神功摂政紀はこのあとも続くのであるが、このあたりで神功皇后、すなわち気長足姫尊を輩出した息長氏について考えてみたい。
息長氏の本貫地は琵琶湖の北方東岸にあたる近江国坂田郡(現在の滋賀県米原市および長浜市の一部)、天野川と姉川が形成した長浜平野一帯とされる。北へは越前・若狭へ通じ、東ヘは尾張・美濃へ通じる交通の要衝である。伊吹山の南麓、尾張・美濃へ通じる街道は現代においても東海道新幹線、東海道本線、名神高速道路が通過するところである。また、天野川河口の朝妻津は琵琶湖水運における湖北、湖南への結節点でもある。米原市長沢にある長沢御坊の別名を持つ浄土真宗本願寺派の福田寺(ふくでんじ)は天武12年(683年)に息長氏の菩提寺として建立されて息長寺と号した寺で、神功皇后および天日槍が逗留したという伝承が残っている。なお、息長氏の本貫地については河内説や播磨・吉備説があり、たいへん興味深いところであるが、ここでは通説に従っておきたい。
息長氏を語るときにその名の由来が必ず説かれる。すなわち、なぜ「息長」という名になったのか。主に3つの説、①生命力の長さを表しているという説、②水中で息を長く保つ海人を表しているという説、③鞴(ふいご)で空気を吹き送って火を起こす様を表しているという説に集約される。息長氏が近江国坂田郡を本拠として琵琶湖水運を掌握していたと考えられること、天日槍とのつながりなどからもわかるように息長氏は渡来系であり航海に長けた海洋族と考えられること、などから当初は②ではないかと考えていた。それが調べていくうちに後述するように近江国は畿内最大の製鉄産地であったこと、たたらに風を送る「息吹き」「火吹き」が語源であるとされる伊福氏、伊福部(いおきべ)氏、など製鉄由来の名を冠した豪族が周辺地にいたことなどから、息長氏についても③であると考えるようになった。
現在、滋賀県下では60カ所以上の製鉄遺跡が見つかっている。財団法人滋賀県文化財保護協会が1996年に発行した紀要に所収された大道和人氏の論文によると、まず滋賀県南部には逢坂山製鉄遺跡群、瀬田丘陵製鉄遺跡群、南郷・田上山製鉄遺跡群の3つの遺跡群に属する17カ所の遺跡がわかっている。次に西部では和邇製鉄遺跡群および比良山製鉄遺跡群に属する12の遺跡がある。北部においては今津製鉄遺跡群、マキノ・西浅井製鉄遺跡群、浅井製鉄遺跡群に属する31カ所がある。このうち浅井製鉄遺跡群は伊吹山の北部、滋賀県と岐阜県の県境に位置する金糞岳から南に延びる鉱床を背景とした遺跡群であるが、大道氏によるとこの遺跡群は遺跡地図等には掲載されていないが、時期や内容は不明ながら製鉄に関わる鉱滓の散布地がみられ、また、近隣地域の調査において集落遺跡から製錬滓と想定される鉄滓が出土する例が見つかってくるようになってきたことから、ほぼ確実に製鉄遺跡の存在が明らかになってきた、としている。金糞岳の名も、鉄鉱石を精錬する時に出る鉄滓、すなわち金屎(かなくそ)が由来であるとする説がある。また、そこから流れ出る草野川を下ったところには鍛冶屋町という地名も残っている。このあたりは近江国浅井郡に属する地域であるがすぐ南が坂田郡である。
その坂田郡では米原市能登瀬にある能登瀬遺跡からは鉄滓が出土している。また、伊吹山の東麓、岐阜県不破郡垂井町の日守遺跡からも鉄滓が出ており、同町内にある美濃国一之宮である南宮大社は金山彦命を祀っている。この金山彦命は、書紀の神代巻第5段一書(第4)に記される神産みにおいて、伊弉冉尊が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んで火傷を負い、苦しみのあまり吐き出した嘔吐物から化生した神である。金山彦という名はもとより、火の神に苦しんで吐き出された嘔吐物は製鉄炉から流れ出る鉄滓を表しており、この神はまさに製鉄の神であると言えよう。さらに同じく垂井町にある美濃国二之宮の伊富岐神社は製鉄氏族である伊福氏の祖神が祀られている。このように息長氏が本拠地としていた琵琶湖北部東岸から伊吹山の山麓にかけての一帯は広く製鉄が行われていた地域であり、まさに製鉄王国といっても過言ではなかろう。長常真弓氏はその著「古代の鉄と神々」の中で「息長氏は伊吹山の鉄によって大をなした」と述べている。
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息長氏の本貫地は琵琶湖の北方東岸にあたる近江国坂田郡(現在の滋賀県米原市および長浜市の一部)、天野川と姉川が形成した長浜平野一帯とされる。北へは越前・若狭へ通じ、東ヘは尾張・美濃へ通じる交通の要衝である。伊吹山の南麓、尾張・美濃へ通じる街道は現代においても東海道新幹線、東海道本線、名神高速道路が通過するところである。また、天野川河口の朝妻津は琵琶湖水運における湖北、湖南への結節点でもある。米原市長沢にある長沢御坊の別名を持つ浄土真宗本願寺派の福田寺(ふくでんじ)は天武12年(683年)に息長氏の菩提寺として建立されて息長寺と号した寺で、神功皇后および天日槍が逗留したという伝承が残っている。なお、息長氏の本貫地については河内説や播磨・吉備説があり、たいへん興味深いところであるが、ここでは通説に従っておきたい。
息長氏を語るときにその名の由来が必ず説かれる。すなわち、なぜ「息長」という名になったのか。主に3つの説、①生命力の長さを表しているという説、②水中で息を長く保つ海人を表しているという説、③鞴(ふいご)で空気を吹き送って火を起こす様を表しているという説に集約される。息長氏が近江国坂田郡を本拠として琵琶湖水運を掌握していたと考えられること、天日槍とのつながりなどからもわかるように息長氏は渡来系であり航海に長けた海洋族と考えられること、などから当初は②ではないかと考えていた。それが調べていくうちに後述するように近江国は畿内最大の製鉄産地であったこと、たたらに風を送る「息吹き」「火吹き」が語源であるとされる伊福氏、伊福部(いおきべ)氏、など製鉄由来の名を冠した豪族が周辺地にいたことなどから、息長氏についても③であると考えるようになった。
現在、滋賀県下では60カ所以上の製鉄遺跡が見つかっている。財団法人滋賀県文化財保護協会が1996年に発行した紀要に所収された大道和人氏の論文によると、まず滋賀県南部には逢坂山製鉄遺跡群、瀬田丘陵製鉄遺跡群、南郷・田上山製鉄遺跡群の3つの遺跡群に属する17カ所の遺跡がわかっている。次に西部では和邇製鉄遺跡群および比良山製鉄遺跡群に属する12の遺跡がある。北部においては今津製鉄遺跡群、マキノ・西浅井製鉄遺跡群、浅井製鉄遺跡群に属する31カ所がある。このうち浅井製鉄遺跡群は伊吹山の北部、滋賀県と岐阜県の県境に位置する金糞岳から南に延びる鉱床を背景とした遺跡群であるが、大道氏によるとこの遺跡群は遺跡地図等には掲載されていないが、時期や内容は不明ながら製鉄に関わる鉱滓の散布地がみられ、また、近隣地域の調査において集落遺跡から製錬滓と想定される鉄滓が出土する例が見つかってくるようになってきたことから、ほぼ確実に製鉄遺跡の存在が明らかになってきた、としている。金糞岳の名も、鉄鉱石を精錬する時に出る鉄滓、すなわち金屎(かなくそ)が由来であるとする説がある。また、そこから流れ出る草野川を下ったところには鍛冶屋町という地名も残っている。このあたりは近江国浅井郡に属する地域であるがすぐ南が坂田郡である。
その坂田郡では米原市能登瀬にある能登瀬遺跡からは鉄滓が出土している。また、伊吹山の東麓、岐阜県不破郡垂井町の日守遺跡からも鉄滓が出ており、同町内にある美濃国一之宮である南宮大社は金山彦命を祀っている。この金山彦命は、書紀の神代巻第5段一書(第4)に記される神産みにおいて、伊弉冉尊が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んで火傷を負い、苦しみのあまり吐き出した嘔吐物から化生した神である。金山彦という名はもとより、火の神に苦しんで吐き出された嘔吐物は製鉄炉から流れ出る鉄滓を表しており、この神はまさに製鉄の神であると言えよう。さらに同じく垂井町にある美濃国二之宮の伊富岐神社は製鉄氏族である伊福氏の祖神が祀られている。このように息長氏が本拠地としていた琵琶湖北部東岸から伊吹山の山麓にかけての一帯は広く製鉄が行われていた地域であり、まさに製鉄王国といっても過言ではなかろう。長常真弓氏はその著「古代の鉄と神々」の中で「息長氏は伊吹山の鉄によって大をなした」と述べている。
古代の鉄と神々 (ちくま学芸文庫) | |
真弓常忠 | |
筑摩書房 |
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