資料の取扱いをするときには腕時計などをはずしておくこと、胸ポケットのペンも抜いておくこと、本来であれば手袋をすること、などの基本的なことを教えていただきました。このことはテキストでも学んだことで、資料を取り扱う際の基本中の基本であるのに、すっかり忘れてしまっていました。特に借用のために他館で作業する際に抜かりがあっては信頼を損ねてしまいます。改めて肝に銘じました。

 この日は古文書、刀剣、土器と様々な種類の資料の取扱いを経験することができて楽しい一日となりました。ただ、古文書や刀剣は土器や須恵器などとは取扱いや保管の方法がまったく違うので、博物館としては管理が大変であるというのと、考古資料だけでも手狭になっている収蔵庫に古文書や刀剣の寄託や寄贈が増えてくると、この館だけでは収蔵しきれなくなるという悩みもある。博物館の運営についてもいろいろと考えさせられる機会となりました。


和泉市の歴史7テーマ叙述編II「和泉市の近世」
和泉市史編さん委員会
ぎょうせい


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小嶋浩毅
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