2018年6月24日の日曜日、翌朝の会議のために前泊で広島入り。午前中に東京から移動して、午後から大和ミュージアムを見学してきました。広島空港から呉駅までリムジンバスで1時間弱。バスの乗客は私を入れてふたりだけ。しかもほとんど高速道路だったので快適でした。
JR呉駅です。駅周辺では水兵さんの白い制服を着た若者を3人ほど見かけました。海上自衛隊の隊員かな。
駅前にある観光案内板を見ていると「こんにちは」と声をかけてくるボランティアのおじさん。この青い人です。
呉周辺の観光地を説明してくれました。大和ミュージアムのすぐ近くにある「てつのくじら館」にも是非行ってくださいと言われたので行こうと思っていたのですが、大和ミュージアムで時間切れになってしまいました。
大和ミュージアムのテラスから見た「てつのくじら館」。本物の潜水艦を陸にあげて博物館にしているそうです。正式名称は「海上自衛隊呉資料館」です。
大和ミュージアムは駅から徒歩で5分ほど。専用の通路があるので間違えることはありません。時刻はちょうど昼の1時。先に昼ご飯を食べようとショッピングモールのレストラン街へ行ってみたら、どこも結構な行列ができていたのであきらめてそのまま博物館へ。
とくに戦艦が好きというわけでもないのに、なんだかワクワクしてくる。
常設展と企画展のセットで800円。高くはない。そして入館するとまずはドカーンと大和の模型。サイズは実物の10分の1。
常設展は、海軍基地としての呉の発展を時代順に展示しています。1890年(明治23年)に呉鎮守府が開庁して以来、呉は軍港の街、海軍の街として発展を遂げます。
寄贈者の名前を見てびっくり。まさかの松本零士。見学の途中でわかったのだけど、松本零士はここの名誉館長とのこと。
とにかく映像資料、いわゆるビデオが豊富に展示されているのでわかりやすい。人が溜まっているところはビデオ映像が流れています。
ここは大和のコーナー。大和関連の資料がいろいろと展示されます。
このあたりから乗組員の手紙とか遺書とか。
あたりから鼻をすする音が聞こえてくる。
連合艦隊司令長官の山本五十六の遺品も。
これには胸を打たれた。
大和が沈没したときの戦死者名簿。
呉の海軍工廠で建造された戦艦などのリスト。艦艇は全部で133隻。
大型資料の展示室に展示される人間魚雷「回天」。実物です。
乗組員の遺言。
なんと、本人が出陣前に録音して残した肉声が流れる。ここでも涙だ。
零戦も実物。
零戦の向こうには戦艦の砲弾が展示されています。左の3本が大和で使われた46センチ砲弾。子供の身長くらいの高さはゆうにある。
このあたりですでに15時半を過ぎていました。まだ企画展があるので、残りの展示を少し駆け足で回りました。企画展は戦艦長門に関する展示でしたが、展示資料はどれも撮影禁止だったので残念ながら写真はありません。この企画展では大艦巨砲主義の象徴であり、第一次世界大戦後の連合艦隊旗艦であった長門や二番艦の陸奥は、敵国を攻撃するために存在したのではなく、戦争を抑止することが本来の役割であったという説明がされていました。ワシントン軍縮会議によって、このクラスの戦艦をイギリス、アメリカ、日本の三国がそれぞれ2隻、3隻、2隻を保有してバランスを保つということから出た理屈だと思うのだけど、素直には納得できない。今の核兵器と同じではないか。
企画展の展示室を出たのが17時少し前。てつのくじら館はあきらめて、大和ミュージアムの裏にある大和波止場へ。太陽が西に傾いて海風が吹いて、いい雰囲気でした。
大きなタンカーがドック入り。大和が建造されたドックはこのあたりのはず。
大和の左舷の前甲板を再現した公園。
振り返って大和ミュージアムの全景。
そろそろ疲れてきました。今日はこれくらいにして、是非とも再訪しようと心に決めて駅に向かいました。そう言えば昼ご飯を食べていなかった。駅ビルにあるここで生ビールとお好み焼き。
広島に向かう電車から見た夕陽。見学の疲れとビールの酔いが心地いい。
博物館の勉強も兼ねて見学をしたのですが、この博物館の特徴は何と言ってもボランティアの存在です。どこの博物館でもボランティアの方々がいるのだけど、ここは特に若者や外国人の見学者が多いので、ボランティアにも高いコミュニケーション力が求められる。でも、みなさん活き活きと説明されていました。あるボランティアの方は英語のマニュアルを片手に必死に説明している。またあるボランティアの方は見学者の後ろでメモをとりながら先輩の説明を聞いている。頭が下がります。展示の特徴といえば、個人からの寄贈資料がたくさんあること、ほとんどが実物資料であること、写真や映像資料(ビデオ映像)が豊富に展示されること、などかな。考古資料や民俗資料ばかり見てきたので、たまにはこういうのも勉強になります。
以上、大和ミュージアムのレポートでした。
JR呉駅です。駅周辺では水兵さんの白い制服を着た若者を3人ほど見かけました。海上自衛隊の隊員かな。
駅前にある観光案内板を見ていると「こんにちは」と声をかけてくるボランティアのおじさん。この青い人です。
呉周辺の観光地を説明してくれました。大和ミュージアムのすぐ近くにある「てつのくじら館」にも是非行ってくださいと言われたので行こうと思っていたのですが、大和ミュージアムで時間切れになってしまいました。
大和ミュージアムのテラスから見た「てつのくじら館」。本物の潜水艦を陸にあげて博物館にしているそうです。正式名称は「海上自衛隊呉資料館」です。
大和ミュージアムは駅から徒歩で5分ほど。専用の通路があるので間違えることはありません。時刻はちょうど昼の1時。先に昼ご飯を食べようとショッピングモールのレストラン街へ行ってみたら、どこも結構な行列ができていたのであきらめてそのまま博物館へ。
とくに戦艦が好きというわけでもないのに、なんだかワクワクしてくる。
常設展と企画展のセットで800円。高くはない。そして入館するとまずはドカーンと大和の模型。サイズは実物の10分の1。
常設展は、海軍基地としての呉の発展を時代順に展示しています。1890年(明治23年)に呉鎮守府が開庁して以来、呉は軍港の街、海軍の街として発展を遂げます。
寄贈者の名前を見てびっくり。まさかの松本零士。見学の途中でわかったのだけど、松本零士はここの名誉館長とのこと。
とにかく映像資料、いわゆるビデオが豊富に展示されているのでわかりやすい。人が溜まっているところはビデオ映像が流れています。
ここは大和のコーナー。大和関連の資料がいろいろと展示されます。
このあたりから乗組員の手紙とか遺書とか。
あたりから鼻をすする音が聞こえてくる。
連合艦隊司令長官の山本五十六の遺品も。
これには胸を打たれた。
大和が沈没したときの戦死者名簿。
呉の海軍工廠で建造された戦艦などのリスト。艦艇は全部で133隻。
大型資料の展示室に展示される人間魚雷「回天」。実物です。
乗組員の遺言。
なんと、本人が出陣前に録音して残した肉声が流れる。ここでも涙だ。
零戦も実物。
零戦の向こうには戦艦の砲弾が展示されています。左の3本が大和で使われた46センチ砲弾。子供の身長くらいの高さはゆうにある。
このあたりですでに15時半を過ぎていました。まだ企画展があるので、残りの展示を少し駆け足で回りました。企画展は戦艦長門に関する展示でしたが、展示資料はどれも撮影禁止だったので残念ながら写真はありません。この企画展では大艦巨砲主義の象徴であり、第一次世界大戦後の連合艦隊旗艦であった長門や二番艦の陸奥は、敵国を攻撃するために存在したのではなく、戦争を抑止することが本来の役割であったという説明がされていました。ワシントン軍縮会議によって、このクラスの戦艦をイギリス、アメリカ、日本の三国がそれぞれ2隻、3隻、2隻を保有してバランスを保つということから出た理屈だと思うのだけど、素直には納得できない。今の核兵器と同じではないか。
企画展の展示室を出たのが17時少し前。てつのくじら館はあきらめて、大和ミュージアムの裏にある大和波止場へ。太陽が西に傾いて海風が吹いて、いい雰囲気でした。
大きなタンカーがドック入り。大和が建造されたドックはこのあたりのはず。
大和の左舷の前甲板を再現した公園。
振り返って大和ミュージアムの全景。
そろそろ疲れてきました。今日はこれくらいにして、是非とも再訪しようと心に決めて駅に向かいました。そう言えば昼ご飯を食べていなかった。駅ビルにあるここで生ビールとお好み焼き。
広島に向かう電車から見た夕陽。見学の疲れとビールの酔いが心地いい。
博物館の勉強も兼ねて見学をしたのですが、この博物館の特徴は何と言ってもボランティアの存在です。どこの博物館でもボランティアの方々がいるのだけど、ここは特に若者や外国人の見学者が多いので、ボランティアにも高いコミュニケーション力が求められる。でも、みなさん活き活きと説明されていました。あるボランティアの方は英語のマニュアルを片手に必死に説明している。またあるボランティアの方は見学者の後ろでメモをとりながら先輩の説明を聞いている。頭が下がります。展示の特徴といえば、個人からの寄贈資料がたくさんあること、ほとんどが実物資料であること、写真や映像資料(ビデオ映像)が豊富に展示されること、などかな。考古資料や民俗資料ばかり見てきたので、たまにはこういうのも勉強になります。
以上、大和ミュージアムのレポートでした。
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