これまでに築山古墳群を続編と合わせて二度にわたって紹介しましたが、今回はその北側に広がる馬見古墳群の南端に分布するいくつかの古墳を紹介します。いずれもワンコの散歩がてらの見学なので、そんなに遠くへ行けず、近鉄大阪線あるいは国道165号線と県道105号線(中和幹線)に挟まれた地域のみの探索となります。
<黒石古墳群>
みささぎ公園内に円墳が2基、前方後円墳が1基、計3基の古墳が残されています。
左手奥に円墳が見えます。その右の小山が前方後円墳の後円部となるのですが、前方部の範囲がよくわかりませんでした。写真の下半分全体がそのように見えるものの、それだと前方部が大きすぎる気もする。
前方後円墳の前方部の手前にあったもう1基の円墳。
別のところから移築された黒石13号墳の石室。
みささぎ公園の西にある黒石公園内に残された2基の円墳と1基の前方後円墳。
おそらくこれが前方後円墳と思われます。
階段を挟んで2基の円墳。
公園の近くに放置された林がありますが、おそらくこれも古墳と思われます。
<別所石塚古墳>
自動車学校の敷地に隣接する前方後円墳。前方部はこの教習所の建設時に削られたと思われます。全長が90~100mと推定されています。
近づくと後円部が比較的よく残っているように見えます。高さは8mで埴輪や葺石があったと考えられ、埋葬施設も検出されています。
後円部の先端です。墳丘に登ることも可能です。上の写真の裏側です。
<城山1号墳・2号墳>
城山児童公園内に残された古墳で、1号墳が全長42mの帆立貝式、2号墳が東西径19m、南北径21mの円墳とされるが、墳丘に登ってみると2つの古墳は1号墳の前方部を介してつながっているように感じるので、どちらが帆立貝式でどちらが円墳なのかわからない。墳丘や周囲を歩いてみるとむしろ2号墳が前方後円墳のように思える。
1号墳の後円部。滑り台のあるところが2段築成の1段目のように見えますが、よくわからない。
1号墳の墳丘上。手前が前方部です。
1号墳は盗掘を受けたとの連絡を受けたあと、記録をとってすぐに埋め戻されたそうです。その際に硬玉製管玉1個と碧玉製管玉1個が見つかったとのことです。
2号墳。上の写真とこの写真のどこかに2つの古墳の境い目があるはずなのですが、よくわかりませんでした。
墳頂部は盗掘を受けていたものの、残された埋葬施設が詳しく調査されています。札甲(さねよろい)、鉄斧、鉄剣、鉄刀、鉄槍など、豊富な鉄製品が副葬されていたそうです。
2号墳の墳丘から。この写真を撮った時はこちらが前方後円墳と思っていたので前方部を撮ったつもりでした。
2号墳の周囲はこんな感じ。上が前方部、下が後円部と思っていたのですが、、、
以上、馬見丘陵の南端に広がる古墳群を探索した様子を紹介しました。このあたり一帯はすべて住宅地として開発が行われた結果、数多くの古墳が姿を消したと思われます。しかしその一方で、開発に伴って詳細な調査が行われたことによって、膨大な遺物、精緻なデータが得られました。近年の考古学の発展は目覚ましいものがありますが、それは高度成長期以来、全国各地で行われた宅地開発や道路建設などの副産物とも言えるでしょう。それにしても、馬見丘陵を開発して出来上がった街を「真美ケ丘」と名付けたのは秀逸だと思います。
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