2023年10月、そろそろ秋の様相を呈してきた飛鳥を友人と二人で巡ってきました。朝9時に近鉄岡寺駅で待ち合わせをして、丸山古墳→牟佐坐神社→益田岩船→牽牛子塚古墳→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅→キトラ古墳→第42代文武天皇陵→高松塚古墳→中尾山古墳→第29代欽明天皇陵→吉備姫王墓(猿石)という行程で巡って、最後は近鉄飛鳥駅にて予定終了となりました。
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丸山古墳(私は中学生のとき以来、つい先日まで見瀬丸山古墳と呼んでいました)は奈良県最大の前方後円墳で、後円部の墳頂部が陵墓参考地になっています。墳丘には自由に登れるものの、墳頂部だけは柵が巡っていて入ることができませんでした。感覚的には纒向にある箸墓古墳や崇神天皇陵などの方が大きい感じがしました。
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江戸時代以降、天武・持統天皇の合葬陵に治定されていましたが、明治時代に入って同じ飛鳥にある野口王墓がそうであることを示す資料が見つかったことから、野口王墓が天武・持統天皇合葬陵に治定されることになりました。とはいえ、こちらは奈良県下最大の前方後円墳ということからか、墳頂部だけでも陵墓参考地として残しておこうということになったのでしょう。
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牟佐坐神社は第8代孝元天皇の軽境原宮跡とされています。神社はこんもりした小山の上に建っていて、もしかしたら古墳ではないかなと思わせるような小山でした。
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益田岩船に行く途中に第4代懿徳天皇の軽曲峡宮(軽之境岡宮)跡の伝承地を経由しましたが、ここは碑が立っているだけでした。
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住宅地を抜けて岩船山の麓に到着し、休む間もなく急な山道を登ります。5分ほど登ると見えてきました。益田岩船です。高校のときに松本清張の『火の路』を読んで以来、いちど見てみたかった益田岩船です。でかい。想像以上にでかい。
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こんな山の上にポツンと残された巨大な石造物が何のために造られたのか。松本清張はゾロアスター教の拝火台とする新説を提唱されたが、①弘法大師による灌漑用貯水池「益田池」の築造記念石碑の台石、②天体観測や占星術のための台座、③穴の中に遺骨を入れて石の蓋をする火葬墳墓、④横口式石槨の建造途中で石に亀裂が入ったために放棄された、など諸説があって最近では④が有力とされ、わたしもそのように思っていましたが、その巨大さから、石槨とは考えにくいと思いました。横口式石槨ならこの巨石を90度横倒しにしなければならず、この場所で倒すと山を転げ落ちそうとも思いました。
ほぼ半世紀来の念願が叶ったからか、後ろ髪を引かれる思いで次の牽牛古塚古墳を目指して山道に分け入ります。前々日の雨の影響か足元がぬかるみます。まだまだ夏の名残りがあって草木が茂っています。厄介なのがちょうど顔の高さ辺りに張られている蜘蛛の巣。油断すると顔面に絡んでくるのです。さらに、倒木で道がふさがれたところも数カ所。それでも前進あるのみ。20分ほどで牽牛古塚古墳が見えてきました。
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ここは2回目です。2022年に復元整備されて史跡公園として開放されていますが、石室の見学は予約が必要です。この復元が物議を呼んだことは記憶に新しいですね。なかなか古墳だと実感できず、私にはUFOにしか見えません。
7世紀中葉〜8世紀初頭の八角形墳で、墳丘裾部に凝灰岩切石が敷き詰められ、さらにこの石敷の上からも大量の凝灰岩切石が出土したことから、墳丘全体が凝灰岩切石で装飾されていたと考えられてこのような復元になりました。埋葬施設は凝灰岩の巨石を使用した刳り抜き式の横口式石槨で、石槨内には二つの墓室があります。『 日本書紀』天智紀に斉明天皇・間人皇女合葬の記載があることなどから第37 代斉明天皇(第35 代皇極天皇)の真陵である可能性が指摘されています。
先に見た益田岩船はもともとこの古墳の石槨として加工されたものの、途中で亀裂が入ったために放棄されたと言われるのですが、果たして真実はいかに。
次は飛鳥駅に向かう途中にある岩屋山古墳。ここも2回目です。巨大な横穴式石室を構成する巨石の切石加工が見事。一辺45m前後の方墳あるいは八角形墳とされます。築造時期は7世紀前半、あるいは7世紀中葉~第3四半期との説もあるようです。八角形墳なら天皇もしくはそれに準ずる皇族の墓の可能性があります。
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時刻は11時過ぎ。山道を歩いたこともあって軽い疲労感。飛鳥駅すぐ近くの「Matsuyama Cafe」でランチをとりました。
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たまたま1席だけ空いていてラッキーでした。飛鳥駅周辺でゆっくりランチできるお店はここくらいで皆さんにオススメしたいのですが、行かれる場合は予約必須ですね。後半戦は予定を少し変更してキトラ古墳まで足を伸ばすことにしたので、急きょレンタサイクルを借りることにしました。
(つづく)
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丸山古墳(私は中学生のとき以来、つい先日まで見瀬丸山古墳と呼んでいました)は奈良県最大の前方後円墳で、後円部の墳頂部が陵墓参考地になっています。墳丘には自由に登れるものの、墳頂部だけは柵が巡っていて入ることができませんでした。感覚的には纒向にある箸墓古墳や崇神天皇陵などの方が大きい感じがしました。
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江戸時代以降、天武・持統天皇の合葬陵に治定されていましたが、明治時代に入って同じ飛鳥にある野口王墓がそうであることを示す資料が見つかったことから、野口王墓が天武・持統天皇合葬陵に治定されることになりました。とはいえ、こちらは奈良県下最大の前方後円墳ということからか、墳頂部だけでも陵墓参考地として残しておこうということになったのでしょう。
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牟佐坐神社は第8代孝元天皇の軽境原宮跡とされています。神社はこんもりした小山の上に建っていて、もしかしたら古墳ではないかなと思わせるような小山でした。
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益田岩船に行く途中に第4代懿徳天皇の軽曲峡宮(軽之境岡宮)跡の伝承地を経由しましたが、ここは碑が立っているだけでした。
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住宅地を抜けて岩船山の麓に到着し、休む間もなく急な山道を登ります。5分ほど登ると見えてきました。益田岩船です。高校のときに松本清張の『火の路』を読んで以来、いちど見てみたかった益田岩船です。でかい。想像以上にでかい。
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こんな山の上にポツンと残された巨大な石造物が何のために造られたのか。松本清張はゾロアスター教の拝火台とする新説を提唱されたが、①弘法大師による灌漑用貯水池「益田池」の築造記念石碑の台石、②天体観測や占星術のための台座、③穴の中に遺骨を入れて石の蓋をする火葬墳墓、④横口式石槨の建造途中で石に亀裂が入ったために放棄された、など諸説があって最近では④が有力とされ、わたしもそのように思っていましたが、その巨大さから、石槨とは考えにくいと思いました。横口式石槨ならこの巨石を90度横倒しにしなければならず、この場所で倒すと山を転げ落ちそうとも思いました。
ほぼ半世紀来の念願が叶ったからか、後ろ髪を引かれる思いで次の牽牛古塚古墳を目指して山道に分け入ります。前々日の雨の影響か足元がぬかるみます。まだまだ夏の名残りがあって草木が茂っています。厄介なのがちょうど顔の高さ辺りに張られている蜘蛛の巣。油断すると顔面に絡んでくるのです。さらに、倒木で道がふさがれたところも数カ所。それでも前進あるのみ。20分ほどで牽牛古塚古墳が見えてきました。
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7世紀中葉〜8世紀初頭の八角形墳で、墳丘裾部に凝灰岩切石が敷き詰められ、さらにこの石敷の上からも大量の凝灰岩切石が出土したことから、墳丘全体が凝灰岩切石で装飾されていたと考えられてこのような復元になりました。埋葬施設は凝灰岩の巨石を使用した刳り抜き式の横口式石槨で、石槨内には二つの墓室があります。『 日本書紀』天智紀に斉明天皇・間人皇女合葬の記載があることなどから第37 代斉明天皇(第35 代皇極天皇)の真陵である可能性が指摘されています。
先に見た益田岩船はもともとこの古墳の石槨として加工されたものの、途中で亀裂が入ったために放棄されたと言われるのですが、果たして真実はいかに。
次は飛鳥駅に向かう途中にある岩屋山古墳。ここも2回目です。巨大な横穴式石室を構成する巨石の切石加工が見事。一辺45m前後の方墳あるいは八角形墳とされます。築造時期は7世紀前半、あるいは7世紀中葉~第3四半期との説もあるようです。八角形墳なら天皇もしくはそれに準ずる皇族の墓の可能性があります。
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たまたま1席だけ空いていてラッキーでした。飛鳥駅周辺でゆっくりランチできるお店はここくらいで皆さんにオススメしたいのですが、行かれる場合は予約必須ですね。後半戦は予定を少し変更してキトラ古墳まで足を伸ばすことにしたので、急きょレンタサイクルを借りることにしました。
(つづく)
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